今回は、南日本新聞の編集局長、平川順一郎さんにお越しいただき「これからの地方紙」について語っていただきました。
現在、新聞だけでなく報道機関は厳しい状況にあります。平川さん曰く「テレビの方がもっと厳しいかも。テレビ局の記者なんか昔の3分の1くらいになってる」。インターネットの普及や人口減少によって、これまでのビジネスモデルが通用しなくなっているんです。
南日本新聞の発行部数は公称25万部。記者は150人いるそうです。うち、編集部に40人いるとのことで、実際外に出て取材をしている方は100人ちょっと。鹿児島+宮崎の一部を100人で担当しているということになります。私は思ったより多いなと思いました。
全国の多くの地方紙は各県域を配布対象範囲としていますが、中日新聞や西日本新聞など県を超えた範囲を区域とするブロック紙もあります。それに準ずるものとして河北新報や信濃毎日新聞など10社があり、南日本新聞もこれに属します。これらの会社は、発行部数や歴史も似たような部分があるそうで、南日本新聞は地方紙としては割とよい位置にいる新聞とのことでした。
南日本新聞が非常に特徴的なのは、全株式が社員保有であること! これは「全国で唯一かも?」。だから、社員になると株式を「買わされちゃう」そうですが、これは南日本新聞の報道が誰の指図も受けない基盤となっています。新聞は、地元の大企業が大株主だったり、創業家の社主がいたりするのが一般的で、ある種の記事が書けなかったりします。大手紙でも読売新聞の主筆はいまだに渡辺恒雄さん。ナベツネさんが社論を定めているので、それと違った論調の記事は書けません。
ところが、南日本新聞の場合は社員自身が株主なので、平川さんも「今まで、そんな記事は書くな、といわれたことが一度もない」。ただ、社員が強いということは、逆に「自分は編集局長という立場だが、こういう記事を書け、と現場の記者に指示することもできない」とのこと。現場の記者が強く、記者の個性が出るのが南日本新聞です。
これは「新聞社としての健全性」を示すものではありますが、平川さんとしては「今の時代、トップダウン的でないことが変革を阻んでいる部分もある」と感じてもいるそうです。難しいですね。
当日は、7月12日付の南日本新聞が配布され、どんなことを考えてこの紙面にしたのか、ということが解説されました。
この日の1面トップは、徳田虎雄さんの死去。「郷土出身の人で、死去がトップニュースになるのは、たぶんこの人が最後」だそう。ですが、ご存じの通り、毀誉褒貶の甚だしい人ですから、郷土の偉人、みたいな扱いではなく、「多角的に取り上げたかった」ということで、20‐21面には功罪織り交ぜた記事が並びました。
この日の肩(1面の左上の記事)には、水俣病患者と環境相との再懇談の最終日という記事。水俣病患者との懇談の際、環境省職員がマイクを切った問題を初めて報じたのは南日本新聞と熊本日日新聞(だけ)でした。その場には全国紙の記者も来ていたのにもかかわらず、なぜ彼らは報じなかったのか? それは、全国紙の記者の場合は、やはり東京からの視点でものを見ていて、「こういうのが普通」と慣れっこになっていたのではないか、とのこと。一方、地方紙記者の場合は患者からの視点に立って「これはおかしい」と感じたから記事にした。この感覚があるのかどうかが、地方紙の存在意義の一つ。両紙の報道がきっかけになり、環境相が謝罪し、再懇談が設けられることになったわけです。
この記事の最後には「塩田康一知事は参加しなかった」と一言だけ書いてあります。鹿児島県にも被害者はいるのに、鹿児島県では「もらい公害」という認識で、当事者意識が希薄です。平川さんは、記者のこの指摘により「南日本新聞も同じだったのでは」と気づかされたそうです。鹿児島(と都城)以外が中心のことは、どこか他人事っぽくなってしまうのは、地方紙の弱点かもしれません。
それでは、これからの地方紙はどうなるか?
南日本新聞は、昔に比べてだいぶ薄くなってきました。購読者数の減少に加え、紙のコストが1.5倍くらいになっているからです。でも社長としては「できるだけ値上げしたくないので、薄くなっても現行価格でいきたい」との考え。個人的には、薄くなってるのに写真を多くして文章を減らしているのは腑に落ちないですが…。
配達コストの問題も大きいです。かつて新聞販売所は記者以上に儲かる商売でしたが、収益のメインを担ってきた「折込チラシ」が激減したことで、やっていけない販売所も出てきました。県本土全域での当日朝配達体制が維持できなくなるのは、「早ければ5年後くらいかも」。もうすぐそこの話です。
これを補うのがWEB版ですが、南日本新聞の主要購読者層は60代以上。30代でもほとんど読まれていないそうです。最近の若い人は新聞取りませんからねー。なのでWEB版があっても、高齢の購読者は「やっぱり紙がいい」と思っていて、そこに需給のミスマッチがあります。ちなみに、Yahoo! ニュース等に配信してタダで見られるようにするのは、「自分の首を絞めるようなものだから、今後は改めていかないと」。
「もしかしたら10年後、紙の新聞はなくなってるかもしれない」と仰っていましたが、その時に地味な地方紙が本当に読まれるのか、大きな分水嶺になりそうです。
なお講演後の意見交換では、県警問題が関心を集めました。平川さんは「県警が悪いのは間違いない」としつつも、「個人的な考えでは、100%の悪人も100%の善人も存在しない」のだから、「(野川本部長が県警の問題を隠蔽しようとしたと告発した)前生保部長を善、野川本部長を悪とするような単純な構図では報道しない」とし、全国紙が、表面的な理解だけで県警を断罪するような論調になっていることに違和感を抱いているそうです。
そして、「前生保部長はそういう立場にありながら、南日本新聞含め、報道機関と一切の付き合いをしてこなかった。なのに退職後にいきなり面識のない記者に、それだけでは記事の書きようがない資料を送付するのは不可解」とのこと。これはよくも悪くも県警と長く付き合ってきている南日本新聞ならではの見方だなあと思いました。
では真実はどこにあるのか。「南日本新聞は、警察と同じくらい、ちゃんと調査して裏付けがあることを書いている自負がある。県警問題は南日本新聞がやらないかぎり「真実」は明らかにならないと思う。だが、これが真実だ、というようには書かないし書けない。一つずつ「事実」を積み重ねるという地道な報道をやっていくことで、結果的にそれが明らかになると思っている」ということでした。「事実」を積み重ねる、とは、「塩田康一知事は参加しなかった」と一言だけ書く、みたいなことですよね。
南日本新聞のそういう姿勢は心強いですが、心配なのはやはり経営です。平川さんは冗談っぽく「これからの時代の報道には、ものを言わない“パトロン”が必要なのかも?」と苦笑いしていました。大手紙やテレビ局も「もはや新聞やテレビでは利益がなくて、不動産の利益でなんとかやっている」という現状があります。MBCもそんな感じだったような。
「記事にはどんどん反応してほしい。南日本新聞のパトロンは県民のみなさんしかいません」だそうですよ!
新聞社の方と率直に意見交換する機会ってなかなかないですが、実際にやってみて本当に面白いなと思いました。南日本新聞には、こういう機会をたくさん設けていただいて、読者と対話しつつ変革の時代を乗り切ってほしいです。地方紙こそ、昏迷の時代に必要なメディアではないでしょうか? 新聞が無くなって困るのは、新聞社の人…ではなくて、他ならぬ県民なのは間違いありません。