2026年6月17日水曜日

第23回そらまどアカデミア開催しました。「ヘタでも挑戦するのが大事」

第23回そらまどアカデミア開催しました。

今回お話しいただいたのは、南日本新聞で「鹿児島つれづれ小咄(こばなし)」を毎日連載している永田祥二さんです。

永田さんにご登壇いただくことになったきっかけは、約1年前に開催した画家の佳月優さんの講演です。佳月さんは若い頃、友達の「ナガタ君」と巨匠の絵画の分析を熱心に行います。この分析が佳月さんの話の中核だったのですが、その「ナガタ君」が永田祥二さんだというご縁で今回講演を依頼しました。

【参考】第18回そらまどアカデミア開催しました。「芸術には一致したものがある」
https://nansatz-kurashi.blogspot.com/2025/06/18.html

永田さんは、もともと絵描きになりたいという希望を持っていました。受験に失敗し、将来が見えない20代、同じ志を持つ佳月さんと切磋琢磨します。永田さんが特にこだわったのが構図です。

永田さんは、巨匠たちの絵画がいかに巧妙な構図で構成されているかを力説します。雲や背景の樹木など何気ないものが画面を黄金比(1:1.618...、最も安定した美しい比率とされる)で分割しているそうです。一方、障害のある子どもたちはそんな計算はしていないはずなのに、すばらしい絵を描いています。それは「生きる」「障害を克服する」という強い気持ちが画面に現れ、最も安定する配置に落ち着くからなのかもしれません。絵画について語る永田さんはとにかく熱い!

ところが、残念ながら永田さんは画家にはなれませんでした。そこで実家の稼業だった建設コンサルの仕事に従事します。この他、「環境商材を取り扱う会社の社長もしたし、居酒屋を2軒経営していたこともあります。友人とデザイン事務所をやっていたことも。でも全部廃業してしまいました。自分にはマネジメント能力がなかったんだと思います」。

そんなうまくいかない仕事のストレス発散をしようと、永田さんは文章を書き始めます。絵を描くには画材などお金がかかりますが、文章ならお金がかからないから、ということだったそうです。そして「南日本文学賞の賞金30万円に目がくらんで応募しました」。その時の作品は、子供時代のことや自分の人生の失敗を題材にしたものだったそうですが、これが「まぐれで最終審査に残りました」。しかし! 南日本文学賞の最終審査は観客も集めて公開で行われるのですが、ここで「僕の作品がボロクソに言われました」。

その時に大賞だったのが岡村知鶴子さんの小説「かなくそ坂」でしたが、岡村さんの親類がやっている居酒屋に行ったら「ここでやめたら男じゃない」とさんざんそこの人に言われます。人生に必要な叱咤激励って、意外なところから飛んできますよね。

そこで永田さんは発奮してまた小説を書きます。測量の仕事で行っていた喜界島で聞いた、一度も島から出たことがない人が持つ霊感と狐の嫁入りを組み合わせて書いた「狐の行列」という小説でした。これが翌年(2009年)の南日本文学賞を取ります。しかもこの年は5年に一度の南日本文学大賞の年でした(賞金100万円!)。

でも永田さんは、その小説をよくできたものだったとは言いません。むしろ「ヘタなのを開き直って書いた」と言います。「前年、ボロカスに言った遠慮があって賞をくれたのかもしれない(笑)」。ただ、審査員の佐々木幹郎(みきろう)さんに「文章が絵画的だ」と言われたのは嬉しかったそうです。「今読んでも、光や色のイメージが自然に書けていたと思う」。

これに気をよくした永田さんは、いろんな賞に応募してそれなりに受賞します。「このころは純粋な気持ちで書けていたと思います。でも次第に調子に乗ってしまって、かえっていいのが書けなくなった。ヘタでもいいから、自分の書きたいものを素直に書くということができなくなっていたんですよね」。結果、賞には落ち続けます。それでも書くことはやめなかったそうです。

しかし事業も行き詰まり、お父様の介護もやらなくてはなりませんでした。「南さつま市のゴミ出しカレンダーの広告を取る仕事もしたんですよ。その時に病院と葬儀屋の広告を並べて配置するという大失態も犯しました」。それにしてもいろんな仕事をしてますね。そしてついに、手掛けた事業を畳まざるをえなくなり、50代で失業します。

「ハローワークに行ったら、介護職なら働けると言われました。南日本文学賞を取ったとか全然関係ない」。これが転機になります。老人ホームでは、幽霊を見るなど不思議な体験もあり、また日々いろんなトラブルが起こります。そういうことを書き留めておいたところ、新聞で『メーター検針員テゲテゲ日記』(川島 徹)の広告を見て、「テゲテゲといえば鹿児島の人だろう。鹿児島の人が出しているんなら、介護の話で自分も書ける」と思い、出版社の「三五館シンシャ」にメールを出します。

ちなみに「三五館シンシャ」は、いわゆる一人出版社で、社長がいけると思えばすぐに本が出せるというスピード感のある会社でした。社長が「じゃあ5本送って」というので永田さんが10本送ったところ、「あと5本送って」と言われ、その次には契約書が送られてきたそうです。こうして世に出たのが『非正規介護職員 ヨボヨボ日記』です。

永田さんが本を出した「日記シリーズ」では、最初に出た『交通誘導員ヨレヨレ日記』(柏耕一)も7、8社から断られたそうです。しかし「三五館シンシャ」がこれを出したところ大ヒット。「日記シリーズはこれまで26冊出ていますが、人生に失敗した人がキツい仕事をしているのをウソなく書いているから面白い」と永田さん。永田さんも当時勤めていた施設について言いたい放題書いていて、施設にバレたらまずいため真山剛というペンネームで書きました(笑)。

この『非正規介護職員 ヨボヨボ日記』が「まあまあ売れて、これのおかげで借金が返せました」。そして介護職のリアルが書いてあるということで共同通信社(新聞社等にニュースを配信する会社)の目に留まり、永田さんは約30紙に掲載されるコラムを連載します。

そして南日本新聞で「鹿児島つれづれ小咄」を毎日連載することになります。これまで(=講演当日まで)に約520本書いているそうです。「よくネタに困らないねと言われますが、上手に書こうと思わないから書けている。割り切って思ったままを書くんです。くだらないことばかり書いていてすみません」と永田さんは笑います。

ここから、永田さんの書くコツの話になりました。結構たくさんあるので簡潔にまとめます。

  • 自分の職業の話を書くのはよい。他の人が知らない業界の話は面白い。「日記シリーズ」に挑戦することも勧める。文学賞でも、私は土木業界で働いていたからそれが他の人にはない視点となって評点が高くなった。
  • 小説を書くときは、カレンダーの裏紙のような大きな紙に時代背景・登場人物・いきさつなどを書き、線で結んだり色分けしたりしてまとめていくのがいい。一枚の紙だから破綻があったらすぐわかる。そしてそれを自分で面白いと思ったら作品にする。面白いと思えなかったら無理に作品にしない。
  • 小説は最初の4、5ページで面白くなかったらもう読まれない。最初からどうなるかわかるようではだめ。調べて書いても面白くないので実体験に基づいたものがよく、しかも予定調和にならないように書く。
  • 規定枚数60枚の小説を書くなら、まず80枚書いてみる。そしてそれをどんどん削っていく。少なく書いて足すのは絶対に面白いものにならない。
  • 書いたら必ず誰かに見てもらう。私のエッセイの最初の読者は妻。「つれづれ小咄」は30本出したら10本は妻からボツを食らう。読んでくれる友達もいる。そういう人から手厳しい批判をもらった方がいい。
  • とにかく挑戦する。全国に文芸作品のコンテストがたくさんある。自分が好きな作家が審査員をやっているコンテストに出してみては。

他にもいろいろありましたがこのあたりで。そして短編やエッセイの参考になるオススメの作品もたくさん紹介されました。例えば、向田邦子『思い出トランプ』。宮本輝『五千回の生死』、三浦哲郎『短編集モザイク』(シリーズ)、堀江敏幸『雪沼とその周辺』、川端康成『掌の小説』(特に「バッタと鈴虫」「男と女の荷車」「金糸雀」)、東海林さだお「丸かじりシリーズ」、写真家の武田花さんのエッセイ、マンガではつげ義春がおすすめだそうです。

そして文章を書いて生きていく、ということについて「僕が若いころに比べて、比べものにならないくらい機会がある」と言います。「(ブログサービスの)noteに書いていて出版された人もいますし、鹿児島でも40代のオバさんなのに美少年のふりをしてBL小説(ボーイズ・ラブ)を書いて生活できるほどお金を稼いでいる人もいます。あまり人には言えないような文筆代行をしている人も。鹿児島でも文章を書いて飯食ってる人ってけっこういるんですよね。最近は自分で本の形にするのも結構簡単にできます。作家の穂村弘さんは、自分で300万円かけて本を作って何十社かに送って、それが高橋源一郎さんの目に留まって成功しました。やっぱりチャレンジすることって大事。僕の挑戦が50歳からだから」。

そんな永田さんの次なる目標は。

「もう一回、文学の勉強をしたい。大正・昭和の作家は文章がしっかりしている。ああいうのを見直してみたい。それから、一度はあきらめた絵もまた勉強したい。そのためには石膏デッサンからかな。そしてマンガも描いてみたい。今はYouTubeでも書き方指南の動画がたくさんあるので挑戦したい」。

最近、私はだんだん加齢を感じてきて「もう新しいことへの挑戦はなかなか難しいなあ」と思っていたのですが、永田さんのこの姿勢を見習いたいと思います。

ところで、永田さんは「つれづれ小咄」などご自身の文章について「くだらなくてすみません」とか「ヘタな文章」と何度も言っていました。最初は謙遜かなと思っていたのですが、実は深い意味があるのではないかと思わされたのが絵の話との対比から。割愛しましたが、永田さんの話には「例えば絵画だと…」のように絵の話が差し挟まれ、その時にはすごく饒舌になります。巨匠の絵がいかに巧妙な構図に基づいているかという話を聞いていると「絵はヘタでもいい」というような感じは一切しませんでした。なのになぜ文章になると「ヘタでもいいから書いたらいい」と言っているのか……⁉

私はむしろ、永田さんは「ヘタな文章」に積極的な意味を見出している感じがしました。永田さんはAIが書く文章について「すごく上手だと思う。でも文章に”遊び”や無駄がない。AIにヘタな文章を書けといっても多分書けないんじゃないか」と言います。「だから僕みたいなヘタな文章を書く人間がいた方が面白い」。

私自身、長く文章を書いてきて思うのですが、そつのない文章はそれなりに書けるようになります。しかしそつのない文章を書くために削ぎ落とされるものも多い。以前、山口文憲さんの『読ませる技術』という本を読んだときに、作者が実際にエッセイ教室で行った添削の事例が掲載されていました。これがなんと、添削前の作品の方がずっとよかったのです。添削後の作品は、そつのないものになっていて、今でいえばAI的なのです。エッセイ教室は書く技法を教える場所なので、その添削は需要に応えるものだったのだと思います。しかし読者として見ると、添削前のみっともない作品の方がよかった。補正して作った美女の顔より、深いシワが刻まれた素顔の方がすっと面白いのと一緒です。

永田さんが自分を「ヘタ」と「開き直って」いるのはこれに通じるものがあります。もしかしたら、永田さんは「上手に書くこと」が目的にならないように自戒されているのかも? それが永田さんがいろいろな経験をしてきて体得した文章技法なのかもしれません。

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