2024年10月22日火曜日

大浦まつりが無事開催されました!

10月20日(日)、大浦まつりが開催されました。

前日は雨で、当日も午前中はパラパラと雨が降っていましたが、なんとか持ちこたえ、午後には天気も安定しました。

雨が降らなくてよかったです。

今回の大浦まつりは、なんだか人が少ないなあ…? という感じでした。例年より2週間早い開催だったので、たくさんのイベントが重なっていたせいかもしれません。

坊津では「ほぜどん」という有名なお祭り(民俗行事)が行われていましたし、笠沙(野間池)では18:00から夕日コンサートがありました。鹿児島市では「鹿児島ジャズフェスティバル」もあったようです。そんなわけで、昨年に比べると人出はまばらな感じでした。

でも、今回はステージ前に観覧のテントが用意されていたのですが、そのテントの中は割と満員だったんですよね。やっぱりテントがあるとそこから動かないかも…などと思いました。ステージをご覧になる方にはいいんですけどね。

ちなみにステージも、数年前と比べると寂しくなったと感じました。有志で出演する方が少なくなったためだと思います。地元でバンド演奏している人とかですね。私自身、ステージに上がるタイプじゃないので「もっと出演した方がいいよ!」とは言えませんが、せっかくの機会なので活用してもらいたいと思っています。

ところでステージのメインイベント(?)は、エラブチ剛さんという方の歌でした。長渕剛のそっくりさん…というよりコピーバンドみたいな感じの方です。てっきりネタ的なやつかと思っていましたが、聴いていると「長渕より歌うまいんじゃないか」と思いました(笑)。長渕のあのクセのある歌い方をちょっとマイルドにした感じで、私にとってはむしろ聴きやすい。ただ、MCの迫力は本家には遠く及ばなかった…って当たり前か。

南薩の田舎暮らしでは、いつものドリンクの他、昨年とても好評だったマフィンを準備しました。マフィンは全部売り切れましたし、ドリンクも人出の割には売れました。もう少し暑かったらドリンクの売れ行きがいいんですけどねー。気候がよすぎた(苦笑)。義理で買って下さっている方も多かったような気がします。ありがとうございます。 

そういえば、ドリンクをつくる時間が間延びするので、「どちらから来ましたか?」とか「うち、大浦にお店があるんですよ」などとお客様に話しかけたのですが、「知ってますよ!」「インスタフォローしてます!」などと言って下さる方がけっこういて嬉しかったです。そしてこれは、「ちょうどドリンクの店があったから飲みたくて買った」のではなく、「知ってる店だからドリンクを買った」ということなんだなあとつくづく思いました。知ってもらうってホントに大切です。

私たちが毎年大浦まつりに出店しているのも、多くの方に知ってもらえる機会だと思っているからです。最近は積極的には出店していませんが、ちょっとは外に出て行きたいですね。

来ていただいた皆さん、そして実行委員会の皆さん、ありがとうございました。

2024年10月16日水曜日

第15回そらまどアカデミア「你好臺灣, 空尼機挖ジャパン」を開催します!

11月17日(日)、そらまどアカデミア開催します。

今回のテーマは、「中国語と日本語の間」。語ってくれるのは、台湾人の張巧瑩(チョウ・コウエイ、愛称あきら)さん。

張さんは、南さつま市の国際交流員。張さんは日本語ペラペラで、ちょっと日本人と区別がつかないくらいです。 

先日、打ち合わせのために「books & cafe そらまど」に来ていただいたのですが、いろんな話が飛び出して、つい長話をしてしまい、営業時間をだいぶオーバーして引き留めてしまいました。

そんな中で、私から「張さんが、いちばん熱く語れることをテーマにしてもらいたい」とお願いしたところ、決まったのが「言語」でした。張さんは大学時代から言葉(日本語)の勉強を一番熱心に続けてきたそうです。

張さんは、国際交流員として、冬から中国語の講座も始めるそうです。そして打ち合わせの際に特に強調していたのは、「カタカナ発音じゃ絶対通じない!」ということでした。それどころかピンイン(中国語の発音をアルファベットで表すもの)もよくないそうです。台湾の独特な発音記号は、一見ハードルが高く見えますが、これを覚えた方が絶対にいいんだと強調していました。

こういう、純粋に語学的な問題だけでなく、台湾の言葉(台湾華語)には興味深い点がいろいろあります。それは、まず台湾華語がどうやって形成されてきたかということであり、それはすなわち台湾がいかにして形成されてきたか、ということと繋がっています。そこには、当然日本の植民地だった時代も関わってきます。ちなみに明治6年の台湾出兵は、薩摩の人たちが深く関わって実施されたもので、鹿児島県民としては他人事ではありません。

さらに溯れば、台湾には少数民族もいましたし、客家(ハッカ)もいました。台湾って、他民族の地域だったわけです。そんな中で、中国語の漢字を最も正統に保存して形成されたのが台湾華語です。中国(大陸)では、合理化政策によって「簡体字」という簡略化した漢字を使っていますが、今でも台湾は「繁体字」という、スッゴク画数が多い漢字を使っています。例えば「台湾」は「臺灣」です。今画数を数えたら、この2字で39画もありました(笑)

こんな興味深い台湾の言葉について、日本語ペラペラの張さんが語ってくださいます。どうぞお樂しみに !

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第15回 そらまどアカデミア

ni hảo tái wàn  kōng ní ji wā
你好臺灣, 空尼機挖ジャパン

講 師:張 巧瑩(あきら)

最近よく耳にする「台湾」とは、沖縄県与那国島から108キロしか離れていない島。その島の人たちが使う言葉は、たくさんの外来文化の影響を受けて融合してきた、世界一難しい「中国語」。それと世界二番目に難しい日本語について、軽く首を突っ込んでみる。

日 時:11月17日(日)14:00〜15:30(開場13:00)
場 所:books & cafe そらまど (駐車場あり)
料 金:1000円(ドリンクつき) ※中学生以下無料
定 員:15名
要申込申込フォームより、または店頭で直接お申し込みください。※中学生以下は無料ですが申込は必要です。
問合せこちらのフォームよりお願いします。

<講師紹介>
日本語勉強 14 年目、現在コツコツと鹿児島弁を学習中。日 本と台湾の架け橋になればいいなと思って南さつま市国際交流員に着任。最近は中国語発音の教え方に悩まされてる日々を送っている。

2024年10月10日木曜日

第14回そらまどアカデミア開催しました。「死と再生」の十五夜綱引き


第14回そらまどアカデミア開催しました。

今回の講師は、「南さつま半島文化——鹿児島県薩摩半島民俗文化博物館」というWebサイトを主宰している在野の民俗学者、井上賢一さんです。

井上さんは、薩摩半島の祭りを根気強くフィールドワークしてきました。開口一番「みなさんも各地のお祭りに行った際に、カメラで写真を撮っている人をみかけると思いますが、そんな人の中にも民俗学のフィールドワーカーがいます。見分けるポイントがあるんですがなんだか分かりますか?」と問いかけました。

答えは、「フィールドワーカーは巻き尺を持っています」とのこと! 使われた道具が何センチなのか、ちゃんと記録するためだそうです。鹿児島民具学会に所属し、道具から民俗を研究してきた井上さんらしい導入だと思いました。ちなみに井上さんは近年、太鼓踊りの桴(ばち)について調査を続けているそうですよ。

ですが、今回のテーマは十五夜綱引きです。

実は、十五夜に行う綱引きの民俗行事は、鹿児島県と宮崎県の一部、つまり旧薩摩藩領しかありません。これには、多くの方が「全国でやってるんだと思ってた…!」と驚いていました。

では、旧薩摩藩領の十五夜綱引きはだいたい共通しているのか……というと、かなりの多様性があります。

井上さんは、各地の十五夜行事をビデオで記録しており、当日はそのビデオを見ながらその多様性について説明してくださいました。最初の事例は、南さつま加世田の鉄山の綱引きです。

ここでは、綱の芯にカヅラを使い、広場で綱を綯っていきます。綱ができたらとぐろ状においておき、中心部分にはススキなどを飾って一種の祭壇のようになります。月が上がったら、綱引きします。綱引きは多くの地域で子供の行事ですが、この集落には子供が一人もいないため、大人だけで綱引きを行います。

井上さんが「子供がいないのにどうして綱引きを続けているんですか?」と聞いたところ、「別に。今まで通りやってるだけです」との答えがあったそうです。これにはちょっと感動してしまいました。地域づくりや地域活性化といった目的を掲げるのも悪くはありませんが、このように気負わず変わらず続けて行くことができるって、それだけで素晴らしいと思いませんか?

……というように、ビデオを使っていろいろな事例を紹介してくださったのですが、ここではそれができませんので、概略だけ触れます。

十五夜綱引きは、綱を作るところから始めます。

(1)材料集めです。綱の芯になるカヅラ(葛)やカヤを山から採ってきたり、集落の家を回ってワラを集めたりします。どのような材料を使うか、どうやって集めるかもいろいろあります。

(2)綱作りです。綱を綯(な)うことを、綱練りと言います。(綯うは鹿児島弁では「練る」です。)井上さんの分類では、これには①庭広げ式(広いところで平面的に作業する)、②道伸べ式(道に伸ばして直線的に作業する)、③櫓掛け式(櫓に綱をかけて立体的に作業する)があります。例えば鉄山の綱練りは①になります。

(3)綱引きです。つなを綱引きするところまで運び、お月様が出たら綱引きをします。

(4)綱引きの跡始末です。綱引きが終わったら、相撲を取るところもあります。綱は、海や川へ流したり、緑肥として使うためにばらして配ったりします。

井上さんは、それぞれの祭りについてこうした構造化をして分類をしています。民俗学では、多くの事例を比べて共通部分や違う部分を抽出し、民俗文化を分析します。

井上さんがいろいろ見せてくれたビデオの中で興味深かったのは、坊津町の泊のものでした。泊では「②道伸べ式」で縄を練るのですが、国道226号線に多くの人が集まって、かなり威勢の良いかけ声のもと、派手に縄を練っていました。そして夜には十五夜踊りという踊りがあり、なんとそこに子供が乱入して踊りを乱す「踊り壊し」というイベントが挟まれます。その後綱引きをして、最後に綱は川に投げ入れて終わります。なぜわざわざ踊りを子供が邪魔するのか、不思議です。どんな意味があるんでしょうか!?

さて、今回のテーマは「もう一つの十五夜綱引き」ですが、何が「もう一つの」かというと、こうした多様な十五夜綱引きの習俗には、「綱を引かない」というものがあります。綱を引かないで何をするのかというと、「綱を曳きずって集落を回る」。例えば万世の小松原や唐仁原にはこうした「綱曳きずり」があります。

綱引きしないで、曳きずるだけとは妙ですよね〜。

井上さんは小松原の「綱曳きずり」の様子をビデオで見せてくれましたが、20メートルくらいの綱を、子供たちが「子供が喜ぶ綱を引く、えーさっさ、えっさっさ」と謳いながらがズルズル引っ張っていました。これが小松原の「綱引き」なんだそう!

ちなみに十五夜綱引きには地域ごとに違う「十五夜歌」があり、「子供のおかげで綱を引く」とか「子供喜び綱を引く」とかいろいろあるそうです(もちろんそれ以外の歌詞も多様)。歌も十五夜綱引きの多様性を構成する要素です。

ところで2019年、薩摩川内の大綱引き調査委員会は、鹿児島県の十五夜綱引きについて全集落にアンケートを送付して調査するという、大規模な綱引き調査を行いました。井上さんも、この調査に参加したそうですが、この調査によって、かつてあったものも含む綱曳きずり習俗の分布が明らかになりました。(十五夜歌の多様性もこの調査でわかった。)

それによれば、万世の他に金峰町高橋、坊津、山川、喜入、谷山などに綱曳きずりがあり、川辺が例外ですが、基本的に綱曳きずりは海沿いに分布していました。でも、これは何を意味するのか、まだ分からないそうです。

しかしそもそも、なぜ十五夜に綱引きをするのか?

井上さんによれば、綱は蛇や竜を象徴しているのではないかと考えられるそうです。そういえば、十五夜綱はとぐろ状に巻くことが多いです。蛇が脱皮する様子に昔の人は「死と再生」のモチーフを見て、それを満ち欠けを繰り返す月の「死と再生」と重ね合わせ、十五夜綱引きが成立したのではないか。

十五夜+綱が「死と再生」を表すとすれば、巨大な竜蛇=綱を協力して作り、それを集落内を曳きずるのは清めの意味があり、また十五夜綱引きには不老不死や健康祈願などの呪術的意味が込められていたと考えられます。また十五夜には季節の節目という意味があり、畑作物の収穫の感謝や豊作祈願も込められていたに違いありません。

つまり十五夜綱引きは、「月と竜蛇とにあやかって、綱を通じ、参加者の健康を願い、集落を清め、次作の豊作を願う、「再生」と「除災」の民俗」だと言えるのです。

ここまでが講演の本体でしたが、ちょっと時間を延長して質疑応答が行われましたので一部を紹介します。

「十五夜といえば子供の行事だと思っていたが、実際どうなのか?」

これに対し井上さんは、再生と除災の民俗という観点からは、元来は子供はあまり関係ないのではないか、との考えでした。「先ほど紹介した鉄山の十五夜綱引きでも、子供がいなくなっても続けているので、子供がいないとできないとか子供のためにやる行事ではない」

では多くの十五夜行事でなぜ子供がかなり深く関わっているのかというと、「それは大人から学ぶ役割が与えられているから」ではないかといいます。考えてみると、大人だけでやる行事より、子供には子供なりの役割が与えられて参加する行事の方が、ずっと存続しやすそうですよね。もしかしたら、「子供が参加する十五夜綱引き」が自然と残ってきたのかもしれません。「子供を参加させるのは伝える工夫」だというのが井上さんの考えです。

「かつては大浦にも綱曳きずりがあり、それはとても珍しかったそうだが? カタツムリみたいな綱を引いていたとか。」

これは、井上さんは詳細不明としていました。十五夜綱引きは、当たり前ですがどこも同じ日(旧暦8月15日)に行うので、基本的に隣の集落が何をやっているかを見ることはありません。これは民俗学のフィールドワークでもネックになっていて、同日に行われる各地の十五夜綱引きを一つひとつ調査していくのには何年もかかります。何十年も調査をしてきた井上さんも、まだまだ見た事がない十五夜綱引きがあるとのことでした。

ちなみに、先ほど触れた「2019年の薩摩川内の大綱引き調査」では、綱練りはなくなっても、綱引き自体は行っている集落はまだたくさんありました。ところがコロナ禍によって行事が一度断絶し、それから復活しなかった地域がたくさんあるそうです。もちろんコロナのせいばかりではなく、集落の人口減少がその背景にあります。井上さんが祭を取材しようとすると、「去年来ればよかったのに」と何度も言われたんだとか。

「十五夜綱引きが旧島津藩領のみにみられる民俗ということは、藩権力からの奨励または規制などがあったのか」 

これは当然の疑問ですが、「そういう史料は見当たらない」そうです。藩権力は、農民が行う習俗に無関心だったようで、十五夜綱引きの記録自体がほとんどないとのことでした。なぜ旧薩摩藩領のみに十五夜綱引きが見られるのか、現時点では全くの謎。

最後に私からちょっと意地悪な質問をしてみました。「十五夜綱引きは、綱練りなどにかなりの労力を使う行事で、今の社会でやる意味は薄いが、それでも綱引きをやることに意味はあるのか?」

これに対する井上さんの答えは、「綱練りや綱引きというより、先輩から伝わってきたものを継承することそのものに意味がある。鉄山の人が「今まで通りやってるだけです」と言っていたように、文化の継承ってそういうものだと思う」というものでした。これは大変深い洞察だと感じました。私たちの社会は、一見無駄に見えるような無形のものがたくさんあって形成されていますが、そうしたものを引き継いでいくことが、社会の維持そのものなんだと思いました。

井上さんは、民俗行事を見てみたい、調べてみたい、という純粋な気持ちで長年調査を続けてきたんだそうです。「自分の役割は立派な論文を書くとかじゃなくて、とにかく記録すること。とりあえず全部調べてみたい、というのがこれまで続けてきた原動力」と話していました。

ただ、私としては井上さんの膨大な調査を、一度書籍の形でまとめてもらいたいと思っています。「南さつま半島文化——鹿児島県薩摩半島民俗文化博物館」やビデオのアーカイブも、大量すぎてその森に分け入るのは普通の人には難しいです。井上さん、ぜひお願いします!

※当日の要旨については、井上さんのブログにも掲載されていますのでご覧ください。
【参考】鹿児島の民具と風土: もう一つの十五夜綱引き ― 十五夜行事から見える再生と除災の民俗 ―
https://kagoshima-mingu.blogspot.com/2024/10/blog-post.html