当日は大雨になるかもという予報でしたが、それほどでもなくてホッとしました。
さて、今回は室屋無吹さんにお越し頂き、尺八を吹きながら、尺八の魅力とその歴史について語っていただきました。
室屋さんは虚無僧の姿で登場。そして室屋さんが吹く尺八の音の素晴らしさに、まず会場の皆さんが衝撃を受けていました。それは、西洋音楽のようなピッチが定まった音ではなく、「かすれと揺らぎ」が醸し出す音の魅力です。「音楽」ではなく「音」と言いたいですね。
尺八は元々、禅宗の一派である普化宗(ふけしゅう)の僧侶=虚無僧(薦僧)たちが、悟りを得るための修行として吹く「法器」でした。そこでは「一音成仏(いっとんじょうぶつ)」といって、「一音」で悟りの境地に至るという、なんとも信じ難いようなことが言われていました。
「一つの音だけで悟れるわけないだろ!」というのが普通の人の感覚かと思いますが、実際に室屋さんの尺八を聞いてみると、「一音で昇天することだってあるかも」と思います。そういう、「音楽」とは全く違う音の世界が尺八にあるんです。
では、尺八だけでなく、日本の伝統音楽にはそういう音の世界が他にもあったのかというと、もちろん多少はあったのですが、尺八は他の楽器とはちょっと違います。
というのは、日本の伝統音楽は、元々は古代の律令国家の時代(飛鳥・奈良時代)に、唐からごっそり輸入されたものでした。この音楽は法会で演奏されるなど仏教と共に受容されており、笙とか篳篥(ひちりき)、龍笛、琵琶といった楽器も、今では純邦楽みたいに思われていますが元は中国からの輸入楽器です。
尺八も中国から輸入されたものが原型になっているそうですが、当時は竹に穴を6つ空けたもので、今のものとは少し違うようです。この尺八の祖先のような楽器はなぜか廃れてしまい、室町時代くらいに5穴の尺八が登場するようになります。
それは、やはり室町時代に中国からもたらされたようなのですが、そのあたりの伝説は『虚鐸伝記国字解』というものに書いてあります。ところがこれがクセモノの本で、虚実入り交じっている。この本は『虚鐸伝記』という漢籍に註解を施した体裁になっているのですが、そもそも『虚鐸伝記』なんて本があったのかどうかも定かでないという…(笑)
尺八は、嘘か誠かわからないような伝説が常にまつわりついているそうです。ともかく尺八は、音楽=楽器としてではなく、室町時代の頃は「法器」として、吹禅(すいぜん)の道具として受け取られていたのです(しかし「吹禅」という言葉もいつからある言葉なのか判然としない、ということです)。
では、楽器ではなく「法器」である意味は何か? それは、「決まった曲を決まった音程で吹くという技術的なことを目的とするのではなく、それぞれの人が出す音、人となりを表す音によって自己表現する」というようなことなのかなと理解しました。
「一音成仏」というのも、一音に命をかけるというような意味もあるのでしょうが、それよりも、「曲」のようなまとまりを技術的に再現することを目的としないのが尺八の「法器」たる所以(ゆえん)なのかもしれません。
そしてだからこそ、尺八は頑固なまでの(?)独奏楽器として発展していきます。
箏、琵琶、笛、三味線、太鼓などなど、雅楽由来の邦楽器の多くは、基本的には合奏することを前提に作られたものです。というのは、雅楽は元々アンサンブル音楽であるためです。それが伝播する過程で独奏楽器に変容していく場合もありましたが、ゴッタンのような民俗楽器も含め、伴奏・合奏を目的としているのが基本です。
ところが尺八の場合、「音は人を表す」という個人の禅境と深く結びついていたためか、みんなで合奏しましょうとか、歌の伴奏をしましょうとかいう方向には行かず、基本的に独奏楽器…ならぬ独奏「法器」として続いていきます。
そう考えると、尺八は、究極の個人主義的な楽器かもしれません。これが邦楽器の中における尺八の特異性なのではないか、と講演を聞きながら考えました。
そして、だからこそ地無し尺八は自由なんです。曲や吹き方にはもちろん伝承がありつつも、それは口伝を繰り返す伝播の中でいろいろに変化しており、その人なりの吹き方が許されるのが尺八の世界だそう。そんな楽器、他にはなかなかないですね。
ところで、講師の室屋さんをおじさんだと思っていた方がいたようなのですが、写真の通り若い女性で、普段は控えめでホンワカした感じの方です。今回の講演も朴訥というか、良くも悪くも(!?)流暢にしゃべる感じではありませんでした。
ところがひとたび尺八を手にするや、表情も雰囲気も一変! まるで鬼神のような調子で尺八を吹かれ、なんとも雄弁に音の世界を展開されました。 このギャップもまた室屋さんの魅力かなと思います。
今、日本で多くの人が親しんでいるのは「地あり尺八」といって、明治以降に西洋音楽の音階を演奏出来るように作られた新しい尺八です。今回室屋さんが熱く語ってくださったのは、明治以前の伝統的な「地無し尺八」。どう違うかという詳しい説明は割愛しますが、よりワイルドで原始的なのが「地無し尺八」だと思って下さい。こちらは調律もだいたいだそうです。つまり綺麗な(ピッチが整った)音が鳴らない。ところが綺麗な音でないところに、幽玄の美が生じるというのが面白い逆説です。
この「地無し尺八」は、日本では取り組んでいる人がとても少ないそうですが、今はかえって外国で評価され、外国ではたくさんの方が吹いているということでした。こんな素晴らしい世界があるのに、知らないなんてもったいない! ということで、室屋さんは「地無し尺八」を知ってもらう活動もしています。今回の講演も、その一環かと思います。
今回、初めて「地無し尺八」の音を聞かれた方も「これはめちゃくちゃカッコイイ」とその虜になっていました。「そらまど」が尺八の世界を覗く小さな窓になれてよかったです。お越し頂いたみなさま、ありがとうございました。
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