第20回そらまどアカデミア開催しました。
今回ご登壇いただいたのは、鹿児島大学で言語について研究している坂井美日(みか)先生です。つい先日、坂井先生の研究室で「方言絵本」(下の写真)を作成したとの新聞記事が掲載されましたが、坂井先生はさまざまなアプローチで方言の教育研究に取り組んでおられ、私はいつか話を聞きたいなと思っていました。面識はなかったのですが、こうしてご講演いただけたことがありがたいです。実は、知人からの紹介もなく全く面識のない方にご講演いただくのは初めての経験でした。
坂井先生は「方言を研究しているというと、感覚的なものだと思われがちですが、実際は科学的なんです」と切り出しました。
そのケーススタディとして挙げられたのが鹿児島弁の形容詞についての考察です。
鹿児島弁話者のみなさんは、「浅い」「深い」「暑い」を何と言いますか? 「浅い」は「浅か」または「浅せ(あせ)」、「深い」は「深か」または「深け(ふけ)」、「暑い」は「ぬっか」または「ぬき」と2種類の言い方がありますよね?
標準語では形容詞は「イ」で終わるのでイ形容詞と呼ぶことにすると、「浅か」などは「カ」で終わるのでカ形容詞と呼べます。カ形容詞は九州では広く使われていますよね。では「浅せ」の方は?
これは、あさい/asai/の二重母音の/ai/が融合して/e/となったものと考えられます。ぬくい/nukui/の場合も/ui/→/i/です。こういう音の変化は言語によく起こります。つまりこれらはイ形容詞から変化した融合系と考えられます。表にまとめると以下の通り。
| カ形容詞 | イ形容詞(標準語) | イ形容詞融合形 |
|---|---|---|
| あさか | 浅い | あせ /asai/→/ase/ |
| ふかか | 深い | ふけ /fukai/→/fuke/ |
| ぬっか | 暑い(温い) | ぬき /nukui/ → /nuki/ |
でも、なんで鹿児島弁には2種類の形容詞の言い方があるのでしょうか? イ形容詞融合形は標準語から変化したとみなせるので、標準語教育以降なのかも? という仮説を立ててみます。それを確かめるために古い文献を確認してみましょう。
鹿児島で標準語教育が行われたのは明治30年代からで、この頃の標準語を学ぶためのテキストに鹿児島弁が対訳(!)として掲載されているのが参考になります。まずは明治37年初版の『鹿児島語と普通語』を確認してみると、「ヨカ間(ま)がエチョイモス(よい部屋が空いています)」とか「モット ヤシ本はネカ?(もっと安い本はないか?)」とあるので、すでに混交状態が確認できます。
明治32年の『鹿児嶋言葉わらひの種』という本もあります。これは島津久光の娘が長野(真田家)に嫁ぐときに持って行った本だそうです。ここにも「キュ ハ ヌキネエー ココン イガワ ワ チメテカ?(今日は暑いね ここの井戸の水はつめたいか)」「スクワヲ、 チメタカ ミヂ ツケチ モチケ(甜瓜?をつめたい水につけてもってこい)」 とあります。「チメテカ」の「カ」は疑問詞なので、「チメテ」と「チメタカ」で混交状態があります。
ではさらにさかのぼってみましょう。江戸時代中期の「ゴンザ資料」ではどうなっているでしょうか。鹿児島の人はよく知っていると思いますが、ゴンザは少年の頃に漂流してロシア人に助けられ、ロシア政府の命で日露辞書(実際は鹿児島弁ーロシア語辞書)を作った人です。ちなみに講演では、ゴンザ辞書にあるキリル語表記の鹿児島弁をキリル文字とアルファベットの対応表から読み解くという面白い作業をみなさんにもやっていただきました。
そこでは、「タニハ フカカ(谷は深い)」「カワ アセカ、マタ フケカ(川は浅いか、または深いか)」と、やはりカ形容詞とイ形容詞(融合形)の混交状態が確認されるのです! というわけで、混交状態は江戸時代まで遡ることは確実です。というわけで先ほどの仮説は否定されました。
ちなみに古典語の形容詞には、ク活用・シク活用と呼ばれる「本活用」(長き/新しき)と、カリ活用・シカリ活用と呼ばれる「補助活用」(長かる/新しかる)があります。本活用がイ音便化して「長い/新しい」となり、補助活用が変化して「長か/新しか」=カ形容詞となったようです。
ということは、鹿児島弁は本活用の方も平行的に変化してイ形容詞融合形が生まれたんでしょうか? 鹿児島で江戸時代までにどういう経緯で両形容詞が混交したのが不明なため、現段階ではなんともいえません。
このように、方言の研究といっても「〇〇は鹿児島弁では何というでしょうか?」的な辞書的なものでなく、データの監察・仮説の立案・その検証という、科学的な手続きで行われるものなのです。
次は、「データに基づいて法則をえがく」という事例で、アクセントに注目します。アクセントとは「単語を識別するための発音の際立たせ」のことで、音の強弱とか高低で表され、鹿児島弁の場合は高低です。実は、鹿児島弁のアクセントには「単語の最後か、最後から2番目か」という2種類しかないんだそうです。アクセントの位置を太字で示すと以下の通り。
| 鼻 | ハナ |
| 花 | ハナ |
| 飴 | アメ |
| 雨 | アメ |
| 女 | オナゴ |
| 女 | オナゴ |
| 男 | オトコ |
| 甘酒 | アマザケ |
| 朝顔 | アサガオ |
(鹿児島弁話者にしかわかりませんが)確かにそうですよね! このように「最後か、最後から2番目か」のアクセントを「二型アクセント」というのだそうです。しかも鹿児島弁の場合はちょっと変わった事情もあります。日本語は基本的に「モーラ(拍)」を基準としているのに(=モーラ言語)、鹿児島弁は「シラブル(音節)」が基準となっています(=シラビーム言語)。
モーラとは、「お・ば・あ・さ・ん」のように俳句の拍を数える単語の分解方法です。一方シラブルは「o/ba:/saN」のように、母音を核とした聞こえの塊のことです。「おばあさん」は5モーラ/3音節ということになります。次の単語のアクセントを見てみると、鹿児島弁のアクセントがシラブル単位であることがわかります。
| 語彙 | 鹿児島の高低 | シラブル |
|---|---|---|
| 看板 | カンバン | kan.ban |
| 東海道 | トウカイドウ | to:.kai.do: |
| 祥子 | ショウコ | sho:.ko |
| 獣 | ケダモノ | ke.da.mo.no |
| 獣 | ケダモン | ke.da.mon |
カタカナで書くと「最後か、最後から2番目か」の法則が崩れているように見えるのに、シラブルで見るとしっかり合ってます。特に「獣」の二種類の読み方が、シラブルで考えるとどちらも「最後から2番目」で変化していないことがわかりますね! 鹿児島弁がシラビーム言語であることは、日本語方言では珍しい特徴です。
さらに面白いのが、鹿児島弁では単語のアクセントが移動すること。次の表を見てください。鹿児島弁では単語が結合して複合語を形成するとき、前の単語のアクセント法則を引き継ぐことがわかります。これマスターするのって難しくないですか? 私は何も考えずに鹿児島弁をしゃべってますがこんな処理を頭の中でしていたとは…!
| 語彙 | 鹿児島の高低 | アクセントの位置 |
|---|---|---|
| 山 | ヤマ | 最後 |
| 桜 | サクラ | 最後から2番目 |
| 山桜 | ヤマザクラ | →最後 |
| 傷 | キッ | 最後から2番目 |
| 薬 | クスイ | 最後 |
| 傷薬 | キッグスイ |
→最後から2番目 |
さらに鹿児島弁の場合は、複合語の単位ではなく、文節単位でアクセントが移動します。
| 語彙 | 鹿児島の高低 | アクセントの位置 |
|---|---|---|
| 山 | ヤマ | 最後 |
| 山が | ヤマガ | 最後 |
| 山桜が | ヤマザクラガ | →最後 |
| 傷 | キッ | 最後から2番目 |
| 傷薬 | キッグスイ | 最後から2番目 |
| 傷薬が | キッグスイガ | →最後から2番目 |
なんというややこしい仕組みなんでしょう。文節まで考えてアクセントをつけないといけないとは。鹿児島弁は習得が難しいと言いますが、当然だと思いました。
というわけで、これまでの事例を通じて、「(1)鹿児島弁の単語はシラブル(音節)を基準に形成されており、(2)そのアクセントは”最後か最後から2番目か”という2種類しかなく、(3)しかも複合語や文節を形成するときは最初の単語の法則に従ってアクセントが移動する」という法則があることが確認されました。
なお、こういった法則は、日本語の方言の中で珍しいばかりではなく、世界の言語の中でも割と変わっているそうです。では、どうして鹿児島弁はこんなに特殊なんでしょうか? 鹿児島の環境や社会が特殊なんでしょうか? 質問してみたら、それについて坂井先生は「それはわかりません」と断言し、「いろいろと考えられはするんですが…中央との距離が遠いですし…」と言いかけて「ここからは軽々しく言わないことにします」と答えました。こういう態度が「科学」なんですよね!
普段何も考えずに使っている鹿児島弁ですが、科学的に解剖してみると独特な仕組みがあることがわかり、しかもその独特な仕組みを自分自身が苦もなく使いこなしていることに不思議な気がしました。言語も不思議ですが、人間の脳も不思議です。
なお、冒頭に紹介した絵本はまだ一般販売はされておらず、資金が集まったら刊行する予定とのことでした。クラウドファンディング等が行われた場合は、みなさん坂井研究室にご協力をよろしくお願いします!