2026年6月4日木曜日

ZINEフェス鹿児島でゲットしたZINEを紹介します!

5月31日に初開催された「ZINEフェス鹿児島」へ出店しました。

直営店「books & cafe そらまど」で製作している文芸誌『窻(まど)』の販売と広報が目的です。『窻』は、ちょうど第4号が出たばかり(正確には、6月1日が刊行日でしたので1日フライングでしたけど)。第4号は100ページを超え、たくさんのご寄稿をいただきましたが、それでも執筆者は直接の知り合いがメインなので、新しい出会いを求めての出店でした。

【参考】文芸誌『窻(まど)』
https://sites.google.com/view/soramado/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/%E6%96%87%E8%8A%B8%E8%AA%8C%E7%AA%BB
※第5号へ向け「見た目と中身」をテーマにしたエッセイを募集中です(〆切 2026年10月31日)

↓『窻』第4号はインターネットでも販売しています。
https://books-soramado.stores.jp/items/6a20ddd46e3db50045784403

いやー、それにしてもびっくりしましたね。会場の人の多さ!

出店者数にも驚きました。正直「鹿児島にZINEを作っている人がこんなにいるの!?」と半信半疑でした。県外から来られている方も3割程度いたと思いますが、メインは地元(宮崎南部含む)の方でした。

しかし開始時間前は、「出店者がこれだけいてもお客さんはガラガラだったりして…」と心配していました。入場料も300円取りますし。ところが、入り口には11時の開場直後からたくさんの人が列をなしました。私はその時間帯にちょうど受付をしていたのですが、開場後20分で100人以上の人が来たような気がします。鹿児島にもこんなにZINEに興味を持っている人がいるんですね。

というわけで、大盛り上がりだった初開催の「ZINEフェス鹿児島」。当日会場でゲットしたZINEの一部をご紹介します。なお作者の後のアカウント名の無印はInstagramです。

『手の中の殺人』(上下) 作者:唯野 @yuno.youknow_uno

今回手に取った中でダントツに面白く、そしてダントツに安かった作品(なんと上下合わせて200円!)。以前スマホにメモしていた推理小説(連続殺人)のアイデアをしばらくたってから発掘し、そのアイデアを作品にしていくという作者の苦闘が面白おかしく書かれています。下巻はその推理小説そのものがメインで、これも面白い。小説の主人公は女性ですが、「女言葉」を使っていないのもGood! メタフィクションながら、作者の個人的経験(怨念?)がフィクションに浸食していくバランスも面白い。ただし作者の方が「イベント直前の入稿になったので誤字が多いです!」と苦笑しながら言っていたように、誤字が多いのとクセのあるフォントを使っているのが惜しい。改訂版希望! 

『友人と二人で行った! ハンガリー ブダペスト旅行記 in 2017』 作者:唯野  @yuno.youknow_uno

上と同じ作者の作品。これも素晴らしい。変に面白くしようとしないで、ありのままを書いているような感じなのがいいです。しかし読者を意識していないのではなく、ちゃんと第三者にわかりやすいように書かれています。そもそもこの方は文章がうまい。商業的な本の場合、読者が価値を感じるもの(すごく面白い、ためになる等)にしなくてはならないという力みがあると思うのですが、この作品はいい意味で力が抜けていて、なのに力作!

『テレビ番組 ダホンの極楽ラーメン天国ができるまで』 作者:ダホン @dahon.honda @dahon_honda[X]

今回のZINEフェスでは、イラスト系ではなく文章の作品を買おうと思っていましたが、この作品はパワーに圧倒されてつい購入。ラーメン好きの作者による、「自分がテレビのプロデューサーだったらこういうラーメン番組を作るんだけど」という妄想マンガ。マンガのクオリティが高い上に、登場人物の設定が妙に作り込まれていていかにも妄想が暴走している感じ(笑)。実在のラーメンが登場している(らしい)のに、店名が明かされないのは焦らしでしょうか。私は「ラーメン鷹」しか分かりませんでした。全然ダホン(=駄本)じゃないです(※ダホンは「本田」のアナグラムでたぶん「駄本」の意味ではないです)。

『&Amami, &me vol.1』 作者:佐々木愛美

奄美へ移住した著者が、移住者・二拠点生活者のインタビューを中心に奄美ライフを紹介する雑誌(という体のZINE)。インタビューされている人のうち一人(海野めぐみさん)は、おそらく著者自身。この作品は商業誌に劣らないクオリティー。うーん、隙がない!

『〈改訂!〉僕の職場自慢を聞いてくれ!』 『僕の自慢の職場話を聞いてくれ!』 作者:宗谷五百枝 @aunuki_sooya[X]

仕事が出来て個性的なキャラばかり、その上和気藹々としているという、「こんな職場で働きたい」と思わせる作者の職場を描いた作品。特に中心となっているのは同僚の面白話で、「名前とか変えてるだけで全部実話!」とのこと。「もし会場にこの職場の方が来たら、私は跡形もなく退散します」と作者。ただし、個人の特定を避けるという以上に、名前だけでなくあらゆる部分がぼかされています(例えば仕事内容)。内輪ネタはディテールがちゃんと書かれるほど面白いので、炎上覚悟でもっとリアルに書いて欲しかった(笑)!  ただし、この作者自身は面白おかしい作品よりも、細かい人間観察や社会の機微の考察が向いている人かもしれないとも思いました。

『デッドストック 01』 作者:CHIAKI FUJITANI @fjtncak @fjtn_c[X]

商業出版でも活躍するフリーライター藤谷千明さんが、商業誌に使えなくてお蔵入りになっていたエッセイ3つをまとめた作品。この方は自分のことを書くのがうまい。ZINEは自分や周りの人が題材になることが多いですが、いわゆる「身バレ」の配慮や自己開示への不安からなのか個人的な情報がそぎ落とされて内容が抽象的になっているものがよくあります。でも結局面白いのはディテールの方。この作品は、(有り難くない)家族のこと、自衛隊で働いていたことなど、あまり人に教えたくないようなことを実にうまく書いています。だけど個人情報は書いていない。さすがプロ!

『63才母×39才娘 背中合わせでシャウトする』 作者:岡田薫子・畑中宇惟 @okadakaoko

母と娘によるエッセイ・往復書簡・映画レビューなどとまとめた作品(それぞれの作品が掲載されている)。 そもそも、どうして母娘でZINEを共作したのだろうと思いましたが、作中には製作の事情は書いてありませんでした。しかし母娘で共作しただけですごい。普通ないですよね。「シャウトする」とありますが、作中では別段シャウトしているわけではなく、人生のままならなさについて静かに語っています……と書いて見直したら、畑中さんがブルーノート東京について「ここはスノッブでいけすかねえ。(中略)トイレで高尚ぶるな!暗すぎておしっこの色が見えないだろ!」とシャウトしていました(笑)。

『働かれぬ昼のために』 作者:丘本千尋 @F3eRu @F3eRu[X]

新卒で初めて配置された部署が、高スキルを要する激務部署だった! その部署では新卒で何のスキルもない作者に仕事を教える余裕もなく、結果として作者は放置され、観葉植物に水をやる程度の仕事しかさせてもらえないという「社内ニート」になります。この暇すぎる仕事時間に考えたことが連ねられた作品。「私はもう自我が溢れちゃって溢れちゃって日々困っている」と作者自身がいうように、暇な時間、意識は常に自分そのものへ向かっています。なんだか痛々しくさえある。タイトルも内容も、ヒルティ『眠られぬ夜のために』のパロディだと思われます。 

『大凡1850年のハナシ』 作者:清水 實 @minoru_43[X]

鹿児島に「B.B.13 BAR」というめっちゃオシャレなバーがありますが、作者がそこで出会った1850年製の「マデイラワイン」という特殊なワイン(なんと半永久的に保存可能なんだとか!)に触発されて、1850年あたりの世界についてまとめた8ページの作品。正直いえば、もう少し情報豊富だったらよかったなあと思う部分もありますが(作者は調べたことをすごくギュッとまとめている)、こういう短い作品が作れるのもZINEの良さなのかもしれません。

『ビストロ・ガールフレンズ』 作者:鳩村澪 @hatopoppomio @hatomuramio[X]

聞き慣れないコース料理を題材に、女性二人の食事を描いた連作短編集。この作品は内容もうまいですが、装幀、というか表紙にびっくり。タイトルもなにもなし! 即売会で売るのだと思えば、これでいいのか! ちなみに、この装幀は、高級なレストラン(や結婚披露宴会場)で席上に置かれるメニュー表を模していると思われます。 ZINEは自由ですね。

なお、上で紹介した作品は、「books & cafe そらまど」の店頭で販売します(「転売禁止」と書かれた作品はありませんでした)。ぜひ手に取ってみてください。 

2026年5月20日水曜日

第22回そらまどアカデミア開催しました。「心の動き」を描いてきた少女マンガの世界

第22回そらまどアカデミア開催しました。

今回ご登壇いただいたのは、そらまどアカデミアは3回目の登場となる四元誠さんです。前回と前々回は戦前・戦中・戦後の絵本についての講演でしたが、今回のテーマは少女マンガ誌の「りぼん」です。SNSにアップされた四元さんの本棚の写真に、持っている人が少ない昔のりぼんコミックスがたくさん並んでいたので、「りぼん」をテーマに講演をお願いしたんです(でも後から聞いたら「マーガレット」の方がコレクションの中心だったとか(笑))。

四元さんが貴重な昔のりぼんコミックスを手に入れたのは、将来古本屋になるために古本屋でバイトしていた10代の時。ダブりの少女マンガが大量に廃棄されそうになっているのを見て「じゃあ僕が買います」といって手に入れたんだそう。もちろん当時は貴重なものではなかったのです。この時手に入れた70年代のマンガが四元さんのコレクションの核になります。それにしても、10代でもうコレクター気質が開花してますね。

少女マンガ誌「りぼん」は昨年2025年で創刊70周年でした。「りぼん」が生まれたのは1955年です。どんな状況で創刊されたのでしょうか。

戦後、ベビーブームが起こって1947~49年には年に250万人もの子供が生まれ、子供向けの商品の需要が高まります。そんな中で売れていた雑誌に「少女」(光文社)があります。これはマンガも掲載されてはいますがマンガ雑誌ではなく、挿絵つきの物語(絵物語)が中心です。ちなみに人気子役だった松島トモ子さんはこの「少女」の表紙を一人で10年間務めました。松島さんのパッチリした瞳が、後の少女マンガの目の表現に影響を与えているのではないか? というのが四元さんの考え。

53年にはテレビ放送が始まり、人々の気持ちがビジュアルなものに向かっていきました。一方、戦争中に休眠していた集英社は47年に復活し、51年に「少女ブック」という雑誌を創刊します。これもマンガ雑誌ではなく絵物語が中心で、対象は中学生くらいだったと思われます。そしてより低年齢を対象とした姉妹紙として創刊されたのが「りぼん」です(それにしても「少女ブック」から「りぼん」とはネーミングセンスが大きく飛躍しています)。

ただし創刊当時の「りぼん」もマンガ雑誌ではなく絵物語・写真物語がメインでした。マンガは、折りこみみたいな形式で雑誌本体と別に綴じ込まれていました。そんな創刊当初に連載されていたマンガに『ぼんこちゃん』があります。作者の上田トシ子さんは当時珍しい女流漫画家で、その波乱万丈の生涯は『フイチン再見』(村上もとか)で近年マンガ化されています。

60年代に入って、バレエマンガで大人気となったのが牧美也子さん。リカちゃん人形を監修したのもこの方で、あのビジュアルは牧美也子さんの絵柄! この方は松本零士さんの奥さんになります。なおバレエマンガを流行らせたのは「少女」でマンガを描いていた高橋真琴さん(男性)という方。この方は瞳にキラキラとした星を入れるという表現を完成させた人で、しかも3段ぶち抜きというコマ割りを開発したのもこの方だそうです。しかしマンガを描くのは5年くらいでやめてしまい、イラストレーターに転向しました。

マンガの本流はやはり少年マンガだったので、少年マンガ誌には作家がひしめいていて新人がなかなか描かせてもらえませんでした。逆に少女マンガでは人材が不足していました。なので、男性マンガ家が少女マンガで活躍していきます。そんなわけで「りぼん」から出て人気になったのが『ひみつのアッコちゃん』(赤塚不二夫)や『魔法使いサリー』(横山光輝)。石ノ森章太郎さんや松本零士さんも「りぼん」で描いていました。

この頃の「りぼん」は男性マンガ家、男性編集者が中心で作っており、マンガ自体も女の子が主人公なだけで少年マンガと同じようなものでした。その状態から、いろいろな工夫によって「少女マンガ」が形成されていきます。少年マンガが事件や勝負という出来事中心である一方で、少女マンガは会話が中心となります。そして会話中心だと画面に動きがないので、余白に花を散らすといった独特の空間表現が生まれていきます。

四元さんがこの時代の「突出して面白くて重要な作品」と評価するのが『ハニーハニーのすてきな冒険』水野英子)。作者の水野さんはかのトキワ荘にいた方。手塚治虫さんの手法を少女向けに応用して作られ、しかも少年マンガとは違う内容を持つ作品で、アニメ化もされました。

60年代には、ベビーブームが終わり、少年少女雑誌が立て続けに廃刊になっていきます。マンガの質を上げて読者を確保しなければ生き残っていけないという危機感から「りぼん」がやったのが「新人マンガ賞」。第1回で賞を取ったのが、一条ゆかりさん、もりたじゅんさん、弓月光さん(男性)の3人です(大賞不在)。このうち、一条ゆかりさんは少女マンガをリードする存在となり、弓月光さんは後に青年マンガ誌でちょっとエッチなマンガを描くのでも有名になります。

四元さんが注目するのはもりたじゅんさん。この人は一時期だけあった「りぼん」の姉妹誌「りぼんコミック」で前衛的な攻めた作品を発表しました(“りぼんマスコットコミックス”(=単行本)とは別でマンガ雑誌です)。『うみどり』では近親相姦をテーマにし、『キャー!先生』では原爆症らしき主人公を登場させてハッピーエンドとは言い切れないラストを描きます。『ごくろうさん』では、働く女性(女性警察官)がテーマになっています。この頃、「りぼん」は読者層を意図的に引き上げようとしている(というより「りぼん」から”卒業”させない)ことも、こういう作品が生み出された背景にあるそうです。「りぼん」が攻めた作品発表の場になっていたとは面白いですね。ちなみにもりたじゅんさんは本宮ひろ志(『サラリーマン金太郎』)と結婚し、本宮さんのマンガの女性キャラはほぼもりたさんが下書きしているそうです。

このような流れでついに70年代を迎えます。70年代では、ちょっと大人びたマンガ、難しいマンガが「りぼん」から生まれます。例えば古代エジプトのアクエンアテンの宗教改革を描いた歴史マンガ『ナイルの鷹』(のがみけい)。すごい凝ったテーマです。美大を出ていて画力がものすごかったのが大矢ちきさん。大矢ちきさんは本格的な絵のマンガを描きました。一条ゆかりさんはその画力にほれ込んで大矢さんをアシスタントに雇い、『デザイナー』で主要キャラを描かせています。

「ちひろのお城」(『蕗子の春』所収)(千明初美)は、今でいうASD(自閉症スペクトラム症)を思わせる子が取り上げられ、「今見ても参考になるくらい、ASDの子の特徴が全てまとめられていて、周りがどう接するべきなのかもちゃんと書かれている!」。山岸涼子さんの本格的バレエマンガ『アラベスク』も第1部は「りぼん」連載です。

もちろん、こういう尖った作品ばかりでなく、小学生向けの作品も連載されているのですが、大人的すぎるマンガを掲載することでやや読者が離れていった様子もあるそうです。こうしたことの反動なのか、70年代後半には「乙女ちっく」と言われることになるマンガが一世を風靡します。

「乙女ちっく」の世界観を確立したのが陸奥A子さん(四元さん最大の推し!)。特に『たそがれ時に見つけたの』は40万部を超えるヒット作となり、その登場から7~8年で爆発的に「りぼん」の世界が作られていきます。四元さんによれば陸奥A子さんは「絵がヘタ!」。それまでの本格的な少女マンガの人たちと比べて明らかに線がフニャフニャしていてバランスが悪い。このバランスが崩れた(デフォルメされた)絵が「乙女ちっく」の世界観の一助となったのかも。また田渕由美子さん(『フランス窓便り』)も「乙女ちっく」の代表的な作家。

「乙女ちっく」とは、四元さんなりの説明では、「ちょっと内気でちょっとドジ、好きな人の前では恥じらってなかなか物語が進展しない、なんの才能もないがここぞという時には度胸がある普通の女の子が普通の男の子に恋する、ほほえましい恋を描いたラブコメ」の世界観。なんだか当たり前の少女マンガの説明みたいですが、「少女マンガといえば恋愛、と思っている人が多いんですけど、恋愛が描かれるようになったのが70年代」とのこと。つまりこの「乙女ちっく」の少女マンガが一世を風靡したことで、少女マンガといえばこういうものというイメージが作られたということになります。

陸奥A子さんは「普通の女の子の普通の恋」という、ドラマチックでない題材を真正面から描きます。その手法を一言でいうと、心の動きを絵ではなく文章で表現するということです。四元さん曰く「陸奥さんは絵に自信がなかったので文章中心の表現を模索したんでしょう」。そして「セリフでもない、ト書きでもないポエムみたいなのが話の途中でガーっと挿入されます」。心の動きが中心になったことでモノローグも多用。対話劇に「心の動き」が重層的に挿入されていきます。

こうした手法は読者に強く受け入れられ、70年代後半の「りぼん」は男子大学生までが読むものになります。東大には「東大リボニストの会」が早稲田大学にも「早稲田おとめちっく倶楽部」があったくらいだそうです。

このあおりを食らったのが一条ゆかりさん。一条ゆかりさんの『5(ファイブ)愛のルール』(大人の世界を描いた作品)が打ち切りになります。仕事をする大人の女性を描いた作品ですが、もはやそういう作品は「りぼん」に合わないものになっていました。しかし一条ゆかりさんはめげずにドタバタコメディの『こいきな奴ら』をすぐに連載開始します。ちなみに一条ゆかりさんはこの打ち切りに憤懣やるかたない思いを抱えていたようです。

なお、ポエム的モノローグの挿入は、少女マンガ以外でも応用されて大きな影響を与え、現代のマンガにも引き継がれています。最近のマンガでも羽海野チカさんの『3月のライオン』はモノローグが多用され、フキダシの言葉の背景に心の言葉が、その奥に微妙な心の動きが…と重層的な表現が見られます。ちなみに、四元さんによれば「こういうところがよくわからんと男の子には敬遠される」とのこと。確かにそうかもしれません。

ところで少女マンガというと、必ず語られるのが「花の24年組」です。昭和24年周辺生まれの、萩尾望都さん・山岸涼子さん・竹宮惠子さんなど一群のマンガ家のことで、SFやファンタジー、同性愛などの少女マンガとしては前衛的なテーマを取り上げ、文学的な表現を追求して長く残る作品を残しました。でも四元さんは「そういう作品は、70年代のりぼんでもあった」と言います。「花の24年組の人たちは、「少女コミック」(小学館)という媒体に恵まれたことが大きい。「少女コミック」は「りぼん」に比べて部数がずっと少なく、売れなきゃいけないという雰囲気でなかったので編集者がマンガ家に「何を描いてもいい」と自由にやらせた。評論家は大衆的な作品よりマイナーな作品を評価しがちなので24年組の作品が持て囃されるようになったが、むしろ大衆向けという制約の中で攻めた内容を描いた70年代「りぼん」作品はもっと高く評価されてしかるべき」とのことです。

そして、「りぼん」といえば付録についても触れないわけにはいきません。

「りぼん」には創刊号から付録がついています。特に本格的なものが出てくるのが70年代の陸奥A子さんが付録を手掛けた頃からで、ノートや便箋など実用的なものを中心にオリジナル文具・雑貨が付録となりました。特筆すべきは、それらのグッズはキャラものではなかったということです(陸奥さんのマンガがあしらわれたのではなく、グッズのためのイラストを陸奥さんは描いていた!)。今でいう「ファンシー・グッズ」です。付録の「ランチボックス」なんかすごい。当時の女の子で「ランチボックス」なる概念を知っていた人がどれだけいたか。付録ではないですがアイビールックの巻頭特集なんかも組まれています。オシャレでかっこいい文化を「りぼん」が教えてくれていた時代でした。そんな付録も「乙女ちっく」の世界観の確立に寄与しました。

ちなみに同じ頃の「なかよし」の付録は『キャンディ♡キャンディ』のキャラものばっかりだそうですが、80年代に入ると「りぼん」の付録もキャラものになっていきます。好景気でモノがあふれてくるので、付録が消費文化を先導する意味がなくなってきます。

80年代の「りぼん」は、70年代後半に確立した「りぼん」の作風を前面に出していくことになります。70年代にあったような小難しい、大人向け・前衛的な作品は鳴りを潜め、メジャー路線へと舵を切ります。

結果、名作がどんどん生まれます。そんな80年代を代表するのが『ときめきトゥナイト』(池野恋)。82年の6月に連載が開始され、10月にはもうアニメが始まっていますので、最初からアニメ化ありきで企画が進んでいた模様。柊あおいさんの『星の瞳のシルエット』も絶大に人気があった作品。「250万乙女のバイブル」と呼ばれました。この頃、「りぼん」の部数は255万部を記録し絶頂期を迎えました。矢沢あいさん、さくらももこさんのデビューもこの頃です(意外なことに二人はお互いに意識しあっていたとか)。四元さんは80年代の「りぼん」は「名作が多すぎて紹介しきれない」と言っていました。

ちなみに80年代には、主人公だけでなく個性あふれる脇役が活躍するようになります。「個性を大事に」とか言われるようになったのも80年代。一条ゆかりさんの『有閑倶楽部』は、主要キャラ6人が全員主役みたいなマンガです。それにしても一条ゆかりさんは第一線の活躍をずっと続けていてすごい。また80年代には、「自分を信じる」とか「周りの人を大事に」「明日を夢見る」などポジティブなメッセージが少女マンガにはっきりと表れます。

90年代・2000年代についても四元さんは語っていましたが、講演のサブタイトルが「少女マンガでたどる昭和サブカルチャー」なのでここでは割愛します。ただ、2000年代以降のマンガは「70年代の焼き直しが多いが、それはそれで面白い」とのこと。特に『夢色パティシエール』(松本夏実)、『絶叫学級』(いしかわえみ)、『ひよ恋』(雪丸もえ)、『ハニーレモンソーダ』(村田真優)、『さよならミニスカート』(牧野あおい)がおすすめだそうです。

「りぼん」は女の子がマンガを読む入口として機能し、小中学生向けという制約の中でその表現を模索し続けてきました。少年マンガが究極的には「敵に勝つ」をテーマとしているのなら、少女マンガでは「本当の自分に気づく」がテーマかもしれないと、「今回講演のために70年分りぼんの少女マンガを読み直して思った」そうです。少女マンガでは心の内面をどう描くかが非常に重要なポイントでした。

ところで、一世を風靡した「乙女ちっく」は結局どうなったのでしょうか⁉ 「乙女ちっくは、今でもまとめた本が出るくらい人気があるが、実は80年代半ばには早くも限界を迎えた。女性も活躍できる時代になってくると、女性から見ても煮え切らない「乙女ちっく」の姿勢がまどろっこしいと感じられるようになったのだと思う。しかし最近になって、陸奥A子さんがマンガ家として最後の作品として描いたのが、「乙女ちっく」がそのまま成長していったような女性のマンガ。実はその女性はシングルマザーで、自立した大人の女性になっている。つまり乙女ちっくは成長して大人になった」とのこと。

私は「りぼん」って小学校高学年くらいのわずかな時期にしか読まれないというイメージを持っていました。中学生になると「マーガレット」「花とゆめ」なんかに移行していくものだと。そういう人も多かったと思いますが、読者をなるだけ長く引き止めたいという出版社側の思惑もあって、読者とマンガがともに成長していくという長期的な関係もありました。

『ときめきトゥナイト』はなんと現在でも続編が描かれており、主人公の蘭世(ランゼ)ちゃんにはもう孫もいるそうです(!)。『星の瞳のシルエット』も、本編から20年後の『星屑セレナーデ 星の瞳のシルエット another story』が近年連載されました。少年マンガにはこういうパターンはあまりない。主人公が結婚し子供がいるのは『ドラゴンボール』、『NARUTO』などごくわずか。

少年マンガの主人公はずっと変わらずやんちゃ坊主。でも少女マンガの主人公は、読者と一緒に成長していくものなのかもしれません。

四元さんは、いろんなもののコレクターなので、これからもご講演いただきたいと思っています。次回はどんなコレクションが登場するのかお楽しみに! 四元さん、ありがとうございました。

2026年5月17日日曜日

第23回そらまどアカデミア「「表現すること」〜絵画から小説、エッセーへ〜」を開催します。


6月14日(日)、そらまどアカデミア開催します。

今回ご登壇いただくのは、南日本新聞で「鹿児島つれづれ小咄(こばなし)」を毎日載している永田祥二さんです。

永田さんにご講演をお願いするきっかけとなったのが、昨年開催した第18回そらまどアカデミア「絵を描くこと」でした。この講演の中で、画家の佳月優さんが若い頃に巨匠たちの絵の分析をするエピソードがあったのですが、佳月さん以上に緻密な絵の分析をしていたのが友達の「ナガタ君」です。

【参考】第18回そらまどアカデミア開催しました。「芸術には一致したものがある」 
https://nansatz-kurashi.blogspot.com/2025/06/18.html 

二人は感性的・感覚的ではなく、理論的な考えで絵の分析を行っていました。この分析のおかげで佳月さんは白日展で入賞し、その後日展でも特選を2回とるなど画家として大成します。講演の非常に重要な部分をこの「ナガタ君」が担っていたので、会場の皆さんも「ナガタ君とは何者なんだろう?」と思いながら聞いていたと思います。

そして講演の最後に「実はこのナガタ君は、南日本新聞でつれづれ小咄を連載している永田祥二さんなんです」という種明かし(⁉)があって会場もどよめきました。そこで「では永田祥二さんにもそらまどアカデミアで話してもらいましょう」となったというわけです。

私は永田祥二さんについては「鹿児島つれづれ小咄」しか知らなかったのですが、実は真山剛のペンネームで『非正規介護職員ヨボヨボ日記』を上梓されているそうです。この本、今Amazonで見たらレビュー数が431もありました。すっごい売れてる本ですね。

このシリーズ(〇〇日記)、本屋さんでも見ますよね。20冊以上あったような気がします。よくこんな作者を探してくるなあと前々から思っていましたが、本当にどうやって永田祥二さんにたどり着いたのか、そのあたりの所もうかがってみたいと思います。

講演では、永田さんがずっと「表現すること」を続けてきた熱意や苦労について話が聞けるのではないかと思っています。書くことで生きていきたい人にも参考になるかもしれません。ぜひご参加ください。

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第23回 そらまどアカデミア

「表現すること」
〜絵画から小説、エッセーへ〜

講 師:永田 祥二

画家を志すも、夢は叶わず。それでも何かを表現したくて、道具も場所もいらない、文章を書くように。文学賞の選考委員に文章が絵画的だと言われてうれしかった。絵画と小説、表現、新聞に連載中のエッセーについて話したいと思います。

日 時:6月14日(日)14:00〜16:00(開場13:00)
場 所books & cafe そらまど (駐車場あり)
料 金:2000円(ドリンクつき) ※中学生以下無料
定 員:15名
要申込申込フォームより、または店頭で直接お申し込みください。※中学生以下は無料ですが申込は必要です。

<講師紹介>
1960年鹿児島生まれ。南日本新聞に「鹿児島つれづれ小咄」連載中。南日本文学大賞受賞・九州芸術祭文学賞 鹿児島地区優秀賞 ほか

2026年3月25日水曜日

第22回そらまどアカデミア「『たそがれ色に“りぼん”を染めて…』〜少女まんがでたどる昭和サブカルチャー〜」を開催します!

5月17日(日)、そらまどアカデミア開催します。

今回登壇してくださるのは、琴鳴堂代表の四元 誠さんです。四元さんにそらまどアカデミアで御登壇いただくのは第3・7回に続き3回目になります。

過去2回は、絵本の歴史についてご講演いただきました。特に戦前・戦中の絵本については、絵本の暗部をえぐりだすかのようなすばらしい講演でした。

【参考】第3回そらまどアカデミア開催しました! 絵本が語る社会の変化。 
https://nansatz-kurashi.blogspot.com/2022/09/3.html

【参考】第7回そらまどアカデミア開催しました! 知られざる「絵本の戦争責任」
https://nansatz-kurashi.blogspot.com/2023/09/7.html

この講演の模様を見てもわかると思いますが、四元さんってすごいコレクターなんです。私の知るだけでも、絵本とCDは膨大なコレクションがありますし、なんだか他にもいろいろ集めてそうな雰囲気があります。そんな中でも異色のコレクションが少女マンガ

四元さんがどうして少女マンガを集めているのか、個人的に興味津々で、今回講演をお願いしてしまいました。

というのは、同じ少女マンガでも萩尾望都とか竹宮恵子などの「花の24年組」の少女マンガを集めている人は珍しくないのですが、四元さんのコレクションはそれとは一線を画し、当時フツーの女の子が読んでいたフツーの少女マンガを中心にしているように見受けられるのです。「花の24年組」のマンガは高い文学性や複雑なストーリー、重厚なテーマと実験的手法など今でも注目され、また研究もされているのですが、フツーの少女マンガは顧みられることもなく忘れられていっているような気がします。古書店でもかえって入手困難なような…!

というわけで、四元さんと一緒に昭和の「りぼん」の世界へ分け入ってみませんか?

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第22回 そらまどアカデミア

『たそがれ色に“りぼん”を染めて…』
〜少女まんがでたどる昭和サブカルチャー〜

講 師:四元 誠

集英社の少女まんが誌「りぼん」は、2025 年で創刊から70年を迎えました。生まれ育ったそれぞれの年代ごとに、思い出に残る作品があるのではないでしょうか?。今回はそんなりぼんに掲載された数々の名作やその作家、本紙での企画などを振り返りながら、昭和後半の若者文化の移り変わりをたどってみたいと思います。

日 時:5月17日(日)14:00〜16:00(開場13:00)
場 所books & cafe そらまど (駐車場あり)
料 金:2000円(ドリンクつき) ※中学生以下無料
定 員:15名
要申込申込フォームより、または店頭で直接お申し込みください。※中学生以下は無料ですが申込は必要です。

<講師紹介>
作陶家/琴鳴堂 代表。1973年鹿児島県生まれ。博物館の展示造形物の制作やミュージアムグッズのデザイン。学習教材の開発と製作、文化財の啓発普及に関する体験学習の企画・立案を中心に活動中。 

2026年3月13日金曜日

総合的に見て一番おいしいかぼちゃ「グラッセ」を作っています


先日、かぼちゃの定植をしました。今季は、「栗五郎」というかぼちゃと「グラッセ」というかぼちゃを半分ずつ作ります。

例年、「えびす」というかぼちゃを作ってきましたが、今年から「グラッセ」に変えました(「栗五郎」は例年通り)。しかし、JA南さつまの中で「グラッセ」を作っているのは今季は私だけのようです。まさか一人だけとはびっくりです。

この「グラッセ」という品種は、「うどん粉病に強い」ということで導入された品種です。うどん粉病とは、かぼちゃにとって防除が難儀な病気なのですが、確かに「グラッセ」はうどん粉病にかなり強い! …のですが、その代わりに白斑病に弱いのです。白斑病はときに壊滅的な被害をもたらすことがあり、この弱点がアダとなってみなさん敬遠したようです。

では私がなぜ「グラッセ」を作ることにしたのかというと、「グラッセ」はすごくおいしいからです。「えびす」もおいしいですが、「グラッセ」の特徴は後味! かぼちゃの旨味というか風味が強くて、非常においしい! 粉質系(ホクホクしている)なのに、適度なしっとり感があって質感もちょうどいい。

私はいろんな品種のかぼちゃを食べ比べしていますが、総合的に見て一番おいしいと思います。

ただし、収益だけでいうと「えびす」が遥かにいいのです(なんと収益で1.5倍くらい差がある)。しかしやはりおいしいものは作っていて楽しいですし、売るのも楽しいです。

というわけで、夏になったら「グラッセ」を販売しますので、楽しみにしていてください。

2026年3月11日水曜日

無農薬・無化学肥料のタンカン、ワケありのため約半額で販売中です!

 

先日、ワケありのタンカンの販売を開始しました。「南薩の田舎暮らし」では、ワケあり商品も多いですがタンカンのワケありは初めてです。

どうして今季に限ってワケありタンカンを販売しているのかというと、次のような事情があります。 

昨秋、私は久しぶりに「秋かぼちゃ」を作りました。これは、8月下旬に植えて12月に収穫するかぼちゃです。このせいで秋がとても忙しかったんです。すると柑橘類の管理まで手が回らず、特にタンカンについては摘果が十分にできない状態となりました。その他にも、手が回らないとなかなかいいものができないのは当然です。なにしろ無農薬・無化学肥料で作っていますので、ゴマカシがききません。

そんなわけで、今季はいわゆる規格外品的なタンカンが例年になく存在する結果となりました。大きすぎる、小さすぎる、外観が悪い、ゴツゴツしている、質感がよくないなどです。

また、これは私のせいではない(ような気がする)のですが、糖度も例年に比べて低いような感じです。ただし酸度も低いので食べた感じは軽快といえば軽快ですが…。

いろいろ悩んだのですが、手が回らなかった圃場のタンカンを全部ワケありとして販売することにしました。つまり、選果してイマイチなものだけをワケありにするのではなく、ある圃場のタンカンを全てワケあり品とすることにしました。選果というのはかなり手間がかかるので、いちいち選果するくらいなら全部ワケありにしてしまえばいいという判断です。

通常は5kg 3,000円ですが、これを5kg 1,600円で販売します。約半額です。今までの説明でわかると思いますが、別にワケありじゃないやつも入っています。ただ、もちろん全体的にはワケあり品ですので、その点はご理解の上ご購入ください。

正直なところ、ワケあり品がたくさんあって困っていますので、お買い上げ、どうぞよろしくお願いいたします。

↓ご購入はこちらから
【南薩の田舎暮らし】〈ワケあり〉無農薬・無化学肥料のタンカン(5kg)
https://nansatz.stores.jp/items/69affdd2275383263ca72201 

2026年1月22日木曜日

第21回そらまどアカデミア開催しました。石造物から廃仏毀釈の実相に迫る!


第21回そらまどアカデミア開催しました。

今回登壇していただいたのは、そらまどアカデミア登場3回目の川田達也さんです。川田さんは、鹿児島県内の古寺跡をめぐってきた人ですが、最近はそれに飽き足らず、「県内の全墓地に行ってみたい」という墓地に憑りつかれた方。今回は「石造物の世界から廃仏毀釈を見直してみよう」という講演でした。

鹿児島では、幕末と明治の初めに激しい廃仏毀釈が行われました。幕末(慶応2~3年)の頃は財政的な事情から行われたのですが、明治初年(慶応4~明治2年)では思想的な理由、つまり「もう仏教なんかいらない」というものになりました。

廃仏毀釈が徹底化することになった契機が、明治2年3月、藩主島津忠義の正室・暐子(てるこ)さんが神式(神道式)で葬儀されたことです。それまで葬式と言えば仏教以外になく、葬式があるからこそ寺院を全廃することはできなかったのですが、葬儀を神式にしたことで仏教寺院の存在意義はなくなったことにされました。

これを受け、それまでの廃仏毀釈では標的になっていなかった大寺院も12月に全廃の通知がされます。そうして、鹿児島ではすべての寺院がなくなり、また僧侶は全員還俗(げんぞく=俗人に戻ること)させられるという徹底的な廃仏が行われました。それは、なかば暴動的なものだったのです……と言われてきましたが、本当に暴動のような感情的なものだったのか? と川田さんは問題提起します。

まず、藩から出された指令を読んでみると、ちゃんと廃仏の手順が決められて、還俗後の僧侶の処遇にも気を使われていることがわかります。仏教が憎いから破壊した、という感じではない……?

注目すべきなのは庚申講関係の石造物です。庚申講とは、60日に一度訪れる庚申の日に宗教的儀式を行い、また夜を明かして飲み食いをするグループです。これを3年=18回続けるとそれを記念して庚申塔という石造物を建立することが多かったのですが、これには庚申地蔵という地蔵の形態のものがあります。驚くべきことに、この庚申地蔵は明らかに仏教的なのにほとんど破壊されていません

鹿児島の廃仏毀釈では、路傍の仏像の首まで刎ねるほど徹底的かつ暴力的なものだった、というのが通説ですが、どうして庚申地蔵は破壊の対象にならなかったのか。また、鹿児島市本城にある花尾神社には「庚申仁王像」があり、また東市来の稲荷神社には県内随一の素晴らしい仁王像が残っていますが、これも庚申講が造立したと思われます(隣にある「庚申唐猫」には要注目!)。ほかにも庚申講関係のもので残存しているものは極めて多い。

とすると、民間信仰は、仏教的であっても破壊の対象にしなくてもよい、というお触れがあったのではないか? と考えられます。実際、馬頭観音、六地蔵塔など民間信仰的なものは破壊されていないものが多い。また、これまで川田さんもあまり注目していなかったと言っていましたが、石灯籠もそれを解明するヒントを提供しそうだということです。

吹上の大汝遅(おおなむち)神社には、明治2年に講によって奉納された石灯籠があり、これは廃仏毀釈の最中にも講が活動を続けていた証です。さらに興味深いのは、廃寺後の旧境内に「奉寄進 兵器四番小隊中」と刻んだ石灯籠が奉納された東市来の事例。自分たちで寺をなくしておいて、石灯籠を奉納するとはこれいかに。これは「廃仏に対する微妙な気持ち」を表明したものではないかと川田さんは言います。

これまで、「鹿児島の民衆は藩庁のいうことに唯々諾々と従った」とされてきましたが、反抗がなかったわけではないようです。

また、住持墓にも注目すべきものがあります。宮崎県高原町(旧薩摩藩領)の狭野権現社(の別当寺神徳院の墓地)、南九州市川辺町の善積寺跡、宮之城の大道寺跡には廃仏毀釈の最中に亡くなった住持墓があります。ちょうどこの時期に3人も亡くなっているのは偶然でないのかも。彼らは廃仏毀釈に抗議して自害したのでは、というのが川田さんの見立てです。

さらに、鹿児島の廃仏毀釈は島津家の意向で行われた、と言われていますが、実は島津家も一枚岩ではなかったと考えられます。

キーマンは藩主島津忠義です。忠義は、文久の頃(=幕末)、それまで財政的な事情から禁止されていた妙円寺参りを復活させ、自分も参詣します。さらに明治後の廃仏毀釈の最中である9月14日に軍務局の隊員を引き連れて自ら妙円寺参りを行います。妙円寺が廃寺になるのはその3か月後です。忠義は廃仏毀釈に反対で、存続を図るためにあえて妙円寺参りをしたのではないか、と思われるのです。しかし当時「国父」と呼ばれた父・久光の権力が絶大で、久光の意向には従わざるを得ませんでした。「廃仏令」(明治2年に徹底的な廃仏を指示した命令)は、久光の名前で出されており、藩主と連名になっている公式の命令と毛色が違いますが、これは忠義ができる消極的な抵抗の一つだったのかもしれません。

それから、川田さんは「これを見つけて頭が真っ白になった」と言っていたのが、大明が丘の墓地にあるお墓。「辻盛之助源朝臣清武神霊」と刻まれた神式の墓塔が明治2年8月8日に建立されているのです。この墓塔が建立される2週間前(7月19日)に「藩庁が葬儀師を置いて福昌寺および源舜庵に出張させた」という記録があるので、「神式ではこんな墓塔をつくりなさい」というような指示をしていたのかもしれませんが、それにしても仏教色を排除した完成された形の神式墓塔が8月8日に建立されているのは早すぎる! この墓塔の近くにある明治2年の「福姫命」なる墓もそう。

そもそも藩庁は「こんな墓塔を作りなさい」というデザインをどこから仕入れたのか。川田さんは、この指令の前にお墓のスタイルを決めていた勢力がいたようだと推測しています。そもそも鹿児島神宮周辺では早くも安政年間には戒名を使わない神式の墓塔が建立されていました。でもそういうのがないはずの吉野に、なぜこのスタイルの墓塔が建立されたのか、謎です。

このように石造物をつぶさに見ていくと、これまで「鹿児島の廃仏毀釈はこうだった」と思われていたこととは少し違う様子が見て取れます。感情的に「仏教的なものは全部ダメ」としたのではなく、庚申地蔵はOKとするなど冷静な線引きがうかがえ、破壊的というよりは順を追って廃仏毀釈を進めたという感じがします。とはいえ、仏教的ではない田の神(しかも神像タイプ)を破壊するなど、よくわからずに「とりあえず石造物を壊せばよい」というような雑な理解で廃仏毀釈を手掛けた人もいたことは間違いない。しかし「感情的に進めて、藩内の寺院を全廃するようなことができたとは思えない。廃仏毀釈が何年も持続したこと自体、冷静に遂行した証では?」と川田さんは見ています。また、それなりの反対があったからこそ冷静に進めた部分もあったのかもしれません。

そして廃仏毀釈が完遂できた要因として、これまで見過ごされてきましたが、「講などの民間信仰を容認した」ことがあるのではないか。鹿児島の民衆にとって一番大事だったのは、「仏教でも神道でもなく、講だったのでは。だから廃仏毀釈が比較的スムーズに進んだのかも」とのことでした。

「これまで江戸時代の古い墓塔を中心に見てきて、あまり明治時代の石造物に注意していなかったが、明治時代の石造物をもっと見てみると、もっといろいろわかるかもしれない」と川田さんは言います。川田さんにより鹿児島の廃仏毀釈の実相が解明される日も近いですよ!