2026年6月17日水曜日

第24回そらまどアカデミア「九州南部の南北朝内乱 ―南方国人の動向を中心に―」を開催します。

7月19日(日)、そらまどアカデミア開催します。

今回はなんと! 中世島津氏研究の第一人者、新名一仁先生にご講演いただきます。

新名先生は鹿児島で著名なので紹介の必要はないと思いますが、一般向けの本もたくさん出されています。例えば『「不屈の両殿」島津義久・義弘——関ヶ原後も生き抜いた才智と武勇』(角川新書)は、戦国島津を語る上で外せない本です。また『島津四兄弟の九州統一戦』(志学社選書)は最近復刊されました。

鹿児島では長年「島津義弘(か四兄弟)を大河ドラマに」という声(運動)があるのですが、もしこのテーマで大河ドラマが作られるとすれば、新名先生の研究が第一に参照されることは間違いありません。

が、新名先生の研究はいわゆる「戦国島津」だけに収まりません。

むしろ、その前提となる室町期の南九州の研究を熱心にやってきたのが新名先生です。そして新名先生は、島津氏だけでなく「国人(こくじん)」と呼ばれる土着の勢力についても詳細に分析されてきました。そこで今回、特にゴタゴタしていてややこしく、敬遠する人が多い(!?)南北朝期の南九州についてご講演いただくことにしました。

南北朝期というと、天皇家が北朝と南朝に分かれ、幕府・武士もそれに応じて戦った…と理解されていると思いますが、これがなかなか複雑です。特に九州は南北朝の争いと国人の勢力争いが組み合わされて複雑な様相を呈します。

その台風の目の一つとなったのが懐良(かねよし)親王です。南朝の後醍醐天皇が皇子懐良親王を「征西将軍宮」として九州に派遣し、鹿児島に上陸するんですね。懐良親王は谷山に拠点を設けて勢力を糾合し、南朝の一大勢力が鹿児島に出来るのですが、同じ時期に幕府の内訌で九州に下ってきたのが足利直冬(ただふゆ)。彼は足利尊氏の非嫡出子で、幕府の権威をまといつつも幕府とは対立していました。そんなわけで南九州では幕府・南朝・直冬の三つ巴の戦いが繰り広げられます。しかも島津氏も国人も、寝返ってばかりで誰と誰が敵なのか味方なのかもよくわからない状態になっていきます。というか私もさっぱり分かっていません。

というわけで、新名先生にジックリと南北朝期の南九州についてご講演いただき、戦国島津氏が九州の覇者となっていくその前史を学んでみたいと思います。

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第24回 そらまどアカデミア

九州南部の南北朝内乱 ―南方国人の動向を中心に―

講 師:新名一仁

約60年にわたった南北朝の内乱は、九州南部にも大きな影響を与えました。特に薩摩半島の「南方国人」は、南朝方・征西将軍宮方として島津氏一族の支配に強く抵抗しました。この内乱の流れと南方国人の動向を解説します。

日 時:7月19日(日)14:00〜16:00(開場13:00)
場 所books & cafe そらまど (駐車場あり)
料 金:2000円(ドリンクつき) ※中学生以下無料
定 員:15名
要申込申込フォームより、または店頭で直接お申し込みください。※中学生以下は無料ですが申込は必要です。

<講師紹介>
1971年宮崎市生まれ。鹿児島大学法文学部人文学科卒業、広島大学大学院文学研究科博士課程後期単位取得退学。博士(文学、東北大学大学院)。専門は九州南部政治史。宮崎市教育委員会文化財課市史編さん室専門員。 

第23回そらまどアカデミア開催しました。「ヘタでも挑戦するのが大事」

第23回そらまどアカデミア開催しました。

今回お話しいただいたのは、南日本新聞で「鹿児島つれづれ小咄(こばなし)」を毎日連載している永田祥二さんです。

永田さんにご登壇いただくことになったきっかけは、約1年前に開催した画家の佳月優さんの講演です。佳月さんは若い頃、友達の「ナガタ君」と巨匠の絵画の分析を熱心に行います。この分析が佳月さんの話の中核だったのですが、その「ナガタ君」が永田祥二さんだというご縁で今回講演を依頼しました。

【参考】第18回そらまどアカデミア開催しました。「芸術には一致したものがある」
https://nansatz-kurashi.blogspot.com/2025/06/18.html

永田さんは、もともと絵描きになりたいという希望を持っていました。受験に失敗し、将来が見えない20代、同じ志を持つ佳月さんと切磋琢磨します。永田さんが特にこだわったのが構図です。

永田さんは、巨匠たちの絵画がいかに巧妙な構図で構成されているかを力説します。雲や背景の樹木など何気ないものが画面を黄金比(1:1.618...、最も安定した美しい比率とされる)で分割しているそうです。一方、障害のある子どもたちはそんな計算はしていないはずなのに、すばらしい絵を描いています。それは「生きる」「障害を克服する」という強い気持ちが画面に現れ、最も安定する配置に落ち着くからなのかもしれません。絵画について語る永田さんはとにかく熱い!

ところが、残念ながら永田さんは画家にはなれませんでした。そこで実家の稼業だった建設コンサルの仕事に従事します。この他、「環境商材を取り扱う会社の社長もしたし、居酒屋を2軒経営していたこともあります。友人とデザイン事務所をやっていたことも。でも全部廃業してしまいました。自分にはマネジメント能力がなかったんだと思います」。

そんなうまくいかない仕事のストレス発散をしようと、永田さんは文章を書き始めます。絵を描くには画材などお金がかかりますが、文章ならお金がかからないから、ということだったそうです。そして「南日本文学賞の賞金30万円に目がくらんで応募しました」。その時の作品は、子供時代のことや自分の人生の失敗を題材にしたものだったそうですが、これが「まぐれで最終審査に残りました」。しかし! 南日本文学賞の最終審査は観客も集めて公開で行われるのですが、ここで「僕の作品がボロクソに言われました」。

その時に大賞だったのが岡村知鶴子さんの小説「かなくそ坂」でしたが、岡村さんの親類がやっている居酒屋に行ったら「ここでやめたら男じゃない」とさんざんそこの人に言われます。人生に必要な叱咤激励って、意外なところから飛んできますよね。

そこで永田さんは発奮してまた小説を書きます。測量の仕事で行っていた喜界島で聞いた、一度も島から出たことがない人が持つ霊感と狐の嫁入りを組み合わせて書いた「狐の行列」という小説でした。これが翌年(2009年)の南日本文学賞を取ります。しかもこの年は5年に一度の南日本文学大賞の年でした(賞金100万円!)。

でも永田さんは、その小説をよくできたものだったとは言いません。むしろ「ヘタなのを開き直って書いた」と言います。「前年、ボロカスに言った遠慮があって賞をくれたのかもしれない(笑)」。ただ、審査員の佐々木幹郎(みきろう)さんに「文章が絵画的だ」と言われたのは嬉しかったそうです。「今読んでも、光や色のイメージが自然に書けていたと思う」。

これに気をよくした永田さんは、いろんな賞に応募してそれなりに受賞します。「このころは純粋な気持ちで書けていたと思います。でも次第に調子に乗ってしまって、かえっていいのが書けなくなった。ヘタでもいいから、自分の書きたいものを素直に書くということができなくなっていたんですよね」。結果、賞には落ち続けます。それでも書くことはやめなかったそうです。

しかし事業も行き詰まり、お父様の介護もやらなくてはなりませんでした。「南さつま市のゴミ出しカレンダーの広告を取る仕事もしたんですよ。その時に病院と葬儀屋の広告を並べて配置するという大失態も犯しました」。それにしてもいろんな仕事をしてますね。そしてついに、手掛けた事業を畳まざるをえなくなり、50代で失業します。

「ハローワークに行ったら、介護職なら働けると言われました。南日本文学賞を取ったとか全然関係ない」。これが転機になります。老人ホームでは、幽霊を見るなど不思議な体験もあり、また日々いろんなトラブルが起こります。そういうことを書き留めておいたところ、新聞で『メーター検針員テゲテゲ日記』(川島 徹)の広告を見て、「テゲテゲといえば鹿児島の人だろう。鹿児島の人が出しているんなら、介護の話で自分も書ける」と思い、出版社の「三五館シンシャ」にメールを出します。

ちなみに「三五館シンシャ」は、いわゆる一人出版社で、社長がいけると思えばすぐに本が出せるというスピード感のある会社でした。社長が「じゃあ5本送って」というので永田さんが10本送ったところ、「あと5本送って」と言われ、その次には契約書が送られてきたそうです。こうして世に出たのが『非正規介護職員 ヨボヨボ日記』です。

永田さんが本を出した「日記シリーズ」では、最初に出た『交通誘導員ヨレヨレ日記』(柏耕一)も7、8社から断られたそうです。しかし「三五館シンシャ」がこれを出したところ大ヒット。「日記シリーズはこれまで26冊出ていますが、人生に失敗した人がキツい仕事をしているのをウソなく書いているから面白い」と永田さん。永田さんも当時勤めていた施設について言いたい放題書いていて、施設にバレたらまずいため真山剛というペンネームで書きました(笑)。

この『非正規介護職員 ヨボヨボ日記』が「まあまあ売れて、これのおかげで借金が返せました」。そして介護職のリアルが書いてあるということで共同通信社(新聞社等にニュースを配信する会社)の目に留まり、永田さんは約30紙に掲載されるコラムを連載します。

そして南日本新聞で「鹿児島つれづれ小咄」を毎日連載することになります。これまで(=講演当日まで)に約520本書いているそうです。「よくネタに困らないねと言われますが、上手に書こうと思わないから書けている。割り切って思ったままを書くんです。くだらないことばかり書いていてすみません」と永田さんは笑います。

ここから、永田さんの書くコツの話になりました。結構たくさんあるので簡潔にまとめます。

  • 自分の職業の話を書くのはよい。他の人が知らない業界の話は面白い。「日記シリーズ」に挑戦することも勧める。文学賞でも、私は土木業界で働いていたからそれが他の人にはない視点となって評点が高くなった。
  • 小説を書くときは、カレンダーの裏紙のような大きな紙に時代背景・登場人物・いきさつなどを書き、線で結んだり色分けしたりしてまとめていくのがいい。一枚の紙だから破綻があったらすぐわかる。そしてそれを自分で面白いと思ったら作品にする。面白いと思えなかったら無理に作品にしない。
  • 小説は最初の4、5ページで面白くなかったらもう読まれない。最初からどうなるかわかるようではだめ。調べて書いても面白くないので実体験に基づいたものがよく、しかも予定調和にならないように書く。
  • 規定枚数60枚の小説を書くなら、まず80枚書いてみる。そしてそれをどんどん削っていく。少なく書いて足すのは絶対に面白いものにならない。
  • 書いたら必ず誰かに見てもらう。私のエッセイの最初の読者は妻。「つれづれ小咄」は30本出したら10本は妻からボツを食らう。読んでくれる友達もいる。そういう人から手厳しい批判をもらった方がいい。
  • とにかく挑戦する。全国に文芸作品のコンテストがたくさんある。自分が好きな作家が審査員をやっているコンテストに出してみては。

他にもいろいろありましたがこのあたりで。そして短編やエッセイの参考になるオススメの作品もたくさん紹介されました。例えば、向田邦子『思い出トランプ』。宮本輝『五千回の生死』、三浦哲郎『短編集モザイク』(シリーズ)、堀江敏幸『雪沼とその周辺』、川端康成『掌の小説』(特に「バッタと鈴虫」「男と女の荷車」「金糸雀」)、東海林さだお「丸かじりシリーズ」、写真家の武田花さんのエッセイ、マンガではつげ義春がおすすめだそうです。

そして文章を書いて生きていく、ということについて「僕が若いころに比べて、比べものにならないくらい機会がある」と言います。「(ブログサービスの)noteに書いていて出版された人もいますし、鹿児島でも40代のオバさんなのに美少年のふりをしてBL小説(ボーイズ・ラブ)を書いて生活できるほどお金を稼いでいる人もいます。あまり人には言えないような文筆代行をしている人も。鹿児島でも文章を書いて飯食ってる人ってけっこういるんですよね。最近は自分で本の形にするのも結構簡単にできます。作家の穂村弘さんは、自分で300万円かけて本を作って何十社かに送って、それが高橋源一郎さんの目に留まって成功しました。やっぱりチャレンジすることって大事。僕の挑戦が50歳からだから」。

そんな永田さんの次なる目標は。

「もう一回、文学の勉強をしたい。大正・昭和の作家は文章がしっかりしている。ああいうのを見直してみたい。それから、一度はあきらめた絵もまた勉強したい。そのためには石膏デッサンからかな。そしてマンガも描いてみたい。今はYouTubeでも書き方指南の動画がたくさんあるので挑戦したい」。

最近、私はだんだん加齢を感じてきて「もう新しいことへの挑戦はなかなか難しいなあ」と思っていたのですが、永田さんのこの姿勢を見習いたいと思います。

ところで、永田さんは「つれづれ小咄」などご自身の文章について「くだらなくてすみません」とか「ヘタな文章」と何度も言っていました。最初は謙遜かなと思っていたのですが、実は深い意味があるのではないかと思わされたのが絵の話との対比から。割愛しましたが、永田さんの話には「例えば絵画だと…」のように絵の話が差し挟まれ、その時にはすごく饒舌になります。巨匠の絵がいかに巧妙な構図に基づいているかという話を聞いていると「絵はヘタでもいい」というような感じは一切しませんでした。なのになぜ文章になると「ヘタでもいいから書いたらいい」と言っているのか……⁉

私はむしろ、永田さんは「ヘタな文章」に積極的な意味を見出している感じがしました。永田さんはAIが書く文章について「すごく上手だと思う。でも文章に”遊び”や無駄がない。AIにヘタな文章を書けといっても多分書けないんじゃないか」と言います。「だから僕みたいなヘタな文章を書く人間がいた方が面白い」。

私自身、長く文章を書いてきて思うのですが、そつのない文章はそれなりに書けるようになります。しかしそつのない文章を書くために削ぎ落とされるものも多い。以前、山口文憲さんの『読ませる技術』という本を読んだときに、作者が実際にエッセイ教室で行った添削の事例が掲載されていました。これがなんと、添削前の作品の方がずっとよかったのです。添削後の作品は、そつのないものになっていて、今でいえばAI的なのです。エッセイ教室は書く技法を教える場所なので、その添削は需要に応えるものだったのだと思います。しかし読者として見ると、添削前のみっともない作品の方がよかった。補正して作った美女の顔より、深いシワが刻まれた素顔の方がすっと面白いのと一緒です。

永田さんが自分を「ヘタ」と「開き直って」いるのはこれに通じるものがあります。もしかしたら、永田さんは「上手に書くこと」が目的にならないように自戒されているのかも? それが永田さんがいろいろな経験をしてきて体得した文章技法なのかもしれません。

2026年6月12日金曜日

今年は田んぼの草取りに難儀しています

南薩では、今年の5月は平年の半分しか降雨量がなかったそうです。

そのため、なかなか田んぼに水が溜まらない区画があったのです。そのうちの一区画は、全く水が干上がってカラカラに乾いてしまいました。別の区画は、水が入ったり入らなかったりでした。

カラカラに乾く場合は意外と雑草は生えないのですが、水が入ったり入らなかったりする時に一番雑草が生えます。そんなわけで、冒頭の写真のように草だらけになってしまった場所があります。そんなに広い面積ではなくても、これを手で草取りしようと思うとかなり大変!

しかしこれを放置していると、稲がなかなか伸びないのです。化学肥料を入れていたら、雑草が多少生えていても生育はします(もちろん、生育は悪いですよ)。ところがうちの場合は化学肥料は全く入れておらず、今年は前作のレンゲのみです。非常に肥料分を少なくする栽培法をしているので、雑草が生えていると生育自体しないのです。

そこで、この2週間ほど手で草取りしています。この3年ほどは田んぼの草取りにあまり苦労していませんでしたが、今年はなかなか大変です。びっしり草が生えているのですごく時間がかかります。

それにしても、このびっしり生えた草、なんという草だろう。……と思って調べてみたら、「タケトアゼナ」という植物のような感じ。北米からの外来種だそうです。こんな草、以前生えていたかなあ……?

ちなみに、本当は5月中に草取りしないと生育の遅れが大きいのですが、田んぼに水が入っていないと草取りはできないのです。結局、田んぼは水がないとダメ!

ちゃんと収穫できるよう、しばらく草取りを続けます。

2026年6月4日木曜日

ZINEフェス鹿児島でゲットしたZINEを紹介します!

5月31日に初開催された「ZINEフェス鹿児島」へ出店しました。

直営店「books & cafe そらまど」で製作している文芸誌『窻(まど)』の販売と広報が目的です。『窻』は、ちょうど第4号が出たばかり(正確には、6月1日が刊行日でしたので1日フライングでしたけど)。第4号は100ページを超え、たくさんのご寄稿をいただきましたが、それでも執筆者は直接の知り合いがメインなので、新しい出会いを求めての出店でした。

【参考】文芸誌『窻(まど)』
https://sites.google.com/view/soramado/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/%E6%96%87%E8%8A%B8%E8%AA%8C%E7%AA%BB
※第5号へ向け「見た目と中身」をテーマにしたエッセイを募集中です(〆切 2026年10月31日)

↓『窻』第4号はインターネットでも販売しています。
https://books-soramado.stores.jp/items/6a20ddd46e3db50045784403

いやー、それにしてもびっくりしましたね。会場の人の多さ!

出店者数にも驚きました。正直「鹿児島にZINEを作っている人がこんなにいるの!?」と半信半疑でした。県外から来られている方も3割程度いたと思いますが、メインは地元(宮崎南部含む)の方でした。

しかし開始時間前は、「出店者がこれだけいてもお客さんはガラガラだったりして…」と心配していました。入場料も300円取りますし。ところが、入り口には11時の開場直後からたくさんの人が列をなしました。私はその時間帯にちょうど受付をしていたのですが、開場後20分で100人以上の人が来たような気がします。鹿児島にもこんなにZINEに興味を持っている人がいるんですね。

というわけで、大盛り上がりだった初開催の「ZINEフェス鹿児島」。当日会場でゲットしたZINEの一部をご紹介します。なお作者の後のアカウント名の無印はInstagramです。

『手の中の殺人』(上下) 作者:唯野 @yuno.youknow_uno

今回手に取った中でダントツに面白く、そしてダントツに安かった作品(なんと上下合わせて200円!)。以前スマホにメモしていた推理小説(連続殺人)のアイデアをしばらくたってから発掘し、そのアイデアを作品にしていくという作者の苦闘が面白おかしく書かれています。下巻はその推理小説そのものがメインで、これも面白い。小説の主人公は女性ですが、「女言葉」を使っていないのもGood! メタフィクションながら、作者の個人的経験(怨念?)がフィクションに浸食していくバランスも面白い。ただし作者の方が「イベント直前の入稿になったので誤字が多いです!」と苦笑しながら言っていたように、誤字が多いのとクセのあるフォントを使っているのが惜しい。改訂版希望! 

『友人と二人で行った! ハンガリー ブダペスト旅行記 in 2017』 作者:唯野  @yuno.youknow_uno

上と同じ作者の作品。これも素晴らしい。変に面白くしようとしないで、ありのままを書いているような感じなのがいいです。しかし読者を意識していないのではなく、ちゃんと第三者にわかりやすいように書かれています。そもそもこの方は文章がうまい。商業的な本の場合、読者が価値を感じるもの(すごく面白い、ためになる等)にしなくてはならないという力みがあると思うのですが、この作品はいい意味で力が抜けていて、なのに力作!

『テレビ番組 ダホンの極楽ラーメン天国ができるまで』 作者:ダホン @dahon.honda @dahon_honda[X]

今回のZINEフェスでは、イラスト系ではなく文章の作品を買おうと思っていましたが、この作品はパワーに圧倒されてつい購入。ラーメン好きの作者による、「自分がテレビのプロデューサーだったらこういうラーメン番組を作るんだけど」という妄想マンガ。マンガのクオリティが高い上に、登場人物の設定が妙に作り込まれていていかにも妄想が暴走している感じ(笑)。実在のラーメンが登場している(らしい)のに、店名が明かされないのは焦らしでしょうか。私は「ラーメン鷹」しか分かりませんでした。全然ダホン(=駄本)じゃないです(※ダホンは「本田」のアナグラムでたぶん「駄本」の意味ではないです)。

『&Amami, &me vol.1』 作者:佐々木愛美

奄美へ移住した著者が、移住者・二拠点生活者のインタビューを中心に奄美ライフを紹介する雑誌(という体のZINE)。インタビューされている人のうち一人(海野めぐみさん)は、おそらく著者自身。この作品は商業誌に劣らないクオリティー。うーん、隙がない!

『〈改訂!〉僕の職場自慢を聞いてくれ!』 『僕の自慢の職場話を聞いてくれ!』 作者:宗谷五百枝 @aunuki_sooya[X]

仕事が出来て個性的なキャラばかり、その上和気藹々としているという、「こんな職場で働きたい」と思わせる作者の職場を描いた作品。特に中心となっているのは同僚の面白話で、「名前とか変えてるだけで全部実話!」とのこと。「もし会場にこの職場の方が来たら、私は跡形もなく退散します」と作者。ただし、個人の特定を避けるという以上に、名前だけでなくあらゆる部分がぼかされています(例えば仕事内容)。内輪ネタはディテールがちゃんと書かれるほど面白いので、炎上覚悟でもっとリアルに書いて欲しかった(笑)!  ただし、この作者自身は面白おかしい作品よりも、細かい人間観察や社会の機微の考察が向いている人かもしれないとも思いました。

『デッドストック 01』 作者:CHIAKI FUJITANI @fjtncak @fjtn_c[X]

商業出版でも活躍するフリーライター藤谷千明さんが、商業誌に使えなくてお蔵入りになっていたエッセイ3つをまとめた作品。この方は自分のことを書くのがうまい。ZINEは自分や周りの人が題材になることが多いですが、いわゆる「身バレ」の配慮や自己開示への不安からなのか個人的な情報がそぎ落とされて内容が抽象的になっているものがよくあります。でも結局面白いのはディテールの方。この作品は、(有り難くない)家族のこと、自衛隊で働いていたことなど、あまり人に教えたくないようなことを実にうまく書いています。だけど個人情報は書いていない。さすがプロ!

『63才母×39才娘 背中合わせでシャウトする』 作者:岡田薫子・畑中宇惟 @okadakaoko

母と娘によるエッセイ・往復書簡・映画レビューなどとまとめた作品(それぞれの作品が掲載されている)。 そもそも、どうして母娘でZINEを共作したのだろうと思いましたが、作中には製作の事情は書いてありませんでした。しかし母娘で共作しただけですごい。普通ないですよね。「シャウトする」とありますが、作中では別段シャウトしているわけではなく、人生のままならなさについて静かに語っています……と書いて見直したら、畑中さんがブルーノート東京について「ここはスノッブでいけすかねえ。(中略)トイレで高尚ぶるな!暗すぎておしっこの色が見えないだろ!」とシャウトしていました(笑)。

『働かれぬ昼のために』 作者:丘本千尋 @F3eRu @F3eRu[X]

新卒で初めて配置された部署が、高スキルを要する激務部署だった! その部署では新卒で何のスキルもない作者に仕事を教える余裕もなく、結果として作者は放置され、観葉植物に水をやる程度の仕事しかさせてもらえないという「社内ニート」になります。この暇すぎる仕事時間に考えたことが連ねられた作品。「私はもう自我が溢れちゃって溢れちゃって日々困っている」と作者自身がいうように、暇な時間、意識は常に自分そのものへ向かっています。なんだか痛々しくさえある。タイトルも内容も、ヒルティ『眠られぬ夜のために』のパロディだと思われます。 

『大凡1850年のハナシ』 作者:清水 實 @minoru_43[X]

鹿児島に「B.B.13 BAR」というめっちゃオシャレなバーがありますが、作者がそこで出会った1850年製の「マデイラワイン」という特殊なワイン(なんと半永久的に保存可能なんだとか!)に触発されて、1850年あたりの世界についてまとめた8ページの作品。正直いえば、もう少し情報豊富だったらよかったなあと思う部分もありますが(作者は調べたことをすごくギュッとまとめている)、こういう短い作品が作れるのもZINEの良さなのかもしれません。

『ビストロ・ガールフレンズ』 作者:鳩村澪 @hatopoppomio @hatomuramio[X]

聞き慣れないコース料理を題材に、女性二人の食事を描いた連作短編集。この作品は内容もうまいですが、装幀、というか表紙にびっくり。タイトルもなにもなし! 即売会で売るのだと思えば、これでいいのか! ちなみに、この装幀は、高級なレストラン(や結婚披露宴会場)で席上に置かれるメニュー表を模していると思われます。 ZINEは自由ですね。

なお、上で紹介した作品は、「books & cafe そらまど」の店頭で販売します(「転売禁止」と書かれた作品はありませんでした)。ぜひ手に取ってみてください。 

2026年5月20日水曜日

第22回そらまどアカデミア開催しました。「心の動き」を描いてきた少女マンガの世界

第22回そらまどアカデミア開催しました。

今回ご登壇いただいたのは、そらまどアカデミアは3回目の登場となる四元誠さんです。前回と前々回は戦前・戦中・戦後の絵本についての講演でしたが、今回のテーマは少女マンガ誌の「りぼん」です。SNSにアップされた四元さんの本棚の写真に、持っている人が少ない昔のりぼんコミックスがたくさん並んでいたので、「りぼん」をテーマに講演をお願いしたんです(でも後から聞いたら「マーガレット」の方がコレクションの中心だったとか(笑))。

四元さんが貴重な昔のりぼんコミックスを手に入れたのは、将来古本屋になるために古本屋でバイトしていた10代の時。ダブりの少女マンガが大量に廃棄されそうになっているのを見て「じゃあ僕が買います」といって手に入れたんだそう。もちろん当時は貴重なものではなかったのです。この時手に入れた70年代のマンガが四元さんのコレクションの核になります。それにしても、10代でもうコレクター気質が開花してますね。

少女マンガ誌「りぼん」は昨年2025年で創刊70周年でした。「りぼん」が生まれたのは1955年です。どんな状況で創刊されたのでしょうか。

戦後、ベビーブームが起こって1947~49年には年に250万人もの子供が生まれ、子供向けの商品の需要が高まります。そんな中で売れていた雑誌に「少女」(光文社)があります。これはマンガも掲載されてはいますがマンガ雑誌ではなく、挿絵つきの物語(絵物語)が中心です。ちなみに人気子役だった松島トモ子さんはこの「少女」の表紙を一人で10年間務めました。松島さんのパッチリした瞳が、後の少女マンガの目の表現に影響を与えているのではないか? というのが四元さんの考え。

53年にはテレビ放送が始まり、人々の気持ちがビジュアルなものに向かっていきました。一方、戦争中に休眠していた集英社は47年に復活し、51年に「少女ブック」という雑誌を創刊します。これもマンガ雑誌ではなく絵物語が中心で、対象は中学生くらいだったと思われます。そしてより低年齢を対象とした姉妹紙として創刊されたのが「りぼん」です(それにしても「少女ブック」から「りぼん」とはネーミングセンスが大きく飛躍しています)。

ただし創刊当時の「りぼん」もマンガ雑誌ではなく絵物語・写真物語がメインでした。マンガは、折りこみみたいな形式で雑誌本体と別に綴じ込まれていました。そんな創刊当初に連載されていたマンガに『ぼんこちゃん』があります。作者の上田トシ子さんは当時珍しい女流漫画家で、その波乱万丈の生涯は『フイチン再見』(村上もとか)で近年マンガ化されています。

60年代に入って、バレエマンガで大人気となったのが牧美也子さん。リカちゃん人形を監修したのもこの方で、あのビジュアルは牧美也子さんの絵柄! この方は松本零士さんの奥さんになります。なおバレエマンガを流行らせたのは「少女」でマンガを描いていた高橋真琴さん(男性)という方。この方は瞳にキラキラとした星を入れるという表現を完成させた人で、しかも3段ぶち抜きというコマ割りを開発したのもこの方だそうです。しかしマンガを描くのは5年くらいでやめてしまい、イラストレーターに転向しました。

マンガの本流はやはり少年マンガだったので、少年マンガ誌には作家がひしめいていて新人がなかなか描かせてもらえませんでした。逆に少女マンガでは人材が不足していました。なので、男性マンガ家が少女マンガで活躍していきます。そんなわけで「りぼん」から出て人気になったのが『ひみつのアッコちゃん』(赤塚不二夫)や『魔法使いサリー』(横山光輝)。石ノ森章太郎さんや松本零士さんも「りぼん」で描いていました。

この頃の「りぼん」は男性マンガ家、男性編集者が中心で作っており、マンガ自体も女の子が主人公なだけで少年マンガと同じようなものでした。その状態から、いろいろな工夫によって「少女マンガ」が形成されていきます。少年マンガが事件や勝負という出来事中心である一方で、少女マンガは会話が中心となります。そして会話中心だと画面に動きがないので、余白に花を散らすといった独特の空間表現が生まれていきます。

四元さんがこの時代の「突出して面白くて重要な作品」と評価するのが『ハニーハニーのすてきな冒険』水野英子)。作者の水野さんはかのトキワ荘にいた方。手塚治虫さんの手法を少女向けに応用して作られ、しかも少年マンガとは違う内容を持つ作品で、アニメ化もされました。

60年代には、ベビーブームが終わり、少年少女雑誌が立て続けに廃刊になっていきます。マンガの質を上げて読者を確保しなければ生き残っていけないという危機感から「りぼん」がやったのが「新人マンガ賞」。第1回で賞を取ったのが、一条ゆかりさん、もりたじゅんさん、弓月光さん(男性)の3人です(大賞不在)。このうち、一条ゆかりさんは少女マンガをリードする存在となり、弓月光さんは後に青年マンガ誌でちょっとエッチなマンガを描くのでも有名になります。

四元さんが注目するのはもりたじゅんさん。この人は一時期だけあった「りぼん」の姉妹誌「りぼんコミック」で前衛的な攻めた作品を発表しました(“りぼんマスコットコミックス”(=単行本)とは別でマンガ雑誌です)。『うみどり』では近親相姦をテーマにし、『キャー!先生』では原爆症らしき主人公を登場させてハッピーエンドとは言い切れないラストを描きます。『ごくろうさん』では、働く女性(女性警察官)がテーマになっています。この頃、「りぼん」は読者層を意図的に引き上げようとしている(というより「りぼん」から”卒業”させない)ことも、こういう作品が生み出された背景にあるそうです。「りぼん」が攻めた作品発表の場になっていたとは面白いですね。ちなみにもりたじゅんさんは本宮ひろ志(『サラリーマン金太郎』)と結婚し、本宮さんのマンガの女性キャラはほぼもりたさんが下書きしているそうです。

このような流れでついに70年代を迎えます。70年代では、ちょっと大人びたマンガ、難しいマンガが「りぼん」から生まれます。例えば古代エジプトのアクエンアテンの宗教改革を描いた歴史マンガ『ナイルの鷹』(のがみけい)。すごい凝ったテーマです。美大を出ていて画力がものすごかったのが大矢ちきさん。大矢ちきさんは本格的な絵のマンガを描きました。一条ゆかりさんはその画力にほれ込んで大矢さんをアシスタントに雇い、『デザイナー』で主要キャラを描かせています。

「ちひろのお城」(『蕗子の春』所収)(千明初美)は、今でいうASD(自閉症スペクトラム症)を思わせる子が取り上げられ、「今見ても参考になるくらい、ASDの子の特徴が全てまとめられていて、周りがどう接するべきなのかもちゃんと書かれている!」。山岸涼子さんの本格的バレエマンガ『アラベスク』も第1部は「りぼん」連載です。

もちろん、こういう尖った作品ばかりでなく、小学生向けの作品も連載されているのですが、大人的すぎるマンガを掲載することでやや読者が離れていった様子もあるそうです。こうしたことの反動なのか、70年代後半には「乙女ちっく」と言われることになるマンガが一世を風靡します。

「乙女ちっく」の世界観を確立したのが陸奥A子さん(四元さん最大の推し!)。特に『たそがれ時に見つけたの』は40万部を超えるヒット作となり、その登場から7~8年で爆発的に「りぼん」の世界が作られていきます。四元さんによれば陸奥A子さんは「絵がヘタ!」。それまでの本格的な少女マンガの人たちと比べて明らかに線がフニャフニャしていてバランスが悪い。このバランスが崩れた(デフォルメされた)絵が「乙女ちっく」の世界観の一助となったのかも。また田渕由美子さん(『フランス窓便り』)も「乙女ちっく」の代表的な作家。

「乙女ちっく」とは、四元さんなりの説明では、「ちょっと内気でちょっとドジ、好きな人の前では恥じらってなかなか物語が進展しない、なんの才能もないがここぞという時には度胸がある普通の女の子が普通の男の子に恋する、ほほえましい恋を描いたラブコメ」の世界観。なんだか当たり前の少女マンガの説明みたいですが、「少女マンガといえば恋愛、と思っている人が多いんですけど、恋愛が描かれるようになったのが70年代」とのこと。つまりこの「乙女ちっく」の少女マンガが一世を風靡したことで、少女マンガといえばこういうものというイメージが作られたということになります。

陸奥A子さんは「普通の女の子の普通の恋」という、ドラマチックでない題材を真正面から描きます。その手法を一言でいうと、心の動きを絵ではなく文章で表現するということです。四元さん曰く「陸奥さんは絵に自信がなかったので文章中心の表現を模索したんでしょう」。そして「セリフでもない、ト書きでもないポエムみたいなのが話の途中でガーっと挿入されます」。心の動きが中心になったことでモノローグも多用。対話劇に「心の動き」が重層的に挿入されていきます。

こうした手法は読者に強く受け入れられ、70年代後半の「りぼん」は男子大学生までが読むものになります。東大には「東大リボニストの会」が早稲田大学にも「早稲田おとめちっく倶楽部」があったくらいだそうです。

このあおりを食らったのが一条ゆかりさん。一条ゆかりさんの『5(ファイブ)愛のルール』(大人の世界を描いた作品)が打ち切りになります。仕事をする大人の女性を描いた作品ですが、もはやそういう作品は「りぼん」に合わないものになっていました。しかし一条ゆかりさんはめげずにドタバタコメディの『こいきな奴ら』をすぐに連載開始します。ちなみに一条ゆかりさんはこの打ち切りに憤懣やるかたない思いを抱えていたようです。

なお、ポエム的モノローグの挿入は、少女マンガ以外でも応用されて大きな影響を与え、現代のマンガにも引き継がれています。最近のマンガでも羽海野チカさんの『3月のライオン』はモノローグが多用され、フキダシの言葉の背景に心の言葉が、その奥に微妙な心の動きが…と重層的な表現が見られます。ちなみに、四元さんによれば「こういうところがよくわからんと男の子には敬遠される」とのこと。確かにそうかもしれません。

ところで少女マンガというと、必ず語られるのが「花の24年組」です。昭和24年周辺生まれの、萩尾望都さん・山岸涼子さん・竹宮惠子さんなど一群のマンガ家のことで、SFやファンタジー、同性愛などの少女マンガとしては前衛的なテーマを取り上げ、文学的な表現を追求して長く残る作品を残しました。でも四元さんは「そういう作品は、70年代のりぼんでもあった」と言います。「花の24年組の人たちは、「少女コミック」(小学館)という媒体に恵まれたことが大きい。「少女コミック」は「りぼん」に比べて部数がずっと少なく、売れなきゃいけないという雰囲気でなかったので編集者がマンガ家に「何を描いてもいい」と自由にやらせた。評論家は大衆的な作品よりマイナーな作品を評価しがちなので24年組の作品が持て囃されるようになったが、むしろ大衆向けという制約の中で攻めた内容を描いた70年代「りぼん」作品はもっと高く評価されてしかるべき」とのことです。

そして、「りぼん」といえば付録についても触れないわけにはいきません。

「りぼん」には創刊号から付録がついています。特に本格的なものが出てくるのが70年代の陸奥A子さんが付録を手掛けた頃からで、ノートや便箋など実用的なものを中心にオリジナル文具・雑貨が付録となりました。特筆すべきは、それらのグッズはキャラものではなかったということです(陸奥さんのマンガがあしらわれたのではなく、グッズのためのイラストを陸奥さんは描いていた!)。今でいう「ファンシー・グッズ」です。付録の「ランチボックス」なんかすごい。当時の女の子で「ランチボックス」なる概念を知っていた人がどれだけいたか。付録ではないですがアイビールックの巻頭特集なんかも組まれています。オシャレでかっこいい文化を「りぼん」が教えてくれていた時代でした。そんな付録も「乙女ちっく」の世界観の確立に寄与しました。

ちなみに同じ頃の「なかよし」の付録は『キャンディ♡キャンディ』のキャラものばっかりだそうですが、80年代に入ると「りぼん」の付録もキャラものになっていきます。好景気でモノがあふれてくるので、付録が消費文化を先導する意味がなくなってきます。

80年代の「りぼん」は、70年代後半に確立した「りぼん」の作風を前面に出していくことになります。70年代にあったような小難しい、大人向け・前衛的な作品は鳴りを潜め、メジャー路線へと舵を切ります。

結果、名作がどんどん生まれます。そんな80年代を代表するのが『ときめきトゥナイト』(池野恋)。82年の6月に連載が開始され、10月にはもうアニメが始まっていますので、最初からアニメ化ありきで企画が進んでいた模様。柊あおいさんの『星の瞳のシルエット』も絶大に人気があった作品。「250万乙女のバイブル」と呼ばれました。この頃、「りぼん」の部数は255万部を記録し絶頂期を迎えました。矢沢あいさん、さくらももこさんのデビューもこの頃です(意外なことに二人はお互いに意識しあっていたとか)。四元さんは80年代の「りぼん」は「名作が多すぎて紹介しきれない」と言っていました。

ちなみに80年代には、主人公だけでなく個性あふれる脇役が活躍するようになります。「個性を大事に」とか言われるようになったのも80年代。一条ゆかりさんの『有閑倶楽部』は、主要キャラ6人が全員主役みたいなマンガです。それにしても一条ゆかりさんは第一線の活躍をずっと続けていてすごい。また80年代には、「自分を信じる」とか「周りの人を大事に」「明日を夢見る」などポジティブなメッセージが少女マンガにはっきりと表れます。

90年代・2000年代についても四元さんは語っていましたが、講演のサブタイトルが「少女マンガでたどる昭和サブカルチャー」なのでここでは割愛します。ただ、2000年代以降のマンガは「70年代の焼き直しが多いが、それはそれで面白い」とのこと。特に『夢色パティシエール』(松本夏実)、『絶叫学級』(いしかわえみ)、『ひよ恋』(雪丸もえ)、『ハニーレモンソーダ』(村田真優)、『さよならミニスカート』(牧野あおい)がおすすめだそうです。

「りぼん」は女の子がマンガを読む入口として機能し、小中学生向けという制約の中でその表現を模索し続けてきました。少年マンガが究極的には「敵に勝つ」をテーマとしているのなら、少女マンガでは「本当の自分に気づく」がテーマかもしれないと、「今回講演のために70年分りぼんの少女マンガを読み直して思った」そうです。少女マンガでは心の内面をどう描くかが非常に重要なポイントでした。

ところで、一世を風靡した「乙女ちっく」は結局どうなったのでしょうか⁉ 「乙女ちっくは、今でもまとめた本が出るくらい人気があるが、実は80年代半ばには早くも限界を迎えた。女性も活躍できる時代になってくると、女性から見ても煮え切らない「乙女ちっく」の姿勢がまどろっこしいと感じられるようになったのだと思う。しかし最近になって、陸奥A子さんがマンガ家として最後の作品として描いたのが、「乙女ちっく」がそのまま成長していったような女性のマンガ。実はその女性はシングルマザーで、自立した大人の女性になっている。つまり乙女ちっくは成長して大人になった」とのこと。

私は「りぼん」って小学校高学年くらいのわずかな時期にしか読まれないというイメージを持っていました。中学生になると「マーガレット」「花とゆめ」なんかに移行していくものだと。そういう人も多かったと思いますが、読者をなるだけ長く引き止めたいという出版社側の思惑もあって、読者とマンガがともに成長していくという長期的な関係もありました。

『ときめきトゥナイト』はなんと現在でも続編が描かれており、主人公の蘭世(ランゼ)ちゃんにはもう孫もいるそうです(!)。『星の瞳のシルエット』も、本編から20年後の『星屑セレナーデ 星の瞳のシルエット another story』が近年連載されました。少年マンガにはこういうパターンはあまりない。主人公が結婚し子供がいるのは『ドラゴンボール』、『NARUTO』などごくわずか。

少年マンガの主人公はずっと変わらずやんちゃ坊主。でも少女マンガの主人公は、読者と一緒に成長していくものなのかもしれません。

四元さんは、いろんなもののコレクターなので、これからもご講演いただきたいと思っています。次回はどんなコレクションが登場するのかお楽しみに! 四元さん、ありがとうございました。

2026年5月17日日曜日

第23回そらまどアカデミア「「表現すること」〜絵画から小説、エッセーへ〜」を開催します。


6月14日(日)、そらまどアカデミア開催します。

今回ご登壇いただくのは、南日本新聞で「鹿児島つれづれ小咄(こばなし)」を毎日載している永田祥二さんです。

永田さんにご講演をお願いするきっかけとなったのが、昨年開催した第18回そらまどアカデミア「絵を描くこと」でした。この講演の中で、画家の佳月優さんが若い頃に巨匠たちの絵の分析をするエピソードがあったのですが、佳月さん以上に緻密な絵の分析をしていたのが友達の「ナガタ君」です。

【参考】第18回そらまどアカデミア開催しました。「芸術には一致したものがある」 
https://nansatz-kurashi.blogspot.com/2025/06/18.html 

二人は感性的・感覚的ではなく、理論的な考えで絵の分析を行っていました。この分析のおかげで佳月さんは白日展で入賞し、その後日展でも特選を2回とるなど画家として大成します。講演の非常に重要な部分をこの「ナガタ君」が担っていたので、会場の皆さんも「ナガタ君とは何者なんだろう?」と思いながら聞いていたと思います。

そして講演の最後に「実はこのナガタ君は、南日本新聞でつれづれ小咄を連載している永田祥二さんなんです」という種明かし(⁉)があって会場もどよめきました。そこで「では永田祥二さんにもそらまどアカデミアで話してもらいましょう」となったというわけです。

私は永田祥二さんについては「鹿児島つれづれ小咄」しか知らなかったのですが、実は真山剛のペンネームで『非正規介護職員ヨボヨボ日記』を上梓されているそうです。この本、今Amazonで見たらレビュー数が431もありました。すっごい売れてる本ですね。

このシリーズ(〇〇日記)、本屋さんでも見ますよね。20冊以上あったような気がします。よくこんな作者を探してくるなあと前々から思っていましたが、本当にどうやって永田祥二さんにたどり着いたのか、そのあたりの所もうかがってみたいと思います。

講演では、永田さんがずっと「表現すること」を続けてきた熱意や苦労について話が聞けるのではないかと思っています。書くことで生きていきたい人にも参考になるかもしれません。ぜひご参加ください。

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第23回 そらまどアカデミア

「表現すること」
〜絵画から小説、エッセーへ〜

講 師:永田 祥二

画家を志すも、夢は叶わず。それでも何かを表現したくて、道具も場所もいらない、文章を書くように。文学賞の選考委員に文章が絵画的だと言われてうれしかった。絵画と小説、表現、新聞に連載中のエッセーについて話したいと思います。

日 時:6月14日(日)14:00〜16:00(開場13:00)
場 所books & cafe そらまど (駐車場あり)
料 金:2000円(ドリンクつき) ※中学生以下無料
定 員:15名
要申込申込フォームより、または店頭で直接お申し込みください。※中学生以下は無料ですが申込は必要です。

<講師紹介>
1960年鹿児島生まれ。南日本新聞に「鹿児島つれづれ小咄」連載中。南日本文学大賞受賞・九州芸術祭文学賞 鹿児島地区優秀賞 ほか

2026年3月25日水曜日

第22回そらまどアカデミア「『たそがれ色に“りぼん”を染めて…』〜少女まんがでたどる昭和サブカルチャー〜」を開催します!

5月17日(日)、そらまどアカデミア開催します。

今回登壇してくださるのは、琴鳴堂代表の四元 誠さんです。四元さんにそらまどアカデミアで御登壇いただくのは第3・7回に続き3回目になります。

過去2回は、絵本の歴史についてご講演いただきました。特に戦前・戦中の絵本については、絵本の暗部をえぐりだすかのようなすばらしい講演でした。

【参考】第3回そらまどアカデミア開催しました! 絵本が語る社会の変化。 
https://nansatz-kurashi.blogspot.com/2022/09/3.html

【参考】第7回そらまどアカデミア開催しました! 知られざる「絵本の戦争責任」
https://nansatz-kurashi.blogspot.com/2023/09/7.html

この講演の模様を見てもわかると思いますが、四元さんってすごいコレクターなんです。私の知るだけでも、絵本とCDは膨大なコレクションがありますし、なんだか他にもいろいろ集めてそうな雰囲気があります。そんな中でも異色のコレクションが少女マンガ

四元さんがどうして少女マンガを集めているのか、個人的に興味津々で、今回講演をお願いしてしまいました。

というのは、同じ少女マンガでも萩尾望都とか竹宮恵子などの「花の24年組」の少女マンガを集めている人は珍しくないのですが、四元さんのコレクションはそれとは一線を画し、当時フツーの女の子が読んでいたフツーの少女マンガを中心にしているように見受けられるのです。「花の24年組」のマンガは高い文学性や複雑なストーリー、重厚なテーマと実験的手法など今でも注目され、また研究もされているのですが、フツーの少女マンガは顧みられることもなく忘れられていっているような気がします。古書店でもかえって入手困難なような…!

というわけで、四元さんと一緒に昭和の「りぼん」の世界へ分け入ってみませんか?

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第22回 そらまどアカデミア

『たそがれ色に“りぼん”を染めて…』
〜少女まんがでたどる昭和サブカルチャー〜

講 師:四元 誠

集英社の少女まんが誌「りぼん」は、2025 年で創刊から70年を迎えました。生まれ育ったそれぞれの年代ごとに、思い出に残る作品があるのではないでしょうか?。今回はそんなりぼんに掲載された数々の名作やその作家、本紙での企画などを振り返りながら、昭和後半の若者文化の移り変わりをたどってみたいと思います。

日 時:5月17日(日)14:00〜16:00(開場13:00)
場 所books & cafe そらまど (駐車場あり)
料 金:2000円(ドリンクつき) ※中学生以下無料
定 員:15名
要申込申込フォームより、または店頭で直接お申し込みください。※中学生以下は無料ですが申込は必要です。

<講師紹介>
作陶家/琴鳴堂 代表。1973年鹿児島県生まれ。博物館の展示造形物の制作やミュージアムグッズのデザイン。学習教材の開発と製作、文化財の啓発普及に関する体験学習の企画・立案を中心に活動中。