2024年11月18日月曜日

第15回そらまどアカデミア開催しました。「台湾華語」を話す島、台湾


第15回そらまどアカデミア開催しました。

今回の講演は、なんだか申し込みが少なかったのです。「台湾に興味ある人少ないの?」と思っていたのですが、南日本新聞にお知らせを出したところ、新聞社の方から「タイトルが読めないんですけど…?」と言われてハタと気づきました。

今回のタイトルは「你好臺灣, 空尼機挖ジャパン」。「ジャパン」以外ほぼ読めない…⁉

「臺灣」をタイワンと読めない方も多かったようです。せめて「台湾」と書いておけばよかった。「空尼機挖」は、台湾の漢字の発音で「コンニチハ」を当て字にした言葉遊びでしたが、ちょっと凝りすぎましたね…!

というわけで申し込みは少なかったのですが、講師の張さんの知り合いが何人も来てくださって、その中には台湾人の方も2名いました。ありがたかったです!

講師の張 巧瑩(チョウ・コウエイ、愛称あきら)さんは、台湾の高雄市出身。南台科技大学で日本語を学び、指宿で就職。今年夏から南さつま市役所の国際交流員として働いています。この度、南さつま市では台湾の旗津区(キシン区)というところと姉妹都市協定を締結することとしており、その架け橋になっているのが張さんです。

台湾は九州とほぼ同じ面積で、九州の人口より約1000万人多い2300万人が住んでおり、しかも人口の多くが島の西部に集中しているため、とても人口密度が高いんだそうです。そんな中で、旗津区はたった1.46㎢の面積に2.8万人の人が住んでいます。ちなみに南さつま市の面積は283㎢、人口は3.1万人。人口密度は100倍以上の開きがあります!

そんな旗津区は、なんとすっごく細長い島なんです(本来は半島だが現在は分離されている)。こんなところに2.8万人も住んでるなんて面白いですね。人口島ではなく自然の地形のようですよ。

ちなみに旗津区と南さつま市が姉妹都市を目指しているのは、サンドアート(砂の祭典)のご縁があったからだそう(ただし、旗津区では現在サンドアートのイベントは行われていないとか)。

今後、旗津区と南さつま市にどんな交流が行われるのか、張さんの今後の活躍が楽しみです。

さて、張さんは、大学時代から14年間日本語を学び続けてきました。張さんの日本語力は「日本語能力試験(JLPT)」のN1級。これは同試験における最上級で、張さんはちょっと話した感じだと日本人と見分けがつかないくらいです。

そんな張さんでも日本語はとても難しいらしく、「適当にしゃべってます!」と笑っていました。

日本語の難しさとは、まず同じ漢字でも読み方がいくつもあること。例えば「今日は一月一日、日曜日。明日から日下部さんと五日間の旅行はよい日和だそうだ」という文の「日」の読み方はそれぞれ違います。「日曜日」なんて「にち」と「び」で一つの単語の中で2つの読み方をしています。

この文はちょっと特殊な読み方の「日」ばかりが意図的に入ってますが、「祝日(ジツ)」「日(ニッ)蝕」なんかは普通の読み方ですけど、こういうのもいちいち覚えないといけないのは外国人にとっては大変です。「日本」には「二ホン」と「ニッポン」という二つの読みがあっても、「ニポン」とは言えないとか(笑)。まあ、漢字の読みは日本人でも難しいですけどね。

次に謙譲語や尊敬語の使い分け、助詞の使い方、一人称の異常な多様さ(俺、僕、私、わし…)、こうしたことにしょっちゅう困惑しているとのことでした。その上、鹿児島では鹿児島弁があるので、方言がきつい人の話は「半分くらいしかわからない」とのこと。張さん、安心してください。鹿児島生まれ、鹿児島育ちの私でもそうです!!(笑)

一方、台湾の言葉もなかなか複雑です。というか、すごく複雑です!

そもそも、台湾は多民族国家です。国家らしいものがなかった原住民の時代、中国の沿岸部(泉州、福州)などから華僑の人たちが入植してきました。そして大航海時代にはオランダ人が台湾にゼーランディア城を築いて植民地化します。これを打倒したのが明の遺臣だった鄭成功(人形浄瑠璃『国性爺合戦』の主人公ですよね)。その後清朝が台湾を支配し、中国人の入植にともなって原住民は台湾西部の山岳地帯へと追いやられていきました。その後いろいろあって明治時代に日本が台湾を植民地化します。この「台湾出兵」で大将を務めたのが鹿児島出身の樺山資紀(かばやま・すけのり)で、樺山は初代の台湾総督となりました。戦後、台湾は日本の支配を離れますが、中国共産党との戦いに敗れた中華民国が台湾に逃れ、現在の台湾の政権となりました。

このような歴史があるため、台湾は様々な民族と文化が複合した国となりました。では、他民族国家である台湾の言葉はどうなっているか。

台湾では、「台語(台湾語)」=古い時代に台湾に入植した人々により話されていた言葉をベースとして日本語などが取り入れられた現地語、「客家語」=客家(ハッカ:漢民族の一派)の言葉、「原住民語」といった言葉が話されています。つまり台湾は多言語国家でもあるのです。そして、その共通語となっているのが「台湾華語」です。

この多民族国家の共通語「台湾華語」は、どのように形成されたものなのでしょうか。

まず、「華語」というものがありました。これは中国はもちろん、シンガポールやマレーシアなど東南アジア各地に広がっていった華僑の人たちが使っていた中国語です。かつて東アジア海域の共通語(リンガ・フランカ)であったのが「華語」です。

そして、台湾が独立した時に、多言語国家の「国語」として設定したのがこの「華語」でした。台湾政府は国語辞典を制作して「国語」を定め、ある時期には方言禁止運動を行って、学校で方言をしゃべったら罰金を払うというような政策を行っていたこともあります。鹿児島でも60年ほど前、方言撲滅のために「方言札(私は方言をつかいました、という首から下げる札)」を使っていた時期がありますが同じですね。

このようにして「国語」の普及に取り組んだ結果もあり、今では台湾全土の人が台湾華語を使うことができるようになっています。では、台湾華語は中国語とは違うのか。

ここでいう中国語は、中華人民共和国政府が「普通話」として定めている言葉ですが、台湾華語と中国語は問題なく意思疎通できるものの、やっぱり違うもの。その違いについて張さんは「イギリス英語とアメリカ英語みたいなもの」とおっしゃっていました。

そもそも「普通話」は、中国政府が人為的に設定した部分も大きく、例えば漢字を「簡体字」という簡易化したものに変えてしまいました。

一方で台湾華語は、頑なに画数の多い漢字を守り続けています(だから臺灣が読めなかった!(笑))。そうかと思えば、積極的に外来語を取り入れているという側面もあるそうです。特に日本統治時代の名残として日本語由来の単語も入っており、たくさんの例が示されていましたが、中でも面白かったのが「巴庫味阿(バクミア)」。何かと思ったら「バックミラー」だそうです。これは中国では通じないですね、きっと。

……というのが台湾華語ですが、面白いのが「台湾華語」というようになったのはせいぜい15~20年前からに過ぎない、ということです。じゃあ、なんで最近になって自分たちの言葉を「台湾華語」と呼ぶようになったのか、というと、それには対外的な意図がありました。つまり、自分たちの言葉を「中国語」ではなく、「台湾華語」として世界に認識してもらいたい、という願いが込められているのだそうです。

このような話をきいていると、私は「言語は、極めて政治的なものである」ということ改めて感じずにはいられませんでした。

ドーデの『最後の授業』(フランスのアルザス地方がドイツに占領されたことでフランス語が禁止される話)に象徴されるように、支配者が被支配者の言葉を奪ってしまうことはよくあります。方言禁止運動もその一つですね。

それは、少数民族や地方の人たちを単にいじめているのではなく、言語の統一が国家のアイデンティティの確立につながるという重要な側面があるからです。しかし台湾でも、現在では方言禁止運動が反省され、全ての言語は等しく価値があるという、多様性を認める方針へとなっています。そんな時代に「台湾華語」という呼称が改めて設定され、対外的に推進されているのは、「中国語」に対抗しようという意図があるようです。

「中国語と台湾華語」を「イギリス英語とアメリカ英語」のような対等な関係に擬(なぞら)えることも、台湾の言葉の国際的な重要性を大きく引き上げようとする意志の現れなんでしょうね。

ところで話が変わるようですが、香港では、中国への返還後、民主的なものが弾圧される状況になっているのはご承知の通りです。そこで香港では、広東語を大事にすることによって精神的独立を保とうとする運動があると聞きます。言語は権力に対抗する武器にもなるということです。

民族・国家・文化の根幹には言語があります。言葉は、共同体を他と区別する最大の標識です。しかもこれは、肌や髪の色と違って、自分たちの意思で変えていくことが可能です。台湾のみなさんは、自分たちがなりたい国になるために、あるいは「台湾」を世界に認識してもらうために、「台湾華語」を大事にしているのかなと感じました。

台湾には、なんと子供向けの「発音矯正塾」があるそうです。これは昔の方言禁止運動の名残かもしれませんが、同時に言葉を大事にする姿勢の現れなのかもしれません。

ところで最後に面白い話を一つ。先述の通り、張さんは台湾の高雄(たかお)市のご出身ですが、なんで「高雄」は訓読みなんだろうと疑問に思っていました。日本語で読むときは、台湾でも中国でも、地名は音読みなのが普通ですよね? と思って張さんに聞いたところ、張さんはご存じなかったのですが、参加された台湾人の方が教えてくれました。

それによると、高雄のもともとの地名は「打狗(ダァカオ)」だったそうです。それが、日本統治時代に、この字面がよくないということで日本人が「高雄」に変えました。だから「タカオ」の方が元の地名の発音に近く、「コウユウ」では全然異なってしまいます。そんなわけで、高雄は、日本語では訓読みにするのが正解なのです! 台湾は日本統治時代を否定するでもなく、フラットに捉えて活かしているのがたくましいというか、大人だなと思います。

なお、台湾華語の位置づけについての話は、講演でよくわからなかったため、上記のメモでは講演後に教えてもらったことも加えて書きました。また、言語に政治的な意味合いを見るのはあくまでも私の個人的な見解で、講演では「台湾にある間違った日本語の面白い看板」など楽しい話が中心でした。こういう楽しい話はぜひ実際の講演で聞いていただければと思います(うちの子が大笑いしていました)。

そらまどは辺鄙なところにありますが、台湾よりは近いのでぜひお気軽にお越しください。

2024年11月9日土曜日

「ないじゃ、なっちょらん!」

今年の「南薩の田舎暮らし」では、ずいぶん柑橘類が少なさそうです。

というのは、ポンカンとタンカンはまず、春の段階で花があまり咲きませんでした。

ポンカンについては、昨年が豊作だったのでその影響があったのと、あと以前も記事に書いたことがありますが、ナガタマムシという虫の害をかなり受けていて弱っているためもあります。

が、地域全体としてもポンカンは不作のようです。夏くらいに、ポンカン農家の方に「今年はどうですか?」と聞いたら、「ないじゃ、なっちょらん!」(なんにも、なってない!)と言ってました。まさにうちもそんな感じ。「ないじゃ、なっちょらん!」

そんなわけで、今年のポンカンの販売は、あったとしてもごく少量なのでご承知おきください。

タンカンの不作ついては、昨年が豊作だったためもありますが、正直よくわかりません。というのは昨年豊作じゃない樹についてもあまり実がなっていないからです。春先の天候によるもののような気がします。さらに、今年は強い台風がきたので、外観が悪いものがとても多いです。というかきれいなものはほとんどないといってもいい有様。

そのほかの柑橘は、それなりの収穫を見込んで……いたのですが!

10月後半になって、果実がボトボトと落ちる被害が見られるようになりました。特にブラッドオレンジがひどい。樹によっては半分くらい落ちてしまいました。これはきっと、カメムシ被害です(写真参照)。

今年は全国でカメムシが大量発生しているという話です。鹿児島県では、例年に比べて劇的に多いという情報はなかったのですが、他の農家からも「カメムシ被害でミカンの実が落ちている」という話を聞いているので、やっぱり多いのかも。

そんなわけで、今のところ、ちゃんと収穫できそうなのは、ブンタンと河内晩柑の2種類だけです。

この2種類については、樹の生長もあるので、昨年より多く販売できると思います。ただ、それもこれからカメムシ被害がなければ……の話。ようやく寒くなってきたので、これ以上の被害がないことを祈ります。

2024年11月5日火曜日

文芸誌『窻』を創刊しました。

南薩の田舎暮らしが運営する「books & cafe そらまど」では、このたび文芸誌『窻(まど)』を創刊しました。

【参考】文芸誌『窻』|books &  cafe そらまど
https://sites.google.com/view/soramado/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/%E6%96%87%E8%8A%B8%E8%AA%8C%E7%AA%BB

今後、一年に2回ずつ発行していく予定です。

内容は、テーマを指定して書いてもらったエッセイ(「テーマエッセイ」と呼んでいます)と、創作(詩や短編小説)、記録(ノンフィクション)、論考その他です。といっても、創刊号は知り合いに声を掛けて書いてもらったものばかりなので、24ページしかありません。今後、充実させていきたいと思っています。

どうして『窻』という名前にしたのか(「窻」は「窓」の旧字体です)、ということについては、『窻』創刊号に掲載の「「窻」には心がある」で説明してますのでよかったらお読みください。

販売については、そらまどの店頭販売以外に、今のところ天文館の「古本屋ブックスパーチ」と、月イチで開催している「石蔵ブックカフェ」で手に入ります。

【参考】石蔵ブックカフェ
https://so1ch1ro.wixsite.com/ishigura-bookcafe

それから、インターネットでも販売しておりますので遠方の方はこちらからお買い求めください。

【参考】『窻(まど)』創刊号|books & cafe そらまどWEBショップ(STORES)
https://books-soramado.stores.jp/items/67247cd7c3d7cd0af49372a4

どうして文芸誌なんかつくることにしたのか、ということは、『窻』創刊号の「創刊の言葉」にちょっと書いたのですが、そこに書かなかったことをここで説明したいと思います。

「books & cafe そらまど」は、もともと「田舎の文化の拠点を目指します」ということでつくった店です。「そんなもんいるの?」とか言わないで下さいね。私たちが、こういうところがあったらいいなと思ってつくったので。

ともかく、そういう風に言ってオープンした以上、「文化の拠点って何だろう?」ということを考えてきました(まさに泥縄です!)。

本当は、文化の発信をしていくことができればいいんですが(例えばギャラリーとか)、そういうスペースもないし、「そらまどアカデミア」という講演会は定期的にやっていますが、これも定員が僅かです。本の販売は「文化の拠点」っぽいですが、うちは本屋としては本の数は少ないですし仕入れも積極的にしていません。

そこで、地味ではありますが、「ものを書く」ことを基盤にしたらどうかと思いました。「ものを書く」なら、お店に来ない人とも繋がれるからです。 

それにつくってみて思いましたが、「うちの文芸誌に寄稿してくれませんか?」と声を掛けることは、「お店に来て下さいね」とは全然違います。「お店に来て下さいね」だと、あくまでも店主と客の関係、極端に言えばお金の関係ですが、「寄稿してくれませんか?」になると、お金の関係じゃないのです。これはちょっと文化的です。

『窻』をきっかけに、「そらまど」がちょっとでも「文化の拠点」に近づけたらいいなと思っています。

ところで、『窻』の発行費用はどうするんですか? と聞いてきた人がいました。こういうのは、協賛金や広告を集めるて発行するのが普通かもしれませんね。でも『窻』は、さしあたり収支は考えずに広告なし・協賛金なしでやっていきたいと思います。つまり赤字事業です。でも全部売れたら元が取れるはずですので、よかったら買って下さい…!