2026年10月26日月曜日

バツグンに美味しいサツマイモ「栗黄金」を販売しています

サツマイモ「栗黄金(くりこがね)」の販売を開始しています。

このブログでは「栗黄金」についてちゃんと説明したことがなかったので、私はもうこの芋を10年以上栽培していますが、今さらながらちょっと説明したいと思います。

「栗黄金」の栽培を始めたのは、近所のサツマイモ農家さんからいろんな芋をもらった時に、バツグンに美味いものがあったので「この芋、なんていうんですか?」と驚いて、次の春に苗を分けてもらったことがきっかけでした。

ちなみにこの農家さんはサツマイモのマニアで、当時20品種くらいを作っていました。作業効率を考えればせいぜい3種類くらいにした方がいいのに、わざわざ札を立てていろんな品種を作り比べ・食べ比べていました。その方も「一番おいしいのが栗黄金」と断言していました。

もちろん最近のサツマイモは美味しいものが多いです。安納芋なんか糖度が高くて甘いですよね。ただ、私は安納芋は少しベチャベチャしすぎかなと思います。栗黄金は強い甘みはないですが、しっとりしつつもホクホクしていて食感が非常にいいです。この食感は栗黄金以外はなかなかない気がします。少し繊維質が強いのと、皮をむく必要があるのだけが欠点です。最近食べていただいた方も「美味しくて驚きました」と、あの時の私と同じ反応でした。

しかし、この芋は一時期「幻の芋」と呼ばれていたほどめったに栽培されないものでした。最近、JAいぶすきが「マロンゴールド」という登録商標で栗黄金芋の生産・販売を拡大させ、「マロンゴールドは幻の芋」と言っていますが、これはややプロモーション的な言い方で、鹿児島では「幻」は大げさかなと思います(笑)。しかしほかの品種に比べると生産量が少ないのは事実です。すごく美味しいのにあまり作られていないのはなぜかというと、私が思うに理由は3つあります。

第1に、収量が少ないです。最近の品種改良で生み出された品種に比べると、栗黄金は6割くらいしか収量がないように思います(私の栽培方法の場合)。ちなみに肥料を入れるとすぐツルボケ(葉っぱばかりが茂ってイモが大きくならない現象)が起こる品種のように感じています。

第2に、形と大きさが安定しません。サツマイモだけでなく、規格が揃った野菜・果物が収獲できるということが農業では非常に重要なんですが、栗黄金はいろんな形ができてしまいます。細長いのもあればひょうたん型もあり、しかも巨大だったり小さかったり。ちなみに基本形はずんぐりした形です(ただこれが多数派ではない!)。ただでさえ収量が少ないのに形と大きさがバラバラなので歩留まりが悪いです。

第3に、これはしっかり比べたわけではないですが棚持ちが悪いです。サツマイモは8月~11月に収穫して、保存して販売していく作物ですから保存性がすごく大事です。栗黄金は貯蔵障害になりやすく、痛みが出やすい気がします(ただ、私がちゃんとキュアリングをしていないからなのかもしれない)。

ともかく、身も蓋もない言い方ですが「あまり儲からないので生産量が少なかった」というのが栗黄金です。先述のとおりJAいぶすきは最近この品種をテコ入れしていて、スーパーでは他の芋より少し高値で売っているので、これからは変わっていくかもしれません。

私はというと、この芋を昔ながらの方法で栽培しています。無農薬・無化学肥料・無マルチです。有機質肥料も使用していませんが、堆肥は投入しているので自然栽培ではありません。なお年によっては米ぬかを入れることもあります。草取りは手です。このような栽培は手間がかかりますが、大きな失敗になりづらく、食味も向上すると思っています(ただしこれもちゃんと比べたわけではない)。

ただ、無農薬の最大のデメリットは、土壌消毒(正確には消毒ではなく殺虫剤を土に混和して虫を殺す)をしないので、ハリガネムシの被害を受けてしまうことです。これがなかなか避けられない。なので私の販売する芋は毎年「ワケあり品」にしています(全部が全部被害を受けているのではなく、きれいな芋もけっこうあります)。ちなみにハリガネムシの被害は、2~3mmくらいのポツポツした黒い穴です。中に虫が入ってるかもと心配になるでしょうが、虫は入ってないのでご安心ください。イモの中に住む虫ではありません。

というわけで、今年も栗黄金を販売しております。ワケあり品だからといって極端に安いわけではないのですが、スーパーで売っている「マロンゴールド」と比べたらだいぶ安いのでよかったらお買い上げください。焼き芋または蒸かしイモにするのがおすすめです。

↓ご購入はこちらから。
【南薩の田舎暮らし】[ワケあり品]無農薬・無化学肥料のサツマイモ(栗黄金芋)
https://nansatz.stores.jp/items/692a4724427a88e0c47457d3
4kg 2,400円(税込み・送料別。以下同)
8㎏ 4,800円
12㎏ 7,000円

2026年10月25日日曜日

「秋目わくわく祭り」と「大浦祭り」に参加しました

ちょっと書くのが遅れましたが、2つの祭りに参加しました。

一つ目は、10月11日(日)に開催された「秋目わくわく祭り」です。こちらの祭りには、出店ではなく「秋目の謎トークショー」というコーナーに出演させてもらいました。

どうしてこんなトークショーが企画されたのかというと、私は以前、「秋目の謎」と題した連載ブログ記事を書いていました。

【参考】秋目の謎がそれなりにまとまっているページ|南薩日乗
鑑真は秋目に漂着したのか――秋目の謎(その5)  
https://inakaseikatsu.blogspot.com/2025/12/blog-post.html

このブログ記事を読んだ祭りの実行委員長桑原田さんが「秋目の人も知らないことが書いてあるからトークショーで語りましょう」と誘ってくれました。20分くらいしかなかったのでほんのサワリだけでしたが、「かつて秋目は(ほぼ確実に)密貿易で栄えた」という説について語ることができました。桑原田さん、ありがとうございました。

ところで、現在の秋目の人口は40人弱だそうです。なのにお祭りを開催するっていうこと自体がすごいことですよね。

そして、小さな祭りなのに若い人が遠くから訪れていて感激しました。なんとこの祭りのために神奈川から来たという人もいました(この方は若者ではないですが)。秋目のファンってけっこういるんですよね。熊本地震で自宅が倒壊しているという状況にもかかわらず水俣から駆けつけた若者もいて、秋目愛と人のつながりのすごさを改めて感じました。

ちなみに祭の内容は、(私は途中用事で帰っちゃったので最後までは見てないですが)住民のカラオケ大会がメインです。地域の人にとっては、タレントやアーティストの立派な「パフォーマンス」より、身近な人が歌うのが盛り上がりますね。

本当に素敵な祭りでした。ありがとうございました。

二つ目は、10月18日(日)に開催された「大浦祭り」です。こちらは地元なので毎年「南薩の田舎暮らし」としてドリンクを販売しています。

当日は快晴で、絶好のお祭り日和。それなりに販売も好調でした……が、写真でも分かる通りどうも閑散とした感じになっています。販売ブースの間の道がすっごく広いんです。以前は、もう一列テントがあったのですが、徐々に来場者・出店者が減ってこんな感じになりました。

実行委員会では「大浦祭りをいつまで続けるか」みたいな話もあるそうです。辞めるというのも手だとは思いますが、秋目祭りみたいなコンパクトな祭りにしてもいいのではないかと感じました。現在の大浦祭りは立派なテントと(大型トラックの)ステージがあり、これはこれで有り難いですがなくても祭りは成立すると思います。地元の若者が中心となって行う祭りになったらそれが一番いいとおもいます 。

ちなみに、最後の抽選会でうちは1等(特等の下)の空気清浄機が当たりました! 実は4年前の祭りでも1等のダイソンの掃除機を当てているので、大浦祭りで1等が当たるのは2度目です。 ありがとうございました!

2026年10月19日月曜日

第26回そらまどアカデミア「東南アジアの仏教と人と社会、生活の中の信仰」を開催します

12月6日(日)、そらまどアカデミア開催します。

今回のテーマは東南アジアの仏教です。みなさんは東南アジアの仏教ってどんなものかイメージがありますか?

私事ですが、この夏に娘(中2)が青年海外協力隊関係の事業で、ラオスに一週間行かせてもらいました。首都ビエンチャン近郊にあるホーナーニャイ村というところに4日間ホームステイさせてもらったのですが、村の中心にはお寺があり、歓迎会や別れの儀式(バーシーというらしいです)などは全てお寺で行われたそうです。そして朝にはお坊さんが托鉢で村を回るので、村人は家の前に座って食べ物などを準備して待ちます。一緒にホームステイした中高生17人のうちの一人が「生活の中心に宗教がありました」と書いていました。

東南アジアの仏教は「上座仏教」です。「上座仏教」とは、インドでブッダが説いた教えに近い、「出家し、修行して悟りを目指す」仏教です。一方、日本の仏教は「大乗仏教」。「大乗」とは「大きな乗り物」のことで、「出家や修行をしていない人も含めすべての人を救う」という意味合いです。こういう説明では、「上座仏教」は限られた出家者のみの狭い仏教だというイメージになるのですが、実際には、修行しているお坊さんに喜捨(お布施)をすることで功徳を積めるという宗教的実践が広く共有されており、お寺と人々の生活は密接にかかわっています。

もちろん、東南アジアといってもいろいろな地域があります。ラオスやタイは仏教国ですが、マレーシアはイスラム教を国教に定めています。ただ国教といってもマレーシアではイスラム教以外も自由に信仰してよく、仏教、キリスト教、ヒンドゥー教、道教などが信仰されており、多宗教国家となっています。

かつて、「神と仏が仲良く共存している日本の神仏習合は和の心だ。」といった言説が流行ったことがありました。さらには、日本人は正月には神社に詣で、葬式は仏教で行い、クリスマスや結婚式はキリスト教的に祝います。これは異なる宗教を排除せず取り込んできた日本人の特性だというのです。しかし東南アジアでも多宗教が併存してきました。しかも東南アジアの国々は少数民族を多く抱え、そうした在来の人々の信仰に加え、華人(中国人)の信仰(道教・大乗仏教)、植民地時代のキリスト教もあり、多民族・多宗教が共存するという状況になっています。日本の神仏習合よりもずっと異質なものの共存度が高いのかもしれません。

今回ご講演をお願いした黒田景子先生には、このような仏教を中心とした東南アジアの宗教と社会の状況について、タイとマレーシアという隣接しながらも宗教面では大きく異なる位置にある国を題材にして語っていただきます。日本の仏教や信仰を客観的に顧みる機会にもなるかもしれません。ぜひお聞きください。

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第26回 そらまどアカデミア

東南アジアの仏教と人と社会、生活の中の信仰

講 師:黒田景子

東南アジアの仏教は上座仏教(小乗仏教)で日本の仏教信仰とはかなり異なります。そこでは人々は生活の端々に仏教の教えや慣習を感じつつ暮らしています。長年のタイやマレーシアでのフィールドワークでの経験や多民族多宗教社会の中での暮らしや祭りなどについてお話しします。

日 時:12月6日(日)14:00〜16:00(開場13:00)
場 所:books & cafe そらまど (駐車場あり)
料 金:2000円(ドリンクつき) ※中学生以下無料
定 員:15名
要申込:申込フォームより、または店頭で直接お申し込みください。※中学生以下は無料ですが申込は必要です。

<講師紹介>
1957年、京都生まれ。大阪外国語大学タイ語科卒、マレーシアのマラヤ大留学、大谷大学大学院仏教文化博士課程中退から1994年より鹿児島大学勤務、京都大学東南アジア研究所バンコクリエゾンオフィス所長を経て、鹿児島大学法文学部、後に共通教員センター教授を経て現在鹿児島大学名誉教授。 

2026年10月5日月曜日

第25回そらまどアカデミア開催しました。超巨大ブラックホールの周りには…⁉


第25回そらまどアカデミア「ブラックホールと鹿児島の天文学研究」を開催しました。

これまでのそらまどアカデミアは、全て人文的なテーマで開催してきました。しかし実は、店主(私)は理系の大学を出ています。そこで理系的テーマにも取り組みたいとずっと思っており、何が皆さんにとって面白いかなあと考えていました。そんな時、宇宙に関する新発見のニュースが立て続けに報道された時があって、「そうだ、宇宙なら多くの人が関心がありそうだ」と思って、大学の同窓会を通じて紹介してもらったのが、今回ご講演いただいた和田桂一先生です。

和田先生は鹿児島大学の「天の川銀河研究センター」のセンター長をしており、理論天文学を専門にしています。無茶苦茶難しい学問だと思いますが、今回はこちらから「中学生にも分かるように講演してもらえるとうれしい」と要望しておりましたので、非常に基本的なところから教えていただきました。なお、小学生・中学生・高校生が参加してくれました(ちなみに中学生以下は無料です)。

まず、そもそも天文学とはどんな学問か、ということですが、天文学には2つの研究手法があり、それは「観測」と「理論」だということです。他の理学系学問ではこの他に「実験」があるのですが(というか「実験」がメイン)、天文学の場合、「実験」はしようがないのでありません。

「観測」は、宇宙を望遠鏡で見るということです。これには屈折望遠鏡(レンズを使う)、反射望遠鏡(鏡を使う)があり、それぞれ可視光、赤外線、X線などさまざまな波長の光(電磁波)を観測するものがあります。例えば日本(国立天文台)が持っている「すばる望遠鏡」はハワイのマウナケア山頂にあり、直径8.2mの光学赤外線反射望遠鏡です。

望遠鏡の直径は大きければ大きいほど多くの光を集められるため高性能であり、この8.2mというのは世界最大級の大きさになります。また望遠鏡は空気の揺らぎや水蒸気、地上の光、震動といったものにも敏感で、そもそも天候が悪いと観測できないので、乾燥した高地の方が適しています。日本を含む各国が協力して造ったALMA(アルマ)望遠鏡は、南米チリの5100mの高地(アタカマ砂漠)にあり、ここにはたくさんの電波望遠鏡が設置され、それが連動することで非常に高い解像度を誇っています。

アタカマ砂漠の和田先生[和田先生提供]

しかしどんな高地でも地上である以上、大気の揺らぎからは逃れられません。そこでアメリカは宇宙空間に望遠鏡を置くことにし、ハッブル宇宙望遠鏡を打ち上げました。これは目覚ましい成果をあげ、最近その後継機として打ち上げられたのがJWSTという宇宙望遠鏡です。ハッブル宇宙望遠鏡は地球の周り(近く)を周回しているのですが、JWSTは地球と同じように太陽の周りを(地球と同じペースで回るちょうどいい位置で)周回するものです。地球からの距離はなんと150万㎞! 地球と月の間の距離がおおよそ40万㎞なので、その4倍にもなる遠さです。 

ところで、アメリカはこのJWSTに1兆円もかけたそうですが、なんと世界中の研究者が無料で使うことができるんだそうです。もちろん無料といっても、申請して認められればの話ですが、博物館まで金を稼ぐことが目標になっている日本との大きな文化力の差を感じました。

日本でも宇宙望遠鏡を打ち上げており、2023年に打ち上がったのがXRISM(クリズム)というX線を観測する人工衛星です。これもたくさんの素晴らしい成果を上げているそうです。

そして実は、鹿児島にも望遠鏡があります。それが入来(いりき)にあるVERA望遠鏡とその近くにある入来1m光赤外線望遠鏡です。VERA望遠鏡は国立天文台が設置したもので、他に石垣島、小笠原、岩手の水沢に全く同じものがあり、計4台を連動させて仮想的に大きな望遠鏡となるものです。一方、入来1m光赤外線望遠鏡は鹿児島大学が所有しており、なんと国内の光赤外線望遠鏡では7番目の大きさ、九州では一番大きいそうです。

このように、天文学では「観測」が非常に重要で、世界中が協力して観測機器を設置し共同で利用しているのですが、和田先生の専門は「理論」です。「理論」とは、簡単に言うと方程式を解いて宇宙がどうなっているかを予測するということ。

方程式を解く、というのは、紙と鉛筆で計算して答えを求める、というのが基本になりますが、そこで扱う方程式はあまりに複雑で膨大なため数学の問題集のようにキレイに解けないことが多く、現実的にはコンピュータで近似値を求めるということになります。それに先ほど言ったとおり天文学では「実験」ができません。宇宙のふるまいには、超高温、超高密度、超真空、超強力磁場など地球上では再現できない条件が多く、またその変化は何億年や何十億年もの長時間を要します。そこでコンピュータで宇宙のふるまいをシミュレーションし、それが現実と合致しているかどうかを調べることで理論の正しさを裏付けるわけです。そんなわけで、和田先生は「理論天文学者は、望遠鏡じゃなくてほとんどパソコンの画面を見ています」と言っていました。 

具体的には、(1)現象を単純化しモデル化する、(2)基礎方程式を決める、(3)それに基づいてプログラムを書く、(4)初期条件・境界条件を与える、(5)パソコンやスパコンで計算する、(6)結果を可視化する(グラフィック化するなど)、(7)その結果が現実と合致しているか検証する、(8)論文を書く、という流れになりますが、2025年くらいからAIが(3)〜(6)の作業を出来るようになって、現在理論天文学の世界でも大きな変化が訪れているということでした。

次に、今回のテーマであるブラックホールの話です。ブラックホールとは光すら脱出できない天体のことです。「穴=ホール」という語感から、当日の会場にも宇宙に穴が開いているようなイメージを抱いている方もいましたが、これは空間の歪みをわかりやすく2次元的に表現して穴みたいに描かれるためで、実際には穴ではなく4次元(空間3次元+時間1次元)の時空の歪みであり、れっきとした天体です。

ブラックホールは、アインシュタインの相対性理論によって予言され、最初は仮想的なものだったそうです。光が出てこないため観測も不可能で、当初はあるのかないのか分からないものでした。しかしその後、間接的な証拠からブラックホールが実在することは確かめられています。

そして最近では、ブラックホールには2種類あると考えられるようになりました。

第1が、太陽程度の重さのブラックホールです。恒星(太陽のように自分で輝いている星)には、寿命があります。重い(質量の大きい)恒星ほど寿命が短く、太陽は割と軽い方で長い寿命を持っています。そして恒星の寿命が尽きると超新星爆発が起こり、ある一定以上の重い星がブラックホールになります。こうして生まれたブラックホールが第1の種類で、これは銀河系に約1億個くらいあるそうです。

第2が、 太陽の100万倍〜10億倍もの質量の、途方もなく大きな超巨大ブラックホールです。これは宇宙全体で数万〜10万個くらいではないか、とのこと。

じゃあその中間の大きさはないのか? というと、理論的に全く存在しないとはいいきれず、もしかしたら観測できていないだけかもしれないので現時点では不明としつつも、そのようなブラックホールがどのように出来るかを考えると例外的な存在であろう、とのことでした。

では第2のブラックホールがどうやってできるのかというと、銀河の中心で生まれます。銀河の中心には非常に大量の星が犇めいているのですが、この多くの星が合体することで超巨大ブラックホールが発達したと考えられます。超新星爆発を経ないで生まれるのが超巨大ブラックホールです。

天の川銀河の中心にあるこの超巨大ブラックホールの存在を確かめ、その業績で2020年のノーベル物理学賞を受賞したのがラインハルト・ゲンツェル先生! 先ほど書いたとおり、銀河系の中心は非常に多くの星がある特別な場所です。銀河系の多くの場所では、ほぼ星は静止していて(あくまでも人間の尺度では、の話)、長い時間観測していても動かないのですが、銀河系の中心では星が動いていることが観測できます。そこでゲンツェル先生は、ここを継続的に観測すれば何か面白い現象があるかもしれないと考えて20年以上にわたって銀河系の中心を観測し続けました。すると、ある恒星がすごいスピードでクイッとターンしていることを発見し、そこに見えないけれども超大質量の天体があることがわかりました。これが超巨大ブラックホールなのです。

それにしても、何にもならないかもしれないのに20年以上も観測し続けるってすごいですね。20年以上天体を観測し記録し続けたティコ・ブラーエのおかげでヨハネス・ケプラーは「ケプラーの法則」を発見しますが、ケプラーもすごいけどティコ・ブラーエがすごいなと私は思います。

そして和田先生は、この超巨大ブラックホールの周りで何が起こっているのかということについて研究しました。こちらは、超巨大ブラックホールの周辺を描いた図です。 

超巨大ブラックホール[和田先生提供]

「光すら脱出できない天体」なのにすごく輝いているな? と思いますよね。これはブラックホール本体ではなく、その周りが光っているのです。その正体は、宇宙にある「ダスト」という塵! これは0.1〜1μm(マイクロメートル)の固体の微粒子で、これはタバコの煙くらいの大きさです。宇宙には超新星爆発の後の残骸がダストとして浮遊しています。超巨大ブラックホールは、このダストや周囲の星間ガスを広範囲から引き寄せるため、その周辺は大量のダスト・ガスが集まります。しかも非常に強い重力によってそれらが高速で回転し、その速度は秒速1000km以上にもなります。このように超高速で回転することでダストやガスが高温になり、強い光を発するのです。ガスの温度は1億度にもなるそうです。

ブラックホールだからダストは吸い込まれるんじゃないの? と思うかもしれませんが、回転による遠心力と重力が釣り合ってなかなかブラックホールには落ち込まず、長期間にわたりダストがブラックホールの周りを回転し続けるわけです。

「これは、太陽系において地球などの惑星が出来る環境と似ている」というのが和田先生のアイデアです。 太陽系では、46億年前、太陽の周りをダストが回り、そのダストがお互いの重力によって長い時間かけて集積して惑星が出来ました。ダストは惑星の原料なのです。

惑星は、当初は太陽系以外では見つかっていなかったのですが、1994年に太陽系外に初めて惑星が見つかり、今では6000個以上の系外惑星が発見されています。ダストが長期間にわたり集積するという環境があるならば、超巨大ブラックホールにも惑星があってもおかしくない、ということで、和田先生は2019年と2021年に発表した論文で、超巨大ブラックホールの惑星を「Blanet(ブラネット)」と名付け予言しました。これはもちろん「Black hole planet」から名付けたものです。先ほどのイラストにある手前の惑星が、この「Blanet」です。

「Blanet」は、2026年に発行されたフランスの科学雑誌「Epsiloon」に表紙で取り上げられました。ブラックホールにも惑星(ブラネット)があるかもしれない、なんてSF的に考えるとすごく面白いですよね。もしかしたら、ブラネットにも生命が誕生するかもしれないわけです。ブラネットに生命が誕生し、それが文明を持つようになったらどんな存在になるでしょうか。ブラネットの一年(ブラックホールを1周する時間)は10万年にもなるそうです。そこで生まれた文明は、きっと1年を経験しないうちに滅びるでしょうね…(苦笑)。

ところで、最後には活発な質疑応答が行われたのですが、その中で「鹿児島で天文学研究をする意味とは」というものがありました。先ほど書いたとおり、入来に望遠鏡が設置されているのは日本を広くカバーするVERA望遠鏡の性質上、本土の端にある鹿児島が都合がよかったからですが、和田先生は「天文学の研究は世界のどこでもできます!」とも言っていました。アメリカが1兆円かけたJWSTが世界の誰でも使えるように、天文学には世界の垣根がなく、しかも観測成果も一定期間経過したらそれが公開されデータベースにより誰でも参照できるようになっています。地上にある望遠鏡もリモート操作が可能であり、そこに行く必要はないんだとか。確かにわざわざマウナケアの山頂とかアタカマ砂漠に行かないと観測できないとしたら大変すぎます。

ということは、鹿児島にいても世界最先端の研究ができるということになります。鹿児島は日本の本土の端ですし、様々なことで僻地の不利さがあると思います(特に進学!)。しかし天文学では、鹿児島にいながらも世界中の研究者と同じ条件で研究ができる! これってとても面白いなと思いました。

「そらまど」もすごく辺鄙なところにあるので僻地の不利を日々感じているところですが、僻地が不利にならないような取り組みをしていきたいと考えています。

2026年8月8日土曜日

今年は渇水に苦労しましたが新米の販売を開始しております

今年の「無農薬・無化学肥料のお米」の販売を開始しました。

8月3日にショップサイトのメルマガでお知らせしたところ、想定を超えるご注文が殺到し、なんとたった1日で受注を一時停止しました。というのは、今年はお米が不作でどれだけ注文が受けられるか見通せなかったためです。

とにかく、今年は水不足でした。南薩の5月の降水量は平年の半分だったそうです。早期水稲にとって5月は生育初期で大事な時期なのですが、この時期に田んぼに水が足りず、草だらけになってしまい、今年は久しぶりに草取りに苦労しました。

【参考】今年は田んぼの草取りに難儀しています
https://nansatz-kurashi.blogspot.com/2026/06/blog-post.html

梅雨時期は平年並みに雨が降ったものの、さらに問題だったのが7月! なんとここ大浦では、梅雨明け後から7月中ずっと全く雨が降らなかったのです。鹿児島全体でもこの7月は史上最小の降雨量を記録した場所が何箇所かあります。稀に見る渇水の年だったのは間違いありません。このせいで近所の川はすっかり流れが止まり、田んぼは干上がってしまいました。

うちでは3箇所でお米を作っていますが、特に水が足りない場所にある田んぼでは、収穫前に稲が枯れてしまいました。登熟する前に枯れては当然収穫出来ません。ここまでひどくないところも本来の稲の生命力が発揮できなかったので、品質の方も期待通りではありませんでした。なので気持ちだけですが昨年より少し値下げしました。

ところで、この渇水のためにサツマイモもシナシナになっていました。サツマイモというのは非常に強い作物で高温にも水不足にもそれなりに強いのですが、植え付けが遅れた区画ではほとんど枯れてしまいました。途中、水掛けもしたのですが効果はほぼなかったですね…。

先日、稲刈りが終わりましたが、収量は豊作だった昨年の7割くらいしかありませんでした。平年と比べても9割ほどですね。まあこの渇水で平年の9割だったら比較的マシなのかもしれません。

そして8月7〜9日にかけて、台風が鹿児島本土をかすったお陰で雨が降りました。渇水が解消されたのはなによりでしたがけっこうな大雨でしたね。適度に降ってもらいたいものです。

というわけで、少ないながら在庫量が確定したので受注を再開しました。例年なら8月末から9月上旬まで販売しておりますが、きっと早く売り切れると思いますのでご承知おきください。どうぞよろしくお願いいたします。

↓ご購入はこちらから
【南薩の田舎暮らし】無農薬・無化学肥料のお米
https://nansatz.stores.jp/items/68877c338fe718028485a336

2026年8月3日月曜日

第25回そらまどアカデミア「ブラックホールと鹿児島の天文学研究」を開催します


10月4日(日)、そらまどアカデミア開催します。

今回のテーマはブラックホールです。そらまどアカデミアはこれまで24回開催していますが、初めての理系的なテーマです。実は、店主は理系の大学を卒業しているため、ずっと理系的テーマをやりたかったのです!

みなさんはブラックホールというとどんなイメージを持っていますか? 私が子どもの頃、「ブラックホールは本当にあるのか?」みたいなことが言われていた記憶があります(その時点でずいぶん古びた図鑑でいわれていたことなので、実際には観測されていたと思うのですが)。

その後、ブラックホールは全てを飲み込む怖ろしい天体だとか、ブラックホールは恒星がその一生の最後に到達する死んだ状態だとかいうイメージが流布されました。試しに手元にある藤井旭『星の一生(科学のアルバム4)』(あかね書房、1980年)という子供向け科学絵本を見てみると、ブラックホールについて「しんだ星の光は、もう外へもでられず、宇宙から姿をけしてしまいます」と書いてありました。「死」、「宇宙から姿を消す」というネガティブなイメージが満載です。

ところが最近、こういうブラックホールのイメージが変わりつつあります。まず、宇宙には無数のブラックホールがあってありふれた存在であるらしいこと、そして銀河の形成にも大きく影響しているのではないかということ。さらには、全てを飲み込むはずのブラックホールから「ジェット」と言われる噴出があり、それも星の形成に作用しているのではないか、といったようなことが言われだしました。私たちの住む「天の川銀河」の中心にも超巨大なブラックホールがあるそうです。

そして実は、鹿児島大学には「天の川銀河研究センター」が設置され、ブラックホールや銀河系の形成について研究が行われているんです。というわけで、天の川銀河研究センター長の和田桂一先生にブラックホールと鹿児島の天文学研究について語っていただきます。ブラックホールのイメージが変わるかも⁉ ぜひ聞きに来てください。

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第25回 そらまどアカデミア

ブラックホールと鹿児島の天文学研究

講 師:和田桂一

「光すら脱出できない天体」といわれるブラックホール。本来は見えないはずなのに、なぜその存在が確かめられているのでしょうか。最新の観測と理論研究をわかりやすく紹介するとともに、鹿児島大学で天文学を研究する理由や、現在の研究の最前線についてもお話しします。

日 時:10月4日(日)14:00〜16:00(開場13:00)
場 所:books & cafe そらまど (駐車場あり)
料 金:2000円(ドリンクつき) ※中学生以下無料
定 員:15名
要申込:申込フォームより、または店頭で直接お申し込みください。※中学生以下は無料ですが申込は必要です。

<講師紹介>
1965年、北海道生まれ。北海道大学大学院理学研究科物理学専攻修了。博士(理学)。北海道大学、国立天文台を経て、2009年より鹿児島大学教授。現在、理工学研究科附属天の川銀河研究センター長。 

2026年7月22日水曜日

第24回そらまどアカデミア開催しました。複雑怪奇な南九州の南北朝時代!


第24回そらまどアカデミア開催しました。

今回は、「九州南部の南北朝内乱 ―南方国人の動向を中心に―」という演題で新名一仁先生にご講演いただきました。 

鹿児島で歴史の講演だと戦国島津と幕末の人気がありますが、南北朝はほとんど開催自体がないんです。うちでは、「お客さんは来ないかもしれないけど、他ではやらない南北朝を取り上げよう!」と思って設定しました。ところが! 告知を開始したら1週間もしないうちに定員満員の申し込みがあったんです。これには驚きました。

新名先生も「南北朝期の講演の依頼を受けて驚きました」とのこと。やはり南北朝期は「複雑怪奇で難しい」ので需要が少ないのが現状だとか。

講演前に配られた資料もすごい情報量でした。さすが複雑怪奇なだけあります。大学の90分講義2回分くらいの分量で、これを2時間で話せるのだろうかと心配しましたがキッチリ終わりました。というわけで、とてもその全貌はここにはまとめられないので、雰囲気だけお伝えしたいと思います。

そもそも南北朝内乱とは、鎌倉時代に天皇家が2つの系統に分かれてしまったことから始まります。後嵯峨天皇がその息子二人のそれぞれを天皇にしたことが原因で、皇統が「持明院党」と「大覚寺党」に分かれます。鎌倉時代後半になるとこの2つの系統の争いが始まり、それを鎌倉幕府が調停して「両統迭立(てつりつ)」となります。それぞれの系統から交互に天皇を出すという取り決めです。ところが後醍醐天皇はどうしても息子に皇位を継がせようと反乱を起こし、最終的に鎌倉幕府を滅ぼすことになります。

その後、後醍醐天皇が始めた建武の新政はすぐ瓦解しますが、後醍醐天皇は三種の神器を幕府に渡しておとなしく従ったようにみせかけながら「実はその三種の神器はニセモノだ!」と奈良南部の吉野に逃げて「こっちが正統な皇統だ!」と主張。これが南朝になります。一方室町幕府は三種の神器がないままで天皇を即位させて北朝がスタート。ここから全国を巻き込んだ南北朝の動乱になっていくのです。

南北朝期は3つに分けられ、
Ⅰ期が「鎌倉幕府滅亡(1333)〜懐良親王の下向(1340年代)」
Ⅱ期が「観応の擾乱(1350年代)〜征西将軍府勢力の全盛期(1360年代)」
Ⅲ期が「今川了俊の九州探題抜擢(1370)〜了俊の探題解任(1396)」
だそうです。しかし今回は時間が限られていることと、今川了俊以降は現在研究がどんどん進みつつあり話がしづらいということで、Ⅰ期とⅡ期に限ったお話でした。

新名先生によれば、この時代ですごく大事なのは「軍功認定のシステム」です。戦いに参加してその功績が認められて、恩賞として土地がもらえる、という仕組みですね。南北朝時代には、これが文書で丁寧に行われました。

具体的には、まずトップから軍勢が催促されます。それを受けた守護は戦いに参加するよう地頭御家人に動員をかけます。地頭御家人は戦いの現場につくと「到着しました」という文書を出し、守護はそれにちゃんとサインをします。戦いが行われると、どのような被害があったか、傷を受けた場所、倒した敵など事細かに報告し(軍忠状)、これにも守護が「承了(うけたまわりおわんぬ)」などとサインします。これを受け、動員された方は「感状」というものを申請します。これは功績を認めるという文書です。そしてこれが発給されると、これを根拠に恩賞として所領が認められる、という仕組みです。ポイントは、全て文書でやりとりされるということと、守護→探題→将軍と取り次いで、最高権力者の将軍の決裁まで必要とするということです。

この文書は土地の所有権を主張する根本資料になるので、各家では厳重に保管されました。なので軍忠状が(家が断絶していなければ)よく残っており、戦国期よりも南北朝期の方が合戦の詳細がよくわかるのだそうです。

ともかく、土地の権利を得るのにいちいち最高権力者の決裁を必要とするという面倒で時間がかかる仕組みがあったことが、後々歴史を動かすエネルギー(?)になります。今でいうと、土地の登記をするのに各地の法務局に行くだけでは済まず、内閣総理大臣の印鑑が必要という感じですね。南北朝期は現代以上に文書でのやりとりが必要な中央集権の時代かもしれません。

それではⅠ期の説明に入ります。

鎌倉幕府に反乱を起こした後醍醐天皇は一度は隠岐に流されますが脱出して挙兵します。それに従ったのが足利高氏。高氏は九州の島津貞久や大友貞宗に挙兵を促しました。高氏が貞久に言ったのが「大隅国の守護を与えるから」という誘い文句。元々島津氏は薩摩・大隅・日向三か国の守護でしたが、この時代には薩摩国だけになっていました。その後、貞久らは鎮西探題(大宰府)を落とし、高氏も全国を平定して後醍醐天皇の「建武の新政」が始まります。

建武の新政では実際に島津貞久は大隅国守護にもなりますが、日向・大隅は鎌倉時代には執権北条家が治めていた地域だったので、この地域の勢力は貞久の支配に抵抗します。後醍醐天皇は追って貞久を日向国守護にも任じ、貞久は薩隅日三か国の守護職を手に入れますが、これは多分に名目的な感じです。それどころか、薩摩半島に限っても貞久が地頭職を持っているのは限定的でした。

ところが「中先代の乱」がおこって、建武の新政はわずか2年で瓦解します。足利尊氏(→後醍醐天皇(尊仁)から一字もらって高氏から改名)とその弟の直義が後醍醐天皇から離反した戦いです。後醍醐天皇は「尊氏・直義を討て!」と全国に命令を下しますが、これに呼応したのが日向・大隅の勢力(肝付兼重・伊東祐広)。旧北条家支配下の人たちは足利氏に反発を感じていたのでこの時は後醍醐天皇に従ったわけです。

一方、貞久は尊氏について戦いますが、尊氏は京を追われて九州に落ち延びます。尊氏は島津・少弐・大友とともに、建武政権方(後醍醐方)の菊池氏を撃破。息を吹き返して九州から京へ再び攻め込みます。その際、尊氏は島津貞久を薩摩に、足利一門の畠山直顕を日向に下向させます。さらに貞久は、川辺郡などと大隅国も与えられます。実際は大隅国は肝付兼重が支配しているので、尊氏は兼重を抑えるため貞久と畠山直顕を配置したということになります。

ここで、敵方の後醍醐天皇は三条泰季(やすすえ)という公家を薩摩に下向させます。この人物は「ほとんど知られていない謎の人物なのですがすごく重要」だそうです。薩摩半島南部には、伊集院忠国・谷山隆信・鮫島蓮道などが蟠踞しており、彼らが三条泰季にまとめられて「守護町(川内の碇山城付近?)」を襲います。これが「南方(みなみかた)国人(こくじん)」の初めての軍事行動でした。国人とは地頭御家人、郡司など在地武士の呼称です。

実は南薩は、地頭や郡司が揉めていた地域でした。つまり島津氏の支配権が及ばずゴタゴタしていました。ここに三条泰季が現れて新たな権威が出現したので、南薩の郡司系の土着勢力はこの味方になった方が得だと思ったようです。こうして南薩はほぼ南朝方(後醍醐天皇の味方)になり、伊作、市来、伊集院、給黎(きいれ)、そして碇山城と立て続けに戦いが起こります。

しかし貞久はこれをなんとか抑えて東福寺城(鹿児島市清水町)を落とし、鹿児島を手に入れます。というか、この時まで島津氏は鹿児島も支配できてなかったわけです。そしてこの東福寺城が大隅攻略の拠点となります。島津氏にとって、実効支配できていない大隅をちゃんと支配下に置くことが大きな課題でした。島津氏は谷山・阿多・加世田などを攻め落として南薩地域を徐々に支配します。

このように南方国人が弱体化しつつあった時期、懐良親王が征西将軍として薩摩に上陸します。後醍醐天皇は各地に皇子を派遣して戦わせるのですが、懐良親王もその一人です。そして南方国人は「貴種」である懐良親王に一気に靡きます。というのは、これまで土地をもらうには大変な文書のやりとりが必要だったのに、懐良親王は現地まで来てくれたのですぐに綸旨(文書)を出してくれるだろうと期待したのです。懐良親王は村上水軍に育てられたといわれ、海路を使った機動的な攻撃で南朝方が息を吹き返します。

ここでⅡ期に入り、観応の擾乱が起こります。 これは足利尊氏と直義の兄弟喧嘩です。ところで直義には実子がおらず、尊氏の息子の直冬を養子にしていました。直冬は尊氏の息子といっても母親の出自が低かったためか尊氏からは冷遇されており、この擾乱で養父直義が失脚したのを受けて直冬は九州に逃げます。ところが直冬は、「両殿(尊氏・直義)の意向で九州を治めにきた」というフリをします。大嘘つきです。しかし九州の武将はこれを真に受けて、直冬に従うものがでます。例えば畠山直顕や筑前の少弐氏です。もちろん尊氏は直冬の討伐を九州の諸将に命じます。

こうして尊氏、直義+直冬、南朝(後醍醐天皇はもう死去している)の三つ巴の抗争になります。

ところで直冬の嘘がバレても戦いが続いたのはなぜか。南方国人が「貴種」の懐良親王を歓迎したように、武家方(足利方)も「貴種」の下向を待ち望んでいたのです。多少正統性に疑問があっても、すぐに文書を出してくれるならOK、みたいな感覚かもしれません。今でいうと「会いに行けるアイドル」が人気になるみたいな話です。

そして観応2年=正平6年(1351)、ついに足利尊氏は南朝と講和し(正平の一統)、直義との戦いに集中します。ちなみに北朝はなかったことになります。翌年、直義は尊氏に降伏し、その後死没します。こうして関東・畿内では観応の擾乱は終息するのですが、九州ではまだ戦いが続きます。直冬は鎮西管領一色氏にやぶれて九州を退去。しかしその一色氏も小弐氏に敗れて九州を退去。懐良親王らの征西将軍府勢力は北上し、大宰府を制圧します。

一方、この構図の激変により貞久も南朝に寝返るしかなくなります。ちなみにこの時貞久は80歳代で隠居を願い出ています。晩年まで苦労した人です。しかし南朝に寝返ったおかげで、ついこの間まで貞久が戦ってきた南方国人と連携することが可能になり、貞久の息子氏久(うじひさ)は彼らと手を組んで大隅国に攻め込みます。大隅国は畠山直顕を中心にほぼ直冬方となっていました。この結果、畠山直顕は敗北して、おそらく逃走したと思われます。こうして島津氏は念願の大隅国支配を実現しました。

ところで、九州を退去した一色氏の代わりに幕府によって送り込まれたのが足利一門の有力武将、斯波氏経(しば・うじつね)です。ここで斯波氏経には、九州支配のため2つの権限が与えられました。1つ目が寺社本所領半済給付権、2つ目が闕所地預置権です。1つ目は、寺社領から年貢を半分徴収できる(=半済(はんぜい))権利、2つ目は敵方の土地(=闕所地(けっしょち))を恩賞として与えられる権利です。ところが、なぜかこの闕所地に薩摩・大隅が入っていました。これに貞久は激怒。貞久は「自分はずっと武家方として戦ってきたのに敵扱いされるとはけしからん」と長文の書状をしたためて抗議します。この書状は「薩隅日三か国すべてが「名字の地」である」というかなり盛った歴史認識が披瀝されている点でも重要です。ちなみにこの書状を受けた義詮(将軍、尊氏の息子)は「その件は斯波にお任せする」というよくわからない対応をしています。幕府の方でも、もはや敵と味方が誰なのかわかっていないくらい混乱していたのかもしれません。

ともかく、島津氏にとって薩隅日三か国すべてを手に入れる、ということは単なる支配領域の拡大のみならずアイデンティティに関わる問題だったようです。貞久は、二男の師久(もろひさ)に薩摩国守護を、三男の氏久に大隅国守護を相続させ、後にそれぞれ総州家・奥州家となります。この時点では島津氏は大隅国を完全に平定しているわけではありませんでしたが、氏久は積極的に大隅支配を進めます。その際注目すべきことは、自分の所領でない所、さらには何の権限もない日向国までも宛行(恩賞として土地を与える)を行っていることです。橋本紀昭氏はこれを幕府から与えられた所領や守護職の権限に基づかない「独自の知行制」としています。

どうして氏久はこんな勝手ができたのか。それは、懐良親王や足利直冬がその正統性はあやふやながらもスピード感を持って文書を発給し歓迎されたことが背景にありそうです。これまでの激動のほんの一部を書きましたが、これでたった30年しか経っていません。申請から発給まで数か月かかっていた「軍功認定のシステム」では遅すぎると武将たちが考えるのも無理はありません。こうして奥州家は独自の判断で恩賞を与えることで急速に成長し、これが島津本宗家を形成していくことになります。

以上が講演で説明があった時代の概要です。南北朝期はあまりにも複雑なので、参考文献も紹介されました。佐藤進一『南北朝の動乱』、亀田俊和『観応の擾乱』、そして森 茂暁『南北朝時代』です。佐藤進一さんの『南北朝の動乱』は名著と名高いですが、さすがに60年前の本で内容が古いので、最近出た『南北朝時代』が「読むのは大変そうだけどオススメ」だそうです。南九州では南北朝時代のことは断片的にしかまとめられていないので、ぜひ新名一仁先生に本を書いていただきたいと思っています。

ところで講演を聞きながら疑問に思ったことがあります。南北朝時代、加世田あたりはどうも権力の空白地域というか、めぼしい武将がいないような感じなんです。しかしこの時代、万之瀬川河口ではさかんに貿易が行われていました。貿易があったということは富があったということなのに、なぜ権力の空白地帯なのか……? ちなみにこの時代は倭寇が激しく活動しており、明の洪武帝は懐良親王に使節を送って、懐良親王を日本国王と認めて(!)国交を開こうとしています。対外関係とからめて南北朝時代を見てみるとどうなるのか、このあたりも興味深いですね。

非常に高度かつ他では聞けない貴重な講演をしてくださった新名先生に改めて感謝します。ありがとうございました。