2024年12月12日木曜日

シーシュポスの神話

先日、柑橘畑に行ったら、こんな風になっていました。

畑全体が穴ぼこだらけ。イノシシのしわざです。

この光景を見た瞬間、「ガザ地区」が心に浮かびました。一夜にしてめちゃくちゃにされてしまう悪夢。もちろん、この畑とガザ地区の被害とは比べものになりませんが、まるで爆撃されたような穴ぼこだったのです。

ちなみにここは、柑橘の苗木を植えている区画ですが、幸いにして完全に倒れた苗木はなかったです(ただし根をブチブチちぎっている)。イノシシが意図的に苗木を避けてくれた……わけはなく、偶然でしょう。不幸中の幸いです。

なお、このようにボコボコにされてしまうと、機械が入れないため、大変ですが穴を埋めます。鍬一本の作業です。半日かかってしまいました。

こちらはブンタン畑の様子です。

ちょっとわかりにくいですが、画面右上から右下に延びている、葉っぱもなにもついていない枝があります。

じつは、この枝にはたくさんの実がついていました(もちろん葉っぱも)。イノシシが、その実を全部食べちゃったのです(葉っぱは、ウサギが食べたのかも)。

こんな感じで、だいたい胸から下にある果実は全部食べられてしまいました。

下に垂れ下がった枝は「下垂枝(かすいし)」といって、そもそもあまり好ましくない(地面に果実がついたりするため)とされていますので、私の管理の責任もありますけど、それにしてもむごい。ただでさえ今年は柑橘が不作だというのに、唯一豊作になっているブンタンを何十キロか分食べられるとは…。

こちらは、「河内晩柑」というブンタンの畑です。ここでも同様、地面近くの果実は全部食べられてしまいました。

というか、地面近くじゃない果実まで枝を折って食べています。

河内晩柑は、今季初収穫を迎える品種です。全体的に柑橘が不作な中でも、初収穫というのは今後の希望になるものなんですが…なんとついている果実の半分以上(!)を食われてしまいました。まだ若木だから樹高が低いためです。しかも枝も折られてしまって。どうしようもありません。

こんな風に、今年は柑橘類のイノシシ被害がとんでもないことになっています。例年、こんなに食べられることはないのですが。

『シーシュポスの神話』というアルベール・カミュの作品があります。神の怒りをかったシーシュポスが、大きな岩を山頂まで押して運ぶという罰を受ける話です。しかしこの岩は山頂に来るとまた転がり落ちてしまい、また最初からやり直しになる…という、なんとも徒労感のすごい罰なのです。

まさに今年の柑橘栽培は、シーシュポス感がありました。一年間管理してきた果実がかなりの割合でイノシシに食われるとは……。

もちろん、農業とはそんなものだ、といえばそれまでです。これまでも虫害、鳥害などでかなりの被害をたびたび受けてきました。でもイノシシは虫害や鳥害などよりずっと腹が立つのです。

なぜなら、イノシシは畑を穴ぼこだらけにしたり、苗木を倒したりといった栽培の妨害・邪魔をするのに、果実もちゃっかりいただくからです。果実が欲しいなら栽培の邪魔はしないでほしい! むしろ草取りとかするなら、ちょっとぐらい分け前をあげてもいいのに…。

一方、鳥たちは果実は食べますけど、栽培の邪魔はしません。虫は、うまくやれば被害を防げます。鳥や虫はまだ許せる。でもイノシシとの共存は不可能!

年々、イノシシ被害がひどくなってきています。過疎化によって町(というか村)が小さくなり、山との距離はほとんどゼロになってしまいました。イノシシは豊かな山の恵みによって野放図に繁殖し、我が物顔で人里をのし歩いています。

来年は同じことにならないよう、剪定のやり方を工夫してみるつもりです。

2024年11月18日月曜日

第15回そらまどアカデミア開催しました。「台湾華語」を話す島、台湾


第15回そらまどアカデミア開催しました。

今回の講演は、なんだか申し込みが少なかったのです。「台湾に興味ある人少ないの?」と思っていたのですが、南日本新聞にお知らせを出したところ、新聞社の方から「タイトルが読めないんですけど…?」と言われてハタと気づきました。

今回のタイトルは「你好臺灣, 空尼機挖ジャパン」。「ジャパン」以外ほぼ読めない…⁉

「臺灣」をタイワンと読めない方も多かったようです。せめて「台湾」と書いておけばよかった。「空尼機挖」は、台湾の漢字の発音で「コンニチハ」を当て字にした言葉遊びでしたが、ちょっと凝りすぎましたね…!

というわけで申し込みは少なかったのですが、講師の張さんの知り合いが何人も来てくださって、その中には台湾人の方も2名いました。ありがたかったです!

講師の張 巧瑩(チョウ・コウエイ、愛称あきら)さんは、台湾の高雄市出身。南台科技大学で日本語を学び、指宿で就職。今年夏から南さつま市役所の国際交流員として働いています。この度、南さつま市では台湾の旗津区(キシン区)というところと姉妹都市協定を締結することとしており、その架け橋になっているのが張さんです。

台湾は九州とほぼ同じ面積で、九州の人口より約1000万人多い2300万人が住んでおり、しかも人口の多くが島の西部に集中しているため、とても人口密度が高いんだそうです。そんな中で、旗津区はたった1.46㎢の面積に2.8万人の人が住んでいます。ちなみに南さつま市の面積は283㎢、人口は3.1万人。人口密度は100倍以上の開きがあります!

そんな旗津区は、なんとすっごく細長い島なんです(本来は半島だが現在は分離されている)。こんなところに2.8万人も住んでるなんて面白いですね。人口島ではなく自然の地形のようですよ。

ちなみに旗津区と南さつま市が姉妹都市を目指しているのは、サンドアート(砂の祭典)のご縁があったからだそう(ただし、旗津区では現在サンドアートのイベントは行われていないとか)。

今後、旗津区と南さつま市にどんな交流が行われるのか、張さんの今後の活躍が楽しみです。

さて、張さんは、大学時代から14年間日本語を学び続けてきました。張さんの日本語力は「日本語能力試験(JLPT)」のN1級。これは同試験における最上級で、張さんはちょっと話した感じだと日本人と見分けがつかないくらいです。

そんな張さんでも日本語はとても難しいらしく、「適当にしゃべってます!」と笑っていました。

日本語の難しさとは、まず同じ漢字でも読み方がいくつもあること。例えば「今日は一月一日、日曜日。明日から日下部さんと五日間の旅行はよい日和だそうだ」という文の「日」の読み方はそれぞれ違います。「日曜日」なんて「にち」と「び」で一つの単語の中で2つの読み方をしています。

この文はちょっと特殊な読み方の「日」ばかりが意図的に入ってますが、「祝日(ジツ)」「日(ニッ)蝕」なんかは普通の読み方ですけど、こういうのもいちいち覚えないといけないのは外国人にとっては大変です。「日本」には「二ホン」と「ニッポン」という二つの読みがあっても、「ニポン」とは言えないとか(笑)。まあ、漢字の読みは日本人でも難しいですけどね。

次に謙譲語や尊敬語の使い分け、助詞の使い方、一人称の異常な多様さ(俺、僕、私、わし…)、こうしたことにしょっちゅう困惑しているとのことでした。その上、鹿児島では鹿児島弁があるので、方言がきつい人の話は「半分くらいしかわからない」とのこと。張さん、安心してください。鹿児島生まれ、鹿児島育ちの私でもそうです!!(笑)

一方、台湾の言葉もなかなか複雑です。というか、すごく複雑です!

そもそも、台湾は多民族国家です。国家らしいものがなかった原住民の時代、中国の沿岸部(泉州、福州)などから華僑の人たちが入植してきました。そして大航海時代にはオランダ人が台湾にゼーランディア城を築いて植民地化します。これを打倒したのが明の遺臣だった鄭成功(人形浄瑠璃『国性爺合戦』の主人公ですよね)。その後清朝が台湾を支配し、中国人の入植にともなって原住民は台湾西部の山岳地帯へと追いやられていきました。その後いろいろあって明治時代に日本が台湾を植民地化します。この「台湾出兵」で大将を務めたのが鹿児島出身の樺山資紀(かばやま・すけのり)で、樺山は初代の台湾総督となりました。戦後、台湾は日本の支配を離れますが、中国共産党との戦いに敗れた中華民国が台湾に逃れ、現在の台湾の政権となりました。

このような歴史があるため、台湾は様々な民族と文化が複合した国となりました。では、他民族国家である台湾の言葉はどうなっているか。

台湾では、「台語(台湾語)」=古い時代に台湾に入植した人々により話されていた言葉をベースとして日本語などが取り入れられた現地語、「客家語」=客家(ハッカ:漢民族の一派)の言葉、「原住民語」といった言葉が話されています。つまり台湾は多言語国家でもあるのです。そして、その共通語となっているのが「台湾華語」です。

この多民族国家の共通語「台湾華語」は、どのように形成されたものなのでしょうか。

まず、「華語」というものがありました。これは中国はもちろん、シンガポールやマレーシアなど東南アジア各地に広がっていった華僑の人たちが使っていた中国語です。かつて東アジア海域の共通語(リンガ・フランカ)であったのが「華語」です。

そして、台湾が独立した時に、多言語国家の「国語」として設定したのがこの「華語」でした。台湾政府は国語辞典を制作して「国語」を定め、ある時期には方言禁止運動を行って、学校で方言をしゃべったら罰金を払うというような政策を行っていたこともあります。鹿児島でも60年ほど前、方言撲滅のために「方言札(私は方言をつかいました、という首から下げる札)」を使っていた時期がありますが同じですね。

このようにして「国語」の普及に取り組んだ結果もあり、今では台湾全土の人が台湾華語を使うことができるようになっています。では、台湾華語は中国語とは違うのか。

ここでいう中国語は、中華人民共和国政府が「普通話」として定めている言葉ですが、台湾華語と中国語は問題なく意思疎通できるものの、やっぱり違うもの。その違いについて張さんは「イギリス英語とアメリカ英語みたいなもの」とおっしゃっていました。

そもそも「普通話」は、中国政府が人為的に設定した部分も大きく、例えば漢字を「簡体字」という簡易化したものに変えてしまいました。

一方で台湾華語は、頑なに画数の多い漢字を守り続けています(だから臺灣が読めなかった!(笑))。そうかと思えば、積極的に外来語を取り入れているという側面もあるそうです。特に日本統治時代の名残として日本語由来の単語も入っており、たくさんの例が示されていましたが、中でも面白かったのが「巴庫味阿(バクミア)」。何かと思ったら「バックミラー」だそうです。これは中国では通じないですね、きっと。

……というのが台湾華語ですが、面白いのが「台湾華語」というようになったのはせいぜい15~20年前からに過ぎない、ということです。じゃあ、なんで最近になって自分たちの言葉を「台湾華語」と呼ぶようになったのか、というと、それには対外的な意図がありました。つまり、自分たちの言葉を「中国語」ではなく、「台湾華語」として世界に認識してもらいたい、という願いが込められているのだそうです。

このような話をきいていると、私は「言語は、極めて政治的なものである」ということ改めて感じずにはいられませんでした。

ドーデの『最後の授業』(フランスのアルザス地方がドイツに占領されたことでフランス語が禁止される話)に象徴されるように、支配者が被支配者の言葉を奪ってしまうことはよくあります。方言禁止運動もその一つですね。

それは、少数民族や地方の人たちを単にいじめているのではなく、言語の統一が国家のアイデンティティの確立につながるという重要な側面があるからです。しかし台湾でも、現在では方言禁止運動が反省され、全ての言語は等しく価値があるという、多様性を認める方針へとなっています。そんな時代に「台湾華語」という呼称が改めて設定され、対外的に推進されているのは、「中国語」に対抗しようという意図があるようです。

「中国語と台湾華語」を「イギリス英語とアメリカ英語」のような対等な関係に擬(なぞら)えることも、台湾の言葉の国際的な重要性を大きく引き上げようとする意志の現れなんでしょうね。

ところで話が変わるようですが、香港では、中国への返還後、民主的なものが弾圧される状況になっているのはご承知の通りです。そこで香港では、広東語を大事にすることによって精神的独立を保とうとする運動があると聞きます。言語は権力に対抗する武器にもなるということです。

民族・国家・文化の根幹には言語があります。言葉は、共同体を他と区別する最大の標識です。しかもこれは、肌や髪の色と違って、自分たちの意思で変えていくことが可能です。台湾のみなさんは、自分たちがなりたい国になるために、あるいは「台湾」を世界に認識してもらうために、「台湾華語」を大事にしているのかなと感じました。

台湾には、なんと子供向けの「発音矯正塾」があるそうです。これは昔の方言禁止運動の名残かもしれませんが、同時に言葉を大事にする姿勢の現れなのかもしれません。

ところで最後に面白い話を一つ。先述の通り、張さんは台湾の高雄(たかお)市のご出身ですが、なんで「高雄」は訓読みなんだろうと疑問に思っていました。日本語で読むときは、台湾でも中国でも、地名は音読みなのが普通ですよね? と思って張さんに聞いたところ、張さんはご存じなかったのですが、参加された台湾人の方が教えてくれました。

それによると、高雄のもともとの地名は「打狗(ダァカオ)」だったそうです。それが、日本統治時代に、この字面がよくないということで日本人が「高雄」に変えました。だから「タカオ」の方が元の地名の発音に近く、「コウユウ」では全然異なってしまいます。そんなわけで、高雄は、日本語では訓読みにするのが正解なのです! 台湾は日本統治時代を否定するでもなく、フラットに捉えて活かしているのがたくましいというか、大人だなと思います。

なお、台湾華語の位置づけについての話は、講演でよくわからなかったため、上記のメモでは講演後に教えてもらったことも加えて書きました。また、言語に政治的な意味合いを見るのはあくまでも私の個人的な見解で、講演では「台湾にある間違った日本語の面白い看板」など楽しい話が中心でした。こういう楽しい話はぜひ実際の講演で聞いていただければと思います(うちの子が大笑いしていました)。

そらまどは辺鄙なところにありますが、台湾よりは近いのでぜひお気軽にお越しください。

2024年11月9日土曜日

「ないじゃ、なっちょらん!」

今年の「南薩の田舎暮らし」では、ずいぶん柑橘類が少なさそうです。

というのは、ポンカンとタンカンはまず、春の段階で花があまり咲きませんでした。

ポンカンについては、昨年が豊作だったのでその影響があったのと、あと以前も記事に書いたことがありますが、ナガタマムシという虫の害をかなり受けていて弱っているためもあります。

が、地域全体としてもポンカンは不作のようです。夏くらいに、ポンカン農家の方に「今年はどうですか?」と聞いたら、「ないじゃ、なっちょらん!」(なんにも、なってない!)と言ってました。まさにうちもそんな感じ。「ないじゃ、なっちょらん!」

そんなわけで、今年のポンカンの販売は、あったとしてもごく少量なのでご承知おきください。

タンカンの不作ついては、昨年が豊作だったためもありますが、正直よくわかりません。というのは昨年豊作じゃない樹についてもあまり実がなっていないからです。春先の天候によるもののような気がします。さらに、今年は強い台風がきたので、外観が悪いものがとても多いです。というかきれいなものはほとんどないといってもいい有様。

そのほかの柑橘は、それなりの収穫を見込んで……いたのですが!

10月後半になって、果実がボトボトと落ちる被害が見られるようになりました。特にブラッドオレンジがひどい。樹によっては半分くらい落ちてしまいました。これはきっと、カメムシ被害です(写真参照)。

今年は全国でカメムシが大量発生しているという話です。鹿児島県では、例年に比べて劇的に多いという情報はなかったのですが、他の農家からも「カメムシ被害でミカンの実が落ちている」という話を聞いているので、やっぱり多いのかも。

そんなわけで、今のところ、ちゃんと収穫できそうなのは、ブンタンと河内晩柑の2種類だけです。

この2種類については、樹の生長もあるので、昨年より多く販売できると思います。ただ、それもこれからカメムシ被害がなければ……の話。ようやく寒くなってきたので、これ以上の被害がないことを祈ります。

2024年11月5日火曜日

文芸誌『窻』を創刊しました。

南薩の田舎暮らしが運営する「books & cafe そらまど」では、このたび文芸誌『窻(まど)』を創刊しました。

【参考】文芸誌『窻』|books &  cafe そらまど
https://sites.google.com/view/soramado/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/%E6%96%87%E8%8A%B8%E8%AA%8C%E7%AA%BB

今後、一年に2回ずつ発行していく予定です。

内容は、テーマを指定して書いてもらったエッセイ(「テーマエッセイ」と呼んでいます)と、創作(詩や短編小説)、記録(ノンフィクション)、論考その他です。といっても、創刊号は知り合いに声を掛けて書いてもらったものばかりなので、24ページしかありません。今後、充実させていきたいと思っています。

どうして『窻』という名前にしたのか(「窻」は「窓」の旧字体です)、ということについては、『窻』創刊号に掲載の「「窻」には心がある」で説明してますのでよかったらお読みください。

販売については、そらまどの店頭販売以外に、今のところ天文館の「古本屋ブックスパーチ」と、月イチで開催している「石蔵ブックカフェ」で手に入ります。

【参考】石蔵ブックカフェ
https://so1ch1ro.wixsite.com/ishigura-bookcafe

それから、インターネットでも販売しておりますので遠方の方はこちらからお買い求めください。

【参考】『窻(まど)』創刊号|books & cafe そらまどWEBショップ(STORES)
https://books-soramado.stores.jp/items/67247cd7c3d7cd0af49372a4

どうして文芸誌なんかつくることにしたのか、ということは、『窻』創刊号の「創刊の言葉」にちょっと書いたのですが、そこに書かなかったことをここで説明したいと思います。

「books & cafe そらまど」は、もともと「田舎の文化の拠点を目指します」ということでつくった店です。「そんなもんいるの?」とか言わないで下さいね。私たちが、こういうところがあったらいいなと思ってつくったので。

ともかく、そういう風に言ってオープンした以上、「文化の拠点って何だろう?」ということを考えてきました(まさに泥縄です!)。

本当は、文化の発信をしていくことができればいいんですが(例えばギャラリーとか)、そういうスペースもないし、「そらまどアカデミア」という講演会は定期的にやっていますが、これも定員が僅かです。本の販売は「文化の拠点」っぽいですが、うちは本屋としては本の数は少ないですし仕入れも積極的にしていません。

そこで、地味ではありますが、「ものを書く」ことを基盤にしたらどうかと思いました。「ものを書く」なら、お店に来ない人とも繋がれるからです。 

それにつくってみて思いましたが、「うちの文芸誌に寄稿してくれませんか?」と声を掛けることは、「お店に来て下さいね」とは全然違います。「お店に来て下さいね」だと、あくまでも店主と客の関係、極端に言えばお金の関係ですが、「寄稿してくれませんか?」になると、お金の関係じゃないのです。これはちょっと文化的です。

『窻』をきっかけに、「そらまど」がちょっとでも「文化の拠点」に近づけたらいいなと思っています。

ところで、『窻』の発行費用はどうするんですか? と聞いてきた人がいました。こういうのは、協賛金や広告を集めるて発行するのが普通かもしれませんね。でも『窻』は、さしあたり収支は考えずに広告なし・協賛金なしでやっていきたいと思います。つまり赤字事業です。でも全部売れたら元が取れるはずですので、よかったら買って下さい…!

2024年10月22日火曜日

大浦まつりが無事開催されました!

10月20日(日)、大浦まつりが開催されました。

前日は雨で、当日も午前中はパラパラと雨が降っていましたが、なんとか持ちこたえ、午後には天気も安定しました。

雨が降らなくてよかったです。

今回の大浦まつりは、なんだか人が少ないなあ…? という感じでした。例年より2週間早い開催だったので、たくさんのイベントが重なっていたせいかもしれません。

坊津では「ほぜどん」という有名なお祭り(民俗行事)が行われていましたし、笠沙(野間池)では18:00から夕日コンサートがありました。鹿児島市では「鹿児島ジャズフェスティバル」もあったようです。そんなわけで、昨年に比べると人出はまばらな感じでした。

でも、今回はステージ前に観覧のテントが用意されていたのですが、そのテントの中は割と満員だったんですよね。やっぱりテントがあるとそこから動かないかも…などと思いました。ステージをご覧になる方にはいいんですけどね。

ちなみにステージも、数年前と比べると寂しくなったと感じました。有志で出演する方が少なくなったためだと思います。地元でバンド演奏している人とかですね。私自身、ステージに上がるタイプじゃないので「もっと出演した方がいいよ!」とは言えませんが、せっかくの機会なので活用してもらいたいと思っています。

ところでステージのメインイベント(?)は、エラブチ剛さんという方の歌でした。長渕剛のそっくりさん…というよりコピーバンドみたいな感じの方です。てっきりネタ的なやつかと思っていましたが、聴いていると「長渕より歌うまいんじゃないか」と思いました(笑)。長渕のあのクセのある歌い方をちょっとマイルドにした感じで、私にとってはむしろ聴きやすい。ただ、MCの迫力は本家には遠く及ばなかった…って当たり前か。

南薩の田舎暮らしでは、いつものドリンクの他、昨年とても好評だったマフィンを準備しました。マフィンは全部売り切れましたし、ドリンクも人出の割には売れました。もう少し暑かったらドリンクの売れ行きがいいんですけどねー。気候がよすぎた(苦笑)。義理で買って下さっている方も多かったような気がします。ありがとうございます。 

そういえば、ドリンクをつくる時間が間延びするので、「どちらから来ましたか?」とか「うち、大浦にお店があるんですよ」などとお客様に話しかけたのですが、「知ってますよ!」「インスタフォローしてます!」などと言って下さる方がけっこういて嬉しかったです。そしてこれは、「ちょうどドリンクの店があったから飲みたくて買った」のではなく、「知ってる店だからドリンクを買った」ということなんだなあとつくづく思いました。知ってもらうってホントに大切です。

私たちが毎年大浦まつりに出店しているのも、多くの方に知ってもらえる機会だと思っているからです。最近は積極的には出店していませんが、ちょっとは外に出て行きたいですね。

来ていただいた皆さん、そして実行委員会の皆さん、ありがとうございました。

2024年10月16日水曜日

第15回そらまどアカデミア「你好臺灣, 空尼機挖ジャパン」を開催します!

11月17日(日)、そらまどアカデミア開催します。

今回のテーマは、「中国語と日本語の間」。語ってくれるのは、台湾人の張巧瑩(チョウ・コウエイ、愛称あきら)さん。

張さんは、南さつま市の国際交流員。張さんは日本語ペラペラで、ちょっと日本人と区別がつかないくらいです。 

先日、打ち合わせのために「books & cafe そらまど」に来ていただいたのですが、いろんな話が飛び出して、つい長話をしてしまい、営業時間をだいぶオーバーして引き留めてしまいました。

そんな中で、私から「張さんが、いちばん熱く語れることをテーマにしてもらいたい」とお願いしたところ、決まったのが「言語」でした。張さんは大学時代から言葉(日本語)の勉強を一番熱心に続けてきたそうです。

張さんは、国際交流員として、冬から中国語の講座も始めるそうです。そして打ち合わせの際に特に強調していたのは、「カタカナ発音じゃ絶対通じない!」ということでした。それどころかピンイン(中国語の発音をアルファベットで表すもの)もよくないそうです。台湾の独特な発音記号は、一見ハードルが高く見えますが、これを覚えた方が絶対にいいんだと強調していました。

こういう、純粋に語学的な問題だけでなく、台湾の言葉(台湾華語)には興味深い点がいろいろあります。それは、まず台湾華語がどうやって形成されてきたかということであり、それはすなわち台湾がいかにして形成されてきたか、ということと繋がっています。そこには、当然日本の植民地だった時代も関わってきます。ちなみに明治6年の台湾出兵は、薩摩の人たちが深く関わって実施されたもので、鹿児島県民としては他人事ではありません。

さらに溯れば、台湾には少数民族もいましたし、客家(ハッカ)もいました。台湾って、他民族の地域だったわけです。そんな中で、中国語の漢字を最も正統に保存して形成されたのが台湾華語です。中国(大陸)では、合理化政策によって「簡体字」という簡略化した漢字を使っていますが、今でも台湾は「繁体字」という、スッゴク画数が多い漢字を使っています。例えば「台湾」は「臺灣」です。今画数を数えたら、この2字で39画もありました(笑)

こんな興味深い台湾の言葉について、日本語ペラペラの張さんが語ってくださいます。どうぞお樂しみに !

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第15回 そらまどアカデミア

ni hảo tái wàn  kōng ní ji wā
你好臺灣, 空尼機挖ジャパン

講 師:張 巧瑩(あきら)

最近よく耳にする「台湾」とは、沖縄県与那国島から108キロしか離れていない島。その島の人たちが使う言葉は、たくさんの外来文化の影響を受けて融合してきた、世界一難しい「中国語」。それと世界二番目に難しい日本語について、軽く首を突っ込んでみる。

日 時:11月17日(日)14:00〜15:30(開場13:00)
場 所:books & cafe そらまど (駐車場あり)
料 金:1000円(ドリンクつき) ※中学生以下無料
定 員:15名
要申込申込フォームより、または店頭で直接お申し込みください。※中学生以下は無料ですが申込は必要です。
問合せこちらのフォームよりお願いします。

<講師紹介>
日本語勉強 14 年目、現在コツコツと鹿児島弁を学習中。日 本と台湾の架け橋になればいいなと思って南さつま市国際交流員に着任。最近は中国語発音の教え方に悩まされてる日々を送っている。

2024年10月10日木曜日

第14回そらまどアカデミア開催しました。「死と再生」の十五夜綱引き


第14回そらまどアカデミア開催しました。

今回の講師は、「南さつま半島文化——鹿児島県薩摩半島民俗文化博物館」というWebサイトを主宰している在野の民俗学者、井上賢一さんです。

井上さんは、薩摩半島の祭りを根気強くフィールドワークしてきました。開口一番「みなさんも各地のお祭りに行った際に、カメラで写真を撮っている人をみかけると思いますが、そんな人の中にも民俗学のフィールドワーカーがいます。見分けるポイントがあるんですがなんだか分かりますか?」と問いかけました。

答えは、「フィールドワーカーは巻き尺を持っています」とのこと! 使われた道具が何センチなのか、ちゃんと記録するためだそうです。鹿児島民具学会に所属し、道具から民俗を研究してきた井上さんらしい導入だと思いました。ちなみに井上さんは近年、太鼓踊りの桴(ばち)について調査を続けているそうですよ。

ですが、今回のテーマは十五夜綱引きです。

実は、十五夜に行う綱引きの民俗行事は、鹿児島県と宮崎県の一部、つまり旧薩摩藩領しかありません。これには、多くの方が「全国でやってるんだと思ってた…!」と驚いていました。

では、旧薩摩藩領の十五夜綱引きはだいたい共通しているのか……というと、かなりの多様性があります。

井上さんは、各地の十五夜行事をビデオで記録しており、当日はそのビデオを見ながらその多様性について説明してくださいました。最初の事例は、南さつま加世田の鉄山の綱引きです。

ここでは、綱の芯にカヅラを使い、広場で綱を綯っていきます。綱ができたらとぐろ状においておき、中心部分にはススキなどを飾って一種の祭壇のようになります。月が上がったら、綱引きします。綱引きは多くの地域で子供の行事ですが、この集落には子供が一人もいないため、大人だけで綱引きを行います。

井上さんが「子供がいないのにどうして綱引きを続けているんですか?」と聞いたところ、「別に。今まで通りやってるだけです」との答えがあったそうです。これにはちょっと感動してしまいました。地域づくりや地域活性化といった目的を掲げるのも悪くはありませんが、このように気負わず変わらず続けて行くことができるって、それだけで素晴らしいと思いませんか?

……というように、ビデオを使っていろいろな事例を紹介してくださったのですが、ここではそれができませんので、概略だけ触れます。

十五夜綱引きは、綱を作るところから始めます。

(1)材料集めです。綱の芯になるカヅラ(葛)やカヤを山から採ってきたり、集落の家を回ってワラを集めたりします。どのような材料を使うか、どうやって集めるかもいろいろあります。

(2)綱作りです。綱を綯(な)うことを、綱練りと言います。(綯うは鹿児島弁では「練る」です。)井上さんの分類では、これには①庭広げ式(広いところで平面的に作業する)、②道伸べ式(道に伸ばして直線的に作業する)、③櫓掛け式(櫓に綱をかけて立体的に作業する)があります。例えば鉄山の綱練りは①になります。

(3)綱引きです。つなを綱引きするところまで運び、お月様が出たら綱引きをします。

(4)綱引きの跡始末です。綱引きが終わったら、相撲を取るところもあります。綱は、海や川へ流したり、緑肥として使うためにばらして配ったりします。

井上さんは、それぞれの祭りについてこうした構造化をして分類をしています。民俗学では、多くの事例を比べて共通部分や違う部分を抽出し、民俗文化を分析します。

井上さんがいろいろ見せてくれたビデオの中で興味深かったのは、坊津町の泊のものでした。泊では「②道伸べ式」で縄を練るのですが、国道226号線に多くの人が集まって、かなり威勢の良いかけ声のもと、派手に縄を練っていました。そして夜には十五夜踊りという踊りがあり、なんとそこに子供が乱入して踊りを乱す「踊り壊し」というイベントが挟まれます。その後綱引きをして、最後に綱は川に投げ入れて終わります。なぜわざわざ踊りを子供が邪魔するのか、不思議です。どんな意味があるんでしょうか!?

さて、今回のテーマは「もう一つの十五夜綱引き」ですが、何が「もう一つの」かというと、こうした多様な十五夜綱引きの習俗には、「綱を引かない」というものがあります。綱を引かないで何をするのかというと、「綱を曳きずって集落を回る」。例えば万世の小松原や唐仁原にはこうした「綱曳きずり」があります。

綱引きしないで、曳きずるだけとは妙ですよね〜。

井上さんは小松原の「綱曳きずり」の様子をビデオで見せてくれましたが、20メートルくらいの綱を、子供たちが「子供が喜ぶ綱を引く、えーさっさ、えっさっさ」と謳いながらがズルズル引っ張っていました。これが小松原の「綱引き」なんだそう!

ちなみに十五夜綱引きには地域ごとに違う「十五夜歌」があり、「子供のおかげで綱を引く」とか「子供喜び綱を引く」とかいろいろあるそうです(もちろんそれ以外の歌詞も多様)。歌も十五夜綱引きの多様性を構成する要素です。

ところで2019年、薩摩川内の大綱引き調査委員会は、鹿児島県の十五夜綱引きについて全集落にアンケートを送付して調査するという、大規模な綱引き調査を行いました。井上さんも、この調査に参加したそうですが、この調査によって、かつてあったものも含む綱曳きずり習俗の分布が明らかになりました。(十五夜歌の多様性もこの調査でわかった。)

それによれば、万世の他に金峰町高橋、坊津、山川、喜入、谷山などに綱曳きずりがあり、川辺が例外ですが、基本的に綱曳きずりは海沿いに分布していました。でも、これは何を意味するのか、まだ分からないそうです。

しかしそもそも、なぜ十五夜に綱引きをするのか?

井上さんによれば、綱は蛇や竜を象徴しているのではないかと考えられるそうです。そういえば、十五夜綱はとぐろ状に巻くことが多いです。蛇が脱皮する様子に昔の人は「死と再生」のモチーフを見て、それを満ち欠けを繰り返す月の「死と再生」と重ね合わせ、十五夜綱引きが成立したのではないか。

十五夜+綱が「死と再生」を表すとすれば、巨大な竜蛇=綱を協力して作り、それを集落内を曳きずるのは清めの意味があり、また十五夜綱引きには不老不死や健康祈願などの呪術的意味が込められていたと考えられます。また十五夜には季節の節目という意味があり、畑作物の収穫の感謝や豊作祈願も込められていたに違いありません。

つまり十五夜綱引きは、「月と竜蛇とにあやかって、綱を通じ、参加者の健康を願い、集落を清め、次作の豊作を願う、「再生」と「除災」の民俗」だと言えるのです。

ここまでが講演の本体でしたが、ちょっと時間を延長して質疑応答が行われましたので一部を紹介します。

「十五夜といえば子供の行事だと思っていたが、実際どうなのか?」

これに対し井上さんは、再生と除災の民俗という観点からは、元来は子供はあまり関係ないのではないか、との考えでした。「先ほど紹介した鉄山の十五夜綱引きでも、子供がいなくなっても続けているので、子供がいないとできないとか子供のためにやる行事ではない」

では多くの十五夜行事でなぜ子供がかなり深く関わっているのかというと、「それは大人から学ぶ役割が与えられているから」ではないかといいます。考えてみると、大人だけでやる行事より、子供には子供なりの役割が与えられて参加する行事の方が、ずっと存続しやすそうですよね。もしかしたら、「子供が参加する十五夜綱引き」が自然と残ってきたのかもしれません。「子供を参加させるのは伝える工夫」だというのが井上さんの考えです。

「かつては大浦にも綱曳きずりがあり、それはとても珍しかったそうだが? カタツムリみたいな綱を引いていたとか。」

これは、井上さんは詳細不明としていました。十五夜綱引きは、当たり前ですがどこも同じ日(旧暦8月15日)に行うので、基本的に隣の集落が何をやっているかを見ることはありません。これは民俗学のフィールドワークでもネックになっていて、同日に行われる各地の十五夜綱引きを一つひとつ調査していくのには何年もかかります。何十年も調査をしてきた井上さんも、まだまだ見た事がない十五夜綱引きがあるとのことでした。

ちなみに、先ほど触れた「2019年の薩摩川内の大綱引き調査」では、綱練りはなくなっても、綱引き自体は行っている集落はまだたくさんありました。ところがコロナ禍によって行事が一度断絶し、それから復活しなかった地域がたくさんあるそうです。もちろんコロナのせいばかりではなく、集落の人口減少がその背景にあります。井上さんが祭を取材しようとすると、「去年来ればよかったのに」と何度も言われたんだとか。

「十五夜綱引きが旧島津藩領のみにみられる民俗ということは、藩権力からの奨励または規制などがあったのか」 

これは当然の疑問ですが、「そういう史料は見当たらない」そうです。藩権力は、農民が行う習俗に無関心だったようで、十五夜綱引きの記録自体がほとんどないとのことでした。なぜ旧薩摩藩領のみに十五夜綱引きが見られるのか、現時点では全くの謎。

最後に私からちょっと意地悪な質問をしてみました。「十五夜綱引きは、綱練りなどにかなりの労力を使う行事で、今の社会でやる意味は薄いが、それでも綱引きをやることに意味はあるのか?」

これに対する井上さんの答えは、「綱練りや綱引きというより、先輩から伝わってきたものを継承することそのものに意味がある。鉄山の人が「今まで通りやってるだけです」と言っていたように、文化の継承ってそういうものだと思う」というものでした。これは大変深い洞察だと感じました。私たちの社会は、一見無駄に見えるような無形のものがたくさんあって形成されていますが、そうしたものを引き継いでいくことが、社会の維持そのものなんだと思いました。

井上さんは、民俗行事を見てみたい、調べてみたい、という純粋な気持ちで長年調査を続けてきたんだそうです。「自分の役割は立派な論文を書くとかじゃなくて、とにかく記録すること。とりあえず全部調べてみたい、というのがこれまで続けてきた原動力」と話していました。

ただ、私としては井上さんの膨大な調査を、一度書籍の形でまとめてもらいたいと思っています。「南さつま半島文化——鹿児島県薩摩半島民俗文化博物館」やビデオのアーカイブも、大量すぎてその森に分け入るのは普通の人には難しいです。井上さん、ぜひお願いします!

※当日の要旨については、井上さんのブログにも掲載されていますのでご覧ください。
【参考】鹿児島の民具と風土: もう一つの十五夜綱引き ― 十五夜行事から見える再生と除災の民俗 ―
https://kagoshima-mingu.blogspot.com/2024/10/blog-post.html

2024年9月5日木曜日

第14回そらまどアカデミア「もう一つの十五夜綱引き」を開催します!

加世田唐仁原の十五夜綱曳きずり(1992年、撮影井上)

10月6日(日)、そらまどアカデミア開催します。

今回のテーマは民俗学です。

民俗学って、あまり知られていない学問かもしれません。なんとなーくこんな感じ、というのはあっても、具体的にどんな研究をしているのかというとイメージがないのではないでしょうか。

そんな民俗学に、ライフワークとして取り組んできたのが井上賢一さん。

井上さんは、「南さつま半島文化——鹿児島県薩摩半島民俗文化博物館」というWebサイトを主宰しています。

「南さつま半島文化」は、「インターネット博物館」と銘打っているのですが、「博物館」というだけあって、とんでもなく情報量が多いんです。

ここには、 「南さつま歴史街道」「鹿児島祭りの森」「鹿児島の祭りと民俗」など歴史や民俗についてのコンテンツがあり、なんと子ども用の学習ページ「こども博物館」まであります。

このうち、例えば「鹿児島祭りの森」には、地域のお祭りについて大量の項目があり、それぞれの解説、祭の構造、ビデオ(YouTube動画)などなどが豊富にアーカイブされています。

一例として、「南薩の田舎暮らし/そらまど」のある大浦町の「疱瘡踊り」はこんな感じです。

【参考】大浦町の疱瘡踊り
https://hantoubunka.site.kagoshima.jp/pic/0204hoso.html

趣味で作ったレベルじゃない、っていうのがすぐ分かると思います。…すごいですよね! 

井上さんは、こうした調査をライフワークとして続けてきました。といっても仕事ではありません。あくまでも趣味ではあるのですが、結果としてできあがった「南さつま半島文化」は、趣味のレベルを超えて、公共的な価値があるものとなっています。このサイトの情報をどう次世代に残して行くか、これが現在の課題といっても過言ではありません…!

ところで、最近、奈良県の民俗文化博物館が収蔵品の整理のために休館するというニュースがあり、ちょっとだけ民俗学について注目が集まりました。今こそ井上さんに民俗学や民具について語ってもらいたい。そう思って講演を打診しました。

講演タイトルは「もう一つの十五夜綱引き」。

鹿児島って十五夜の綱引きが盛んですよね。川内大綱引きは有名ですが、その裾野にある地域の小さな綱引き祭りもたくさんあります。私は鹿児島育ちなのでよくわかっていませんでしたが、外に出てみると、他の地域では十五夜綱引きはこんなに盛んではないことに気付きました。

しかし鹿児島には、なんと綱を引かない「綱曳きずり」という祭りもあるんです。綱引きしないのに、なんのために綱をひきずるのか!? この「もう一つの十五夜綱引き」を入り口に、井上賢一さんに民俗学の世界についてご案内いただきます。ぜひご注目ください。

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第14回 そらまどアカデミア

もう一つの十五夜綱引き

講 師:井上賢一

南九州各地で盛んに行なわれる旧暦八月十五夜の「十五夜綱引き」。しかし鹿児島には、綱引合戦を行なわない「綱曳きずり」という習俗がみられる。なぜ十五夜に綱を引くのか、あるいは曳きずるのか、薩摩半島での記録映像を紐解きながら、考えてみたい。

日 時:10月6日(日)14:00〜15:30(開場13:00)
場 所:books & cafe そらまど (駐車場あり)
料 金:2000円(ドリンクつき) ※中学生以下無料
定 員:15名
要申込申込フォームより、または店頭で直接お申し込みください。※中学生以下は無料ですが申込は必要です。
問合せこちらのフォームよりお願いします。

<講師紹介>
高知大学卒業後、鹿児島大学で下野敏見に師事。ノンプロ研究家として鹿児島民具学会での活動をはじめ、民俗調査への参加や、各地の民俗芸能・年中行事を訪ねて歩く。研究成果をWebサイト「南さつま半島文化」で公開。

2024年9月3日火曜日

台風10号被害

台風10号、久しぶりにすごいのが直撃しました。

南薩の田舎暮らしがある大浦町では、8月28日の夜(11時頃?)に停電し、そのまま足かけ4日間、31日の夕方まで停電でした。

台風上陸前に停電を予想し、8月30−31日の「そらまど」を臨時休業にしておいたのはよかったです。停電+ケータイ圏外でInstagramにも投稿ができなかったので、もし台風後だったら休業の連絡ができなかったです。

足かけ4日間の停電は長いようですが、停電範囲の広さを考えると、これまでの経験から今回は5日間の停電を覚悟していたので、復旧は意外と早く感じました。今まで見たことのないくらいの九電の災害復旧応援班が走り回っていたような気がします。九電ありがとう!

大浦は僻地のため、台風の時には停電2〜3日がわりと頻繁にあります。なのでそれなりに準備はしていましたが、今回は台風の速度がすごく遅かったため、丸2日以上雨が降っていたのが困りました。うちの緊急時電源はソーラーなので、雨だと発電ができません。

家の冷蔵庫の食材が悪くなるのはしょうがないとしても、問題なのは食品加工の原料を保存している業務用冷凍庫! 冷凍のブルーベリーと木苺(きいちご)が何キロか駄目になってしまいました。晴れてからはソーラーで通電していたのですが、丸2日間停電していたのはやはり痛かった! やっぱり発電機が必要なのかなあ。

家屋は全て大丈夫でした。自宅、農業倉庫、食品加工所、「そらまど」の4つの建屋は全て無事でした。「そらまど」の瓦は絶対飛ぶと思っていたのに、飛ばなかったのがむしろびっくり。

農業の被害の方は、100本くらい柑橘の木が倒れることを覚悟していたのですが、意外と被害は大きくなく、50本くらい倒れただけで済みました。50本でも十分大きな被害なのですが、「前例のないような台風」と脅されていたため、「そこまででもなかったな」という気持ちになっています(錯覚)。

柑橘類の木は、種類によって風への強さがずいぶん違います。一番弱いのはベルガモットで、これは半分以上倒れました。残っている方が少ない。しかも倒れたのも、根元からボキッと折れて再起不能になったのも数本ありました。

次に弱いのがライム。ライムは、倒れたものが多いのは当然として、着果した果実の半分くらいがダメになってしまいました。ただ、もうライムとして使える果実になっているので、加工して活かしたいと思います。

あとはブラッドオレンジが数本と、不知火(しらぬい)が数本倒れました。このあたりは想定内の感じです。

倒伏した木については、起こして、木の杭を打ち込んで結束します。 

写真では杭が1本ですが、2本使う場合もあります。斜めに起こしているのは、真っ直ぐに起こしてしまうと次の台風でまた別方向に倒れる可能性が高いためです。斜めなら倒れたとしても同じ方向なのでさらなる被害を受けずに済みます。

ちなみに、木の杭で幹を固定する作業は、台風が来る前にも、倒れそうな木を中心に40本ほど行っています(ライムとブンタンを中心に)。根元が人間の足首くらいの太さの木が一番倒れやすいのですが、うちの農園には今ちょうどこのサイズの木がたくさんあるんです。タイミングが悪かった。

杭を打ち込む作業は、カケヤという大きな木製のハンマーを使って行います。これはなかなか大変な作業です。土が軟らかければそれほどでもないのですが、粘土質で硬い土のところでは打ち込むのが一苦労!

そして、ハンマーや木の杭など、さまざまな道具は運搬車に乗せて運び作業するのですが、なんとその運搬車のゴムクローラーが復旧作業途中に断裂してしまいました!

「泣き面に蜂」とはまさにこのこと。

「クローラーが圃場でちぎれたら大変だから、劣化してきたらちゃんと交換しよう」というのが教科書的なメンテの仕方です。だから、ちゃんとメンテしてない方が悪いのです。自業自得です。が、つい「まだ大丈夫だろう」「暇な時に交換しよう」と思っちゃうのです…。交換しないとなーとは思っていたのですが…。 

木の杭もあと10本ほどなので、残りは手で運んで打ち込もうと思います。

そして台風被害といえば、今回の台風は塩害がすごかった!

柑橘類の、新梢(新しい若葉)はほぼなくなってしまいました。成木の場合は無くなっても困らないのですが(むしろ新梢をわざわざ除去する場合もある)、苗木・若木の場合はかなりの被害です。

ブルーベリーは塩に弱いので、ほぼ葉っぱがなくなりました。ごく小さな苗木のブルーベリーは枯死するかもしれません(写真はブルーベリーです)。 

被害の様子はこんな感じですが、田んぼについては収穫後だったため実害はあまりなかったのは不幸中の幸いというところです。

最後に、うち以外の被害についてですが、大浦町ではそれほど大きな被害はなかったようです。もちろん農業では、ビニールハウスが傾く、ビニールが破れるといった被害は散見されますが、大規模な崖崩れとか浸水とかはなかったという意味です。

地球温暖化・気候変動の影響で、今後巨大台風が次々襲来するようになるのではないか、という恐ろしい予測もあります。そうなったら農業のやり方も考えないといけないですよね。比較的被害が少ないカライモ(サツマイモ)を多くするとか(今回は、カライモも塩害を受けているのですが)。

これを読んでいるみなさんの中にも、被害があった方もいるのではないかと思います。速やかに復旧が進み、また元通りに穏やかな暮らしが戻ってくることを願ってやみません。

とりあえず、もう台風はたくさんですね!

2024年8月9日金曜日

「そらまど」では新刊本の取り扱いも始めました

南薩の田舎暮らしの直営店「books & cafe そらまど」では、新刊本の取り扱いを始めました!

これまで「そらまど」で販売している本は、基本的に古書でした。それらは、みなさんからご寄附いただいたものです。

「本を10冊以上ご寄附いただいた方にはドリンク1杯サービス」をやっていることもあり、今でも処理しきれないくらい本はご寄附いただいております。

が、寄附ばかりに頼っていると、自分が置きたい本、売りたい本を陳列することはできません。そりゃそうだ。

せっかく地域唯一の書店をやっているのに、いただいた古書を並べているだけじゃ能がない。それに、新刊を仕入れることができたら、なんか面白いことできるかも…?

今、全国的に書店は減り続けていますが、代わりに「独立系書店」(専業の書店ではないが本を取り扱っている店や小規模な書店など、店主のこだわりで本を売っている店のこと)はどんどん増えているそうです。「そらまど」もその一つかもしれません。

また、新刊本の仕入れは、かつては高いハードルがあったのですが(主に預託金など)、最近、独立系書店が増えたことで、気軽に新刊本を仕入れることのできるサービスが整ってきました。

「そらまど」では、こうしたもののうち「Foyer(ホワイエ)」という楽天ブックスネットワークが提供しているサービスを使って本を仕入れることにしました。これは定価の83%で仕入れるのでほぼ利益はありませんが、返品も可能なサービスです。

【参考】Foyer
https://foyerbook.wixsite.com/foyer

とりあえず最初の発注としては、店主である私の得意分野…つまり明治維新関係の本を仕入れてみました。今回仕入れたのは、私が実際に読んで「すごく参考になりますよ!」と太鼓判を押せるものばかりです。このほか、妻の趣味で中世ヨーロッパやドイツ、小説なども入れました。これから徐々に新刊本のコーナーを充実させていきたいと思います。

それから、お客様にオススメの本を教えてもらって、それを仕入れるなんてこともできたらいいなあと思っています。ただ、今は本がすぐに絶版になってしまうので、オススメされた本が仕入れられないケースが多そうなのが問題ですが…。

まだまだ手さぐり状態ですが、「そらまど」が面白い空間になるよう、新刊本も工夫していきたいと思います。「そらまど」にいらしたら、新刊本の棚にもご注目ください!

2024年8月5日月曜日

第13回そらまどアカデミア開催しました。朱舜水から水戸学、そして明治維新へ

第13回そらまどアカデミア開催しました。

今回の講師は、絵師で唐通事(中国語の通訳)の小川景一さんです。そしてテーマは、儒学の話。タイトルは「海を渡ってきた儒学とその周辺…そして明治維新までの物語」。

どうして絵師が儒学の話を? と思った方もいるかもしれません。じつは、小川さんは儒学の流れを図像化するという、大変興味深い取り組みをしており、今回はその図像を紹介したいという思いで講演を依頼しました。

ところが! 開始前に大問題が勃発!

小川さんのPCがMacだったのです。私はてっきりWindowsかと思っていたので、Mac用の接続機器がありません。しかも無線接続がどうしてもできません。まさか、図像を紹介したいのに、語りのみでやってもらうしかない…⁉ と覚悟しましたが、地獄に仏とはこのこと。小川さんの友人のHさんが接続のアダプタを偶然持ってきていたので事なきを得ました。ギリギリセーフでした。Hさん、ありがとうございました(冒頭写真もHさんによるもの)。

さて、日本は中国からたくさんの文化を摂取しています。有名なのは古代の遣隋使・遣唐使ですね。鎌倉時代には、「渡来僧の世紀」と言われるような、たくさんの僧侶が東シナ海を行き来する時代がやってきます。さらにその後、戦国時代には、中国では明が滅亡して清が興ります。この時に、ある明の遺臣が日本へ救援を求めてやってきました。

それが、今回のキーバーソン、朱舜水(しゅ・しゅんすい)です。

「あるグループから朱舜水を調べてくれと言われ、中国の文献を当たってみると、(日本での文献はあんまりないのに)たくさん出てきて、そこには「明治維新を準備したのは朱舜水だ」みたいなことが書いてある」と小川さん。こうして小川さんは20年以上、朱舜水を追っかけてきたそうです。それにしても、どうして朱舜水が明治維新とつながるのか?

小川さん作。うずまきが面白い意匠

朱舜水は明の再興のためなのか何なのか、東シナ海を8回も行ったり来たりしているのですが、そんな彼を招聘したのが水戸光圀。そして朱舜水は江戸で南朝とその忠臣、楠木正成を「発見」します。中国人の朱舜水が、楠木正成の「忠」を発見するというのが面白い。

そしてその歴史観は、水戸光圀の大事業「大日本史」へと引き継がれ、歴史観を中心とした儒学である「水戸学」へつながっていきます。

そもそも、中国で儒教/儒学が生まれた孔子の時代から、歴史観は非常に重要な要素でした。中国では王朝の交替を「易姓革命」という理論に当てはめ、「天命」を受けた「天子」のシークエンスとして歴史を捉えました。

孔子やそれを受けた孟子の思想は、歴史や政治、人の生き方についてのものだったのですが、南宋の朱熹はこれを個別的事物から天までを直結させる壮大な理論に再編集します。ここに儒教の転換がありました。これが朱子学。

この理論の裏には、異民族王朝である元が、正統な(天命を受けた)中華王朝である宋を滅ぼしたという時代背景があります。朱子学には、理念的な正統性にこだわった朱熹の情念が横溢していました。

その情念が、同じく異民族王朝(清)に滅ぼされた明の遺臣である朱舜水に受け継がれ、王朝の正統性に異常にこだわる「大日本史」の水戸学へと結実していくのです。

そして水戸学では、王朝が変わっていない(=天皇家が存続している)日本こそ、正統な天子の治める中華である、という「日本こそ中華だ」論=中朝主義を生み出します。

ここで問題になるのが、天皇家が分裂した南北朝時代。水戸学では南北朝時代の扱いに困ります。それは、歴史とは「天命」を受けた「天子」のシークエンスであり、一本の筋である以上、王朝の分裂はありえないからです。よってどちらが正統かという喧々囂々の論争があり、結論としては三種の神器を持っている方が正統だということに落ち着きます。それで正統とされるのが、滅ぼされたはずの南朝なんですね。

なんだか倒錯した歴史観のように思いますが、この倒錯した歴史観が「真の為政者は将軍ではなく天皇」という、およそ歴史的事実とは異なった観念を実体化しました。そして幕末には水戸学の集大成ともいうべき『新論』という本を会沢正志斎が著し、ここで日本という国家の核心概念「国体」が鼓吹されるのです。

なお、朱子の理念を実践した結果、なんか違うんじゃないかとの結論に至ったのが王陽明。彼は7日間竹を見つめつづけ、それによって天理まで通じるかトライしたものの、最後に到達したのは天理ではなく自分の心でした。こうして王陽明は、心と実践を重んじる思想=陽明学をつくっていきます。

陽明学は為政者の思想にはなりませんでしたが、朱子学の思弁的な性格とは逆に行動を促す性格が濃厚だったので、下級武士など変革を夢見る人たちに大きな影響を与えます。西郷隆盛が陽明学を奉じていたのは有名ですよね。特に薩摩藩では王陽明の『伝習録』が愛読されました。

ところで、水戸光圀がもう一つ種をまいているのが国学。光圀は「大日本史」の編纂のために大量の史料を収集するのですが、その中で『万葉集』に読めないところがたくさんあるという問題を解決しようと、契沖(けいちゅう)という僧侶に解読を依頼します。

契沖はこれに応えて画期的な『万葉代匠記』という著作をまとめ、これが古代の文学研究である国学を切り開くものとなりました。この国学を大成したのが本居宣長ですが、宣長に私淑した平田篤胤の頃には不思議と国学と水戸学がまじりあい、そこに陽明学の行動力がプラスされて明治維新を引き起こすイデオロギーとなっていったのです。

小川さんの話は、だいたいこういうものでしたが、さすがに芸術家。「人の心が”発明”されたのは3000年前だとされている。それまでは人は神の命で生きていた」とか、「朱熹も王陽明も、大久保利通も吉田松陰も座禅・静座(瞑想)を行っている。瞑想によって深層意識に到達していたに違いない」とか、話は縦横無尽に展開し、小川さんならではの見方で儒学の歴史に分け入っていました。

なので、このテキストは小川さんの話の筋には則っているつもりですが、実際の話ぶりとは全く違うことを申し添えます(笑)

また、小川さんは自ら考案した図像について意外と解説しなかったため、小川さんの講演がひと段落してから私がしゃしゃり出て解説しましたので、その部分もちょっとだけ付け加えます。

まず、こちらの「小川的太極図説」をご覧ください。

小川さん作「小川的太極図説」
 

朱熹がその理論をまとめるのに、大きなインスピレーションを得た書物に周敦頤(しゅう・とんい)の『太極図説』がありました。これは、それまで文章で述べられてきた世界の成り立ちを図で示すという、それ自体イノベーティブなものだったのですが、今から見るとデザイン性に欠ける部分があります(←当たり前)。

これを小川さん流に再構築したのが上の図です。特に重要なポイントは、「万物化成」と書いている一番下の円(個別的事物の世界)から、天までが一直線に繋がっていること。朱熹は、個別的事物を追求することで天理に至るという思想を『大学』というテキストを編集することで発展させます。その思想の一つの源泉となったのが『太極図説』です。しかし元の『太極図説』では、個別的事物から天までの繋がりが明白ではありません。「小川的太極図説」はその点を明快にデザインで表しています。

次に、この「儒学から日本儒学へ」の図。

小川さん作「儒学から日本儒学へ」

これは、「儒学が尊皇攘夷思想を生みだし、明治維新や八紘一宇の元を形作った」ということを平易に表した図ですが、実は、江戸時代の儒学のメインストリームはこの図の中心である「水戸学」ではないんですね。

江戸時代の儒学の総本山は、江戸幕府が作った昌平黌(しょうへいこう)という儒学の学校でした。それを準備したのは、この図では右上にある林羅山。そして民間の方では、この図では左から2番目にある山崎闇斎の系統が人気がありました。にもかかわらず、日本儒学を水戸学を中心として再編集したのがこの図の面白いところです。そして画面の中心には、「大日本史編纂」という事業が書いています。

これは、水戸藩が藩を挙げて編纂した日本の歴史です。水戸学が大きく発展したのは、理念的なことよりも、この具体的なプロジェクトに携わっていたという事情が大きい。そして水戸光圀は、中国の「正史」とよばれる歴史書になぞらえて日本の歴史を編集します。そこで「天子=皇帝」を天皇に当て嵌め、天子のシークエンスを天皇の「万世一系」に変換するわけですね。

これが天皇中心の明治国家の核心です。だから、朱舜水から水戸学が発展し、明治維新に繋がっていく、ということになるんです。

ともかく、日本の儒学を水戸学、特にその「大日本史編纂」を中心に据えて描いたのがこの図のオリジナリティ。

小川さんは他にも何枚かの図像を準備してくださっていたのですが、申し訳なかったのは、プロジェクタの解像度が悪く、またそうでなくてもスクリーンが小さくて、細かい文字が全然読めなかったことです。図像が中心なのに、これはもったいなかった。紙に印刷して配ればよかったのに、という意見がありましたが、まったくその通りでした。

また、今回は試験的にYouTubeでライブ配信もいたしました。あまりうまくはいきませんでしたが(プロジェクタの画像なんかは全然見えなかった)、とりあえず配信自体はできたようです。今後、そらまどアカデミアは有料でライブ配信を行うことも検討してみたいと思います。

それらから、私がしゃしゃり出たこともあって、予定時刻を1時間もオーバーしてしまったことを、改めてお詫び申し上げます。今回はお詫びすべきことが多いです。

それにしても、私にとっては今回の講演は大変楽しいものでした。小難しい印象がある儒学を、こんなに楽しくしゃべる人を小川さんの他に知りません。なのに、小川さん曰く「儒学なんて、そんなに入れ込んでないから」。じゃあ、入れ込んでるものについて語ってもらえたら、もっともっと面白いのでは…? 小川さんには2回目の講演もお願いしたいと思っております。

改めてありがとうございました!

2024年8月2日金曜日

今年のお米の販売を開始しました。値上げしちゃってすみません。

2024年の新米の販売を開始しました。

今年のお米の出来は…、正直言いますと、例年より少し劣るような気がします。

今年は、稲刈り前からなんだか雨が多く、特に4月は梅雨みたいに雨が降りました。そのおかげで水は豊富で助かりました。

水が豊富だと雑草は生えにくいので、今年はこの数年間で一番、草取りの労が少ない年でした。草取りだけで何週間も使う年もあるので、とてもありがたかったです。

ところが! 今年はジャンボタニシ(スクミリンゴガイ)という害虫(正確には巻き貝)が大量発生したため、かなりの被害を受けてしまいました。そして、「無農薬」を標榜しているにもかかわらず農薬を使用してしまいました。ただし有機栽培でも使える農薬ですので、ご理解いただければと思います。詳しくはこちらの記事をご覧ください。

【参考】「無農薬」って言ってるのに、農薬を使ってしまいました
https://nansatz-kurashi.blogspot.com/2024/06/blog-post.html

しかし、この記事でも書いていますが、自然に優しい農薬であるためか効き目はいまいちで、その後も被害がじわじわと続きました。

さらに、夏に入るとご承知の通りの猛暑が始まり、なんだか生育が弱かったような気がします。稲自体は熱帯の植物であるため暑さには強いはずなのですが、コシヒカリは低温に強い稲なので、逆に高温は苦手な気がします。特に7月後半からの猛暑には、なんだか稲もだれていた感じでした。

そんなわけで、今年は収量がやや少なく、また小米が多いようです。まだ食べてはいないので味の方はわかりません。せめて味は美味しいといいんですけどね。

そして、このように品質は十分とはいえないにもかかわらず、昨年までに比べてかなり値上げをすることにしました。実は昨年もちょっと値上げしたのですが、今回はさらに値上げをすることになり心苦しいです。しかし、直接の生産資材のみならず、堆肥、段ボール、燃料、緑肥の種など、何もかもがかなり値上げされている状況です。ご理解いただければ幸いです。

それでも、無農薬・無化学肥料のお米としては、まだリーズナブルな方ではないでしょうか。というか、今年は普通のお米がとっても高いですよね。近所のスーパーでは、5㎏で2500円を超えています。最近、お米の(日本全体の)在庫量が不足しているためお米の値段が上がってるんですよね。無農薬・無化学肥料のお米で5㎏3,200円はむしろ安い方かもしれません。

昨日、インターネットで販売を開始いたしましたら、例年と変わらず続々とご注文をいただきホッとしています。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

↓ご注文はこちらから
【南薩の田舎暮らし】【2024年産】無農薬・無化学肥料のお米(5kg)
5㎏で3,200円。10㎏は6,000円。送料別。

2024年7月15日月曜日

第12回そらまどアカデミア開催しました。新聞が無くなって困るのは…

第12回そらまどアカデミア開催しました。

今回は、南日本新聞の編集局長、平川順一郎さんにお越しいただき「これからの地方紙」について語っていただきました。

現在、新聞だけでなく報道機関は厳しい状況にあります。平川さん曰く「テレビの方がもっと厳しいかも。テレビ局の記者なんか昔の3分の1くらいになってる」。インターネットの普及や人口減少によって、これまでのビジネスモデルが通用しなくなっているんです。

南日本新聞の発行部数は公称25万部。記者は150人いるそうです。うち、編集部に40人いるとのことで、実際外に出て取材をしている方は100人ちょっと。鹿児島+宮崎の一部を100人で担当しているということになります。私は思ったより多いなと思いました。

全国の多くの地方紙は各県域を配布対象範囲としていますが、中日新聞や西日本新聞など県を超えた範囲を区域とするブロック紙もあります。それに準ずるものとして河北新報や信濃毎日新聞など10社があり、南日本新聞もこれに属します。これらの会社は、発行部数や歴史も似たような部分があるそうで、南日本新聞は地方紙としては割とよい位置にいる新聞とのことでした。

南日本新聞が非常に特徴的なのは、全株式が社員保有であること! これは「全国で唯一かも?」。だから、社員になると株式を「買わされちゃう」そうですが、これは南日本新聞の報道が誰の指図も受けない基盤となっています。新聞は、地元の大企業が大株主だったり、創業家の社主がいたりするのが一般的で、ある種の記事が書けなかったりします。大手紙でも読売新聞の主筆はいまだに渡辺恒雄さん。ナベツネさんが社論を定めているので、それと違った論調の記事は書けません。

ところが、南日本新聞の場合は社員自身が株主なので、平川さんも「今まで、そんな記事は書くな、といわれたことが一度もない」。ただ、社員が強いということは、逆に「自分は編集局長という立場だが、こういう記事を書け、と現場の記者に指示することもできない」とのこと。現場の記者が強く、記者の個性が出るのが南日本新聞です。

これは「新聞社としての健全性」を示すものではありますが、平川さんとしては「今の時代、トップダウン的でないことが変革を阻んでいる部分もある」と感じてもいるそうです。難しいですね。

当日は、7月12日付の南日本新聞が配布され、どんなことを考えてこの紙面にしたのか、ということが解説されました。

この日の1面トップは、徳田虎雄さんの死去。「郷土出身の人で、死去がトップニュースになるのは、たぶんこの人が最後」だそう。ですが、ご存じの通り、毀誉褒貶の甚だしい人ですから、郷土の偉人、みたいな扱いではなく、「多角的に取り上げたかった」ということで、20‐21面には功罪織り交ぜた記事が並びました。

この日の肩(1面の左上の記事)には、水俣病患者と環境相との再懇談の最終日という記事。水俣病患者との懇談の際、環境省職員がマイクを切った問題を初めて報じたのは南日本新聞と熊本日日新聞(だけ)でした。その場には全国紙の記者も来ていたのにもかかわらず、なぜ彼らは報じなかったのか? それは、全国紙の記者の場合は、やはり東京からの視点でものを見ていて、「こういうのが普通」と慣れっこになっていたのではないか、とのこと。一方、地方紙記者の場合は患者からの視点に立って「これはおかしい」と感じたから記事にした。この感覚があるのかどうかが、地方紙の存在意義の一つ。両紙の報道がきっかけになり、環境相が謝罪し、再懇談が設けられることになったわけです。

この記事の最後には「塩田康一知事は参加しなかった」と一言だけ書いてあります。鹿児島県にも被害者はいるのに、鹿児島県では「もらい公害」という認識で、当事者意識が希薄です。平川さんは、記者のこの指摘により「南日本新聞も同じだったのでは」と気づかされたそうです。鹿児島(と都城)以外が中心のことは、どこか他人事っぽくなってしまうのは、地方紙の弱点かもしれません。

それでは、これからの地方紙はどうなるか?

南日本新聞は、昔に比べてだいぶ薄くなってきました。購読者数の減少に加え、紙のコストが1.5倍くらいになっているからです。でも社長としては「できるだけ値上げしたくないので、薄くなっても現行価格でいきたい」との考え。個人的には、薄くなってるのに写真を多くして文章を減らしているのは腑に落ちないですが…。

配達コストの問題も大きいです。かつて新聞販売所は記者以上に儲かる商売でしたが、収益のメインを担ってきた「折込チラシ」が激減したことで、やっていけない販売所も出てきました。県本土全域での当日朝配達体制が維持できなくなるのは、「早ければ5年後くらいかも」。もうすぐそこの話です。

これを補うのがWEB版ですが、南日本新聞の主要購読者層は60代以上。30代でもほとんど読まれていないそうです。最近の若い人は新聞取りませんからねー。なのでWEB版があっても、高齢の購読者は「やっぱり紙がいい」と思っていて、そこに需給のミスマッチがあります。ちなみに、Yahoo! ニュース等に配信してタダで見られるようにするのは、「自分の首を絞めるようなものだから、今後は改めていかないと」。

「もしかしたら10年後、紙の新聞はなくなってるかもしれない」と仰っていましたが、その時に地味な地方紙が本当に読まれるのか、大きな分水嶺になりそうです。

なお講演後の意見交換では、県警問題が関心を集めました。平川さんは「県警が悪いのは間違いない」としつつも、「個人的な考えでは、100%の悪人も100%の善人も存在しない」のだから、「(野川本部長が県警の問題を隠蔽しようとしたと告発した)前生保部長を善、野川本部長を悪とするような単純な構図では報道しない」とし、全国紙が、表面的な理解だけで県警を断罪するような論調になっていることに違和感を抱いているそうです。

そして、「前生保部長はそういう立場にありながら、南日本新聞含め、報道機関と一切の付き合いをしてこなかった。なのに退職後にいきなり面識のない記者に、それだけでは記事の書きようがない資料を送付するのは不可解」とのこと。これはよくも悪くも県警と長く付き合ってきている南日本新聞ならではの見方だなあと思いました。

では真実はどこにあるのか。「南日本新聞は、警察と同じくらい、ちゃんと調査して裏付けがあることを書いている自負がある。県警問題は南日本新聞がやらないかぎり「真実」は明らかにならないと思う。だが、これが真実だ、というようには書かないし書けない。一つずつ「事実」を積み重ねるという地道な報道をやっていくことで、結果的にそれが明らかになると思っている」ということでした。「事実」を積み重ねる、とは、「塩田康一知事は参加しなかった」と一言だけ書く、みたいなことですよね。

南日本新聞のそういう姿勢は心強いですが、心配なのはやはり経営です。平川さんは冗談っぽく「これからの時代の報道には、ものを言わない“パトロン”が必要なのかも?」と苦笑いしていました。大手紙やテレビ局も「もはや新聞やテレビでは利益がなくて、不動産の利益でなんとかやっている」という現状があります。MBCもそんな感じだったような。

「記事にはどんどん反応してほしい。南日本新聞のパトロンは県民のみなさんしかいません」だそうですよ!

新聞社の方と率直に意見交換する機会ってなかなかないですが、実際にやってみて本当に面白いなと思いました。南日本新聞には、こういう機会をたくさん設けていただいて、読者と対話しつつ変革の時代を乗り切ってほしいです。地方紙こそ、昏迷の時代に必要なメディアではないでしょうか? 新聞が無くなって困るのは、新聞社の人…ではなくて、他ならぬ県民なのは間違いありません。

2024年7月13日土曜日

第13回そらまどアカデミア「海をわたってきた儒学とその周辺・・そして明治維新までの物語」を開催します!


8月4日、そらまどアカデミア開催します!

今回ご登壇いただくのは、絵師の小川景一さん。

小川さんと言えば、鹿児島デザイン界を牽引してきた人であり(←天文館のロゴマークの製作者!)、中国桂林で12年間デザインを教えた中国通でもあり、またランナーであり、そして最近は水墨画家として個展を開催したのも記憶に新しいところです。

そんな小川さんが(趣味で?)やっていらっしゃるのが、思想や歴史の流れの「図像化」。実は、小川さんは儒学にもとっても詳しいんですが、特に儒学の歴史を図像化するという取り組みをしてきています。

儒学って何? 儒教とは違うの? 孔子がつくったのが儒教でしょ? その歴史っていったい…?

という方もいるかもしれませんね。しかし、儒学の歴史は中国の国家の在り方を根底で規定し、また日本では明治維新に大きな影響を与えました。知名度はいまいちですが、すっごく重要な思想が儒学なんです。

儒学とは、孔子の教えを中心としてまとめられた生き方の教えや歴史哲学・政治思想ですが、これが孟子に受け継がれます。これをミクロレベル(個人の行動)からマクロレベル(宇宙論)まで一貫統合した理論に作り替えたのが朱熹(朱子)。中国ではこれが官吏登用試験(科挙)の学科になりました。

日本に儒学が入ってきたのは戦国時代末。日本では儒学は統治の学としては採用されませんでしたが、江戸時代には、儒学の教養がかなり広い範囲でいきわたります。そして明治維新を成し遂げた英傑と言われる人たちは、大なり小なり儒学の教養を武器としていました。そもそも、「天皇中心の中央集権体制」という構想自体が、儒学による「皇帝専制政治」の応用であったわけです。

……というような話をしても、なかなかわかりづらいのが儒学。なにしろ「思想」ですから、形があるものではないですし、耳慣れない人の名前もたくさん出てきます。

そんな、重要だけれどもなかなか手を付けづらい儒学に、小川さんの「図像化」を通じて親しんでしまおうというのが今回のアカデミア。ややこしい話が図になっていると、理解度が段違いになるな、と小川さんの「図像化」を見て依頼しました。

明治維新を理解する上でも非常に重要な儒学の世界に、楽しく入門してしまいましょう!

ちなみに、冒頭のチラシも小川さんにご作成いただきました。チラシの上の方にある図が、小川さんの力作の一部です。

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第13回 そらまどアカデミア

海を渡ってきた【儒学とその周辺...
そして明治維新】までの物語。

講 師:小川 景一

古代中国から、儒学・朱子学・陽明学。
海を渡り、日本儒学・水戸学・国学、そして明治維新。
複雑に絡み合った思想史を図像で丁寧に紐解きます。

日 時:8月4日(日)14:00〜15:30(開場13:00)
場 所:books & cafe そらまど (駐車場あり)
料 金:1000円(ドリンクつき) ※中学生以下無料
定 員:15名
要申込申込フォームより、または店頭で直接お申し込みください。※中学生以下は無料ですが申込は必要です。
問合せこちらのフォームよりお願いします。

<講師紹介>
絵師・唐通事。武蔵野ミュージアム選書スタッフ。中国桂林にてデザイン教師、鹿児島大学非常勤を経て、現在庭師修行中。

2024年6月17日月曜日

「無農薬」って言ってるのに、農薬を使ってしまいました

今年の4月はとても雨が多く、5月もそれなりに降りました。

なので、田んぼの水の心配を全くしないですみました。いつも田んぼに水がしっかり入っていたので雑草も少なく、この数年間のうちで、一番草取りの労力が少ない年だったかもしれません。

ところが!

今年は別の苦労がありました。田んぼの稲をモシャモシャ食べてしまう、ジャンボタニシという害虫(巻き貝)が大発生したのです。

ジャンボタニシ(正確にはスクミリンゴガイという)は、冬の低温は苦手なので、昨冬が暖かかったことが一番の要因でしょう。稲が小さいうちは、こいつらに食べられて稲株が全くなくなってしまい、放っておくと田んぼがスカスカになってしまいます。

稲が大きくなってくると無くなりはしないのですが、分蘖(ぶんけつ)といって、葉っぱが増えていく部分を食べてしまうため、やはり一つひとつの株がスカスカになります。

なお、「ジャンボタニシは雑草を食べてくれるから除草剤がいらなくなる(デマ)」ということで、一部にはジャンボタニシを田んぼにわざわざ放流する人がいるそうですが、絶対にしてはいけません。雑草だけじゃなくて稲がなくなります!

というわけで、このままだと稲がなくなり収穫がなくなるため、うちのお米は「無農薬・無化学肥料」を標榜しているのですが、今年は農薬を使ってしまいました。

「スクミンベイト3」という農薬です。 

【参考】スクミンベイト3 
https://www.oat-agrio.co.jp/product/スクミンベイト3/

これは天然成分由来の農薬で、有機栽培でも使え、特別栽培農産物でも農薬としてカウントされないという、とっても自然に優しい農薬です。回数制限もありません。なので、厳密には「無農薬」ではなくなりますが、お目こぼしいただければと思います。申し訳ありません。

しかしながら、自然に優しい農薬なので、効いているんだかいないんだか、どうもわかりません。何もしないよりはマシ……というくらいの効き目です。

というのは、これはジャンボタニシが食べることで効き目を発揮する薬剤なのですが、観察していても食べている感じがしないんです。農薬の説明書きには「本剤はスクミリンゴガイの好む殻粉を最適に調合した高い喫食性を持つ製剤です。」と書いているものの、薬剤を素通りしてますけど…?

まあ、有機栽培にも使えるジャンボタニシニの駆除剤があってよかった…とは思います。なかったらどうしようもないですからね。

今年は、いろんな農作物が不作なので、せめてお米くらいは豊作にしたいものです。

2024年6月15日土曜日

第12回そらまどアカデミア「これからの地方紙」を開催します!

7月14日、そらまどアカデミアを開催します。

今回のテーマは新聞です。

みなさん、新聞って購読していますか? かつて、新聞を購読することが社会人として当然と思われていた時代もありました。今では、「ネット記事で済むから」ということで新聞を購読しない人がどんどん増えています。

そんなことで、新聞業界の見通しは明るくなく、特に地方紙の廃刊・休刊が相次いでいる現状があります。

一方で、大手マスコミは政権に籠絡され、テレビは視聴率のためにくだらない内容になり、ネットでは扇情的な記事に溢れています。そんな中「今、一番まともなマスメディアは地方紙なんじゃないか」と思うのは私だけでしょうか? この、一番まともなマスメディアが一番の苦境に陥っているわけです。

地方紙は今後どうなるのか。それは、日本のジャーナリズムの在り方を占う論点だと私は思います。

というわけで、今回特別に南日本新聞の編集局長、平川順一郎さんをお呼びして、「これからの地方紙」について語っていただきます。平川さんは、みなさんとの意見交換も楽しみにしているとのことでした。

通常、こういった場に新聞社幹部が出向くことはないのですが、今回はお忍び的に(←といってもこうしてブログに書いちゃってますが(笑))講演いただくことになりました。

皆さんの参加をよろしくお願いいたします。

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第12回 そらまどアカデミア

これからの地方紙

講 師:南日本新聞編集局長 平川 順一郎

新聞業界は苦境にあります。しかし、各新聞は地域社会、日本の民主主義にとってなくてはならない存在と信じ模索を続けています。南日本新聞の歴史や、新聞記者の仕事、デジタルでやろうとしていることなど今描きつつある将来像をお話しします。みなさんの意見も聞かせてください。

日 時:7月14日(日)14:00〜15:30(開場13:00)
場 所:books & cafe そらまど (駐車場あり)
料 金:1000円(ドリンクつき) ※中学生以下無料
定 員:15名
要申込申込フォームより、または店頭で直接お申し込みください。※中学生以下は無料ですが申込は必要です。
問合せこちらのフォームよりお願いします。

<講師紹介>
1966年鹿児島市生まれ。鶴丸高校から早稲田大学法学部を卒業後、南日本新聞社に入社。社会部、文化部、政経部、日置支局長、奄美総局長、編集委員などをへて2023年から現職。

2024年5月13日月曜日

第11回そらまどアカデミア開催しました。古墳の謎と美しさ!

第11回そらまどアカデミア開催しました。

今回の講師は、福岡を拠点に活躍している古墳写真家のタニグチダイスケさんです。福岡からバイクでお越しいただきました。しかし当日は土砂降り。バイク移動には厳しい天候でした…。

さて、今回のテーマは「九州の古墳における横穴式石室とその特徴」。薩摩半島には古墳がほとんどないので、身近なテーマではなかったかもしれません。また、古墳といえば、「大山(だいせん)古墳」のような巨大な前方後円墳をイメージされる方が多いので、「九州の古墳」なんてたいしたことないんじゃないの? という先入観もあるかも。

しかし! 今回の講演で、タニグチさんは、九州の古墳の面白さと美しさを存分に伝えてくださいました。ここまで奥深い世界だったとは…!

そんなタニグチさんが古代に興味を持ったのはなんと2歳半。ツタンカーメンが入り口だったとか。やがて日本の古代に関心を向け、小学生の頃から古墳を追いかけるようになったんだそうです。すごいですね。

古墳は、日本全体に16万基以上もあると言われており、コンビニの3倍もあります。古墳時代に先行する時代にも、甕棺墓といったお墓はあったわけですが、古墳でも最初は竪穴を掘って、そこに遺体・棺を納めるという形になっています。ここでは石室、つまり遺体を納める部屋はありませんでした。

そして3世紀半ば、竪穴式ではあるのですが、壁を割石積みで作ってまるで部屋のような構造を持つ墓が徳島で登場。これは竪穴式石室と呼ばれています(これは石室ではなく石槨であるという主張もあります)。なお、この割石積みは、徳島で産出する緑泥片岩(層状に割れやすい緑の石)を板状にして、それを大量に積み上げて作ったものでした。

さらに佐賀県の唐津にある「谷口古墳」では、同様に精緻な割石積みによって、合掌造りのような形で部屋がつくられています。古代ローマでは石積みが発達してアーチ状構造が生まれたのですが、日本ではブロック状の石を積むアーチ状構造は生まれず、不規則に板状(棒状)に割った石を細かく層状に積み上げ、天井に向かって徐々に壁を狭めるという合掌構造によって石積みの部屋を造りました。この石積みの美しさはもはや官能的ですらあります。

谷口古墳 [撮影タニグチダイスケ]
 

注目すべきことに、この「谷口古墳」には、その合掌の頂点の部分(つまり天井部分)に横口が設けられていました。これは出入りに使うのは困難なため実用的ではなさそうですが、「横口を設けるという思想」が入ってきたようです。それまでの竪穴から、横穴をつけるというのがイノベーション!

そして福岡の「老司(ろうじ)古墳」では、ちゃんと出入りできる横穴が設けられており、追葬(追加での埋葬)が行われていたらしき形跡があります。なぜ横穴になっていったかというポイントはこの追葬にあります。一人きり・埋めっきりの墓ではなく、一族が死亡するたびにそこに埋葬することを前提として、出入りする横穴が必要になったわけです。

こうして畿内ではまだ竪穴式が続いていた時代に、九州北部では横穴式が発達していきました。古墳の埋葬施設が、まず竪穴で地下にもぐり、そこから横穴を潜って玄室に至る、という2段階構造になっていったのです。

一方で熊本でも石室が発達していったのですが、面白いのが「小鼠蔵(こそぞう)1号墳」。この古墳は小島につくられています(今は陸続きになっている)。石室はやはり割石積みで、コの字型に3体の遺体を並べるようになっていました。石室下部は石障(せきしょう)という板状の石がめぐらされています。これは横穴式なのかどうか判然としませんが(横穴なのか、単なる破壊なのかどうかわからない穴が開いている)、タニグチさんは横穴説を採っていました。だとすれば熊本で最古の横穴式石室(肥後式石室という)ということになり、小さな小島から新しい動きが始まっていることが面白いです。

「小鼠蔵1号墳」には、もう一つ新しいことがあります。それが石棺の装飾。小さな円がたったひとつだけですが石棺に刻まれているのです。石棺の装飾は、大阪の「安福寺石棺」や福井の「足羽(あすわ)山山頂古墳」の石棺に直弧文(ちょっこもん:直線と曲線を組み合わせた幾何学模様)が刻まれている例があります。しかしなぜか畿内では古墳内の装飾は普及せず、これらとは無関係に熊本の小島の古墳に突如として装飾が登場したのです。

直弧文 [撮影タニグチダイスケ]
 

では、この円の線刻は何を意味しているのか? それは銅鏡ではないのかというのが有力な説。豪華な副葬品が準備できないので、それを絵に描いたというわけですね。これから石棺には多重の円や直弧文が彫刻されることになります。6世紀初めの「千金甲(せごんこう)1号墳」では彩色が登場。多重の円とともに靫(ゆぎ)という矢を入れる道具が、石障に線刻と彩色(青・赤・黄)で描かれました。

古墳の装飾は始めは石棺から始まりましたが、やがて石室全体に広がっていきます。もはや「豪華な副葬品が準備できないので、それを絵に描いた」などというものではなく、石室の装飾に独立した意味が託されていたことは間違いありません。そのような中でもものすごいのが6世紀中頃の「桂川(けいせん)王塚古墳」。デザイン性の高い具象・抽象の文様で石室全体が埋め尽くされている様子は圧巻です! これは古墳では3つしかない国の特別史跡に指定されています(他は高松塚古墳、キトラ古墳)。

桂川王塚古墳 [撮影 タニグチダイスケ]

 
桂川王塚古墳の靫紋様 [撮影 タニグチダイスケ]

こうした装飾で面白いなと思ったのが、正面から見たときにしっかり見えるように計算して描かれているということです。先述のとおり、古墳は基本的に成形されない石を積み上げているため、壁面の石はデコボコです。そこに文様を描くのですが、例えば円の場合、真正面から見た時にきれいな円になるように工夫しているのです。石室は当然ながら真っ暗なのに、そこに豪華な装飾を施した人々は何を狙っていたのでしょうか。

ところで、先ほどから「石棺」と書いてきましたが、九州の石棺には、畿内にはない著しい特徴があります。それは、蓋がなく遺体が丸見えであること。肥後式石室の場合は、地面にベタ置きになっています。石棺っていうより「遺体置き場」と考えた方がよい…? そして、横穴式石室では追葬するわけです。つまり追加の遺体を安置する際には、腐敗したり白骨化したりした遺体が丸見えなわけです。なんだかおどろおどろしいのですが、当時の人はどう考えていたんでしょう…⁉

さらに九州の横穴式石室のもう一つの特徴は、「羨道」と「玄室(遺体を置く部屋)」の間に「前室」という部屋があることです。葬送儀礼がこの部屋で行われたのでしょう。つまり九州の横穴式石室の古墳は、個人の墓ではなく、一族の墓・祭祀の場でした。後の世の寺院や神社にあたるものだったのです。

なお、南九州では地下式横穴墓(古墳のような上部構造はなく、地下に埋葬)が広まったのですが、先述のように薩摩半島には古墳はほとんどありません。一方、一人用の狭い石積みの部屋のような「板石積石棺墓」は薩摩川内やさつま町にたくさん分布しています。その工法は明らかに北部九州の影響を受けていますが、どうも北部九州と鹿児島では様子が違うようです。装飾古墳は鹿児島には一つもありません。古墳時代から鹿児島はちょっと変わっていたのでしょうか…?

それにしても、どうして古墳時代の人々は、とんでもない労力をかけて古墳を造り、またそこに装飾を施したのでしょうか。講演が終わった後での懇談でタニグチさんに聞いてみたところ、まず古墳の造営については、強制労働だけでは説明できず、ピラミッドと同じような公共事業的な側面があったのではないかということでした。かつてはピラミッドは奴隷による強制労働で作ったと考えられてきましたが、今ではちゃんと「給料」が出ていたことがわかっています。農閑期に人々に仕事を与えるという一種の再配分政策でもあったのがピラミッド。それと同じように、古墳も公共事業として造られたと考えられるそうです。

では装飾についてはどうでしょう。古代エジプト人は死後も現世と似たような「死後の世界」があると考え、そこで安楽な暮らしを行うために副葬品を詰め込んだピラミッドを造営したのですが、古墳の場合は「死後の世界での暮らし」という観念が希薄だそうです。それよりも感じられるのは、「死者の蘇り」を恐れる気持ちなんだとか。石棺に刻まれた直弧文も、死者が蘇らないように封じ込める意味があるのでは? と推測されるそうです。「死者の蘇り」を願うのは世界中に見られますが、「死者の蘇り」を阻止しようというのは珍しい。

古墳はある種の「死後の家」ではあったのですが、「絶対にここから出てこないでね」という結界の意味も込めた「死後の家」だったのかもしれません。一方で、死者を恐れる気持ちばかりでなく、そこには祖先祭祀の意味も当然含まれていました。先述の通り、九州の横穴式石室は追葬が前提であり、何代にもわたって遺体が埋葬されましたが、それは父系親族に限られるそうです(つまり夫婦墓はない)。古墳は、父系親族の継承を神聖化するものだったのかもしれません。古墳には、死者への「怖れ」と「神聖化」という相反する観念が同居しています。

しかしながら、実際当時の人が古墳にどんな思いを込めていたかは謎に包まれています。それは、古墳には一切文字が残っていないからです。古墳時代に文字がなかったわけではありません。例えば有名な江田船山古墳の鉄剣など、副葬品には文字が残っている場合があります。ところが華麗な装飾を施しながら、なぜか古墳そのものには一文字も字が書かれませんでした。どんな死後の観念があったのか、まだまだ謎だらけなんですね。

そして古墳時代が終わると、当たり前ですが古墳は造られなくなりました。「寺院」が古墳に置き換わっていったのです。古墳は、日本最古の石造構造物ですが、その工法もあっさりと失われ、日本では長く石造構造物は造られない時代が続きます。今ではどうやって造ったのかよくわからない古墳もあるそうです。

ところで講演では、タニグチさん自ら撮影した美しい写真を次々と繰り出しつつお話してくださいました。講演では理屈とは別に、古墳の美しさにもびっくりさせられましたねー。タニグチさんの写真には古墳への愛があふれています。写真を見るだけでも新しい世界に目を開かされる講演でした。

しかし90分では足りないくらいの情報量でしたので、タニグチさんには、また場を改めてご講演いただきたいなと思っています。次回は大雨の中でないといいのですが!!

2024年5月6日月曜日

「砂の祭典」に初めて出店しました

5月3〜5日の3日間、「吹上浜 砂の祭典」に出店しました!

これまで、「砂の祭典」にはいろいろな関わり方をして来ましたが、出店するというのは実は初めてです。

場所は、メイン砂像がある場所とは違う、本町(ほんまち)の公園のそばでした。私たちがいたのは地元出店者枠のコーナーで、公園では「モジョピク」という、キッチンカーやハンドメイドショップなど外部の参加者によるマルシェが開催されていました。

私たちはコロナ以前からイベントへの出店を控えていたので、本格的なイベント出店は本当に久しぶりでした。不特定多数の人に訴える商売は数年ぶりといってもいいくらいだったかもしれません。

その点、「モジョピク」の方の飲食店の皆さんはさすがに慣れていて、売上の方も私たちの数倍はあったと思います。そんな皆さんのやり方を見て、とても勉強になりました。そんなわけで、今後に活かすために感じたことを記録しておきたいと思います。おそらく、皆さんにとっては「そんなの当たり前。むしろこれまで分かってなかったの!?」ということばかりですが…。

第1に、店はわかりやすさが大事。いろんな店がありましたが、繁盛しているのは、何が売っているか一目見て分かる店ばかりでした。「レモネード屋さん」「チュロス屋さん」といった調子です。テーマカラーをはっきりと打ち出した大きなサインを掲げ、遠くから見ても何を売っているか分かるようにするのが大事だと思いました。

第2に、商品は絞った方がよい。これは第1の点から派生することです。 普通のお店ではいろいろ商品がある方がよくても、こういうイベント出店の場合は商品数の多さはアダになると思いました。例えばマフィンとケーキとクッキーを売っているお店より、マフィンだけの店の方がわかりやすくて売れ行きがいい。お客さんはいろいろな店の商品を比較した上で購入するので、一店舗の中にマフィンとケーキとクッキーがある場合、その商品間の比較まで考えてしまい、結局購入に至らない場合がありますよね。むしろマフィンの種類を増やして、プレーン/チョコ/バナナマフィンにした方がわかりやすく、「選ぶ楽しみ」になります。

第3に、地元産はアピールすべき。これは考えてみれば当たり前ですが、いつも地元相手に商売しているのですっかり忘れていました。「砂の祭典」には地域外からたくさんのお客様が来ます。そしたら、「何かひとつくらい、南さつまのものをお土産に買って帰ろう」と思うのが人情。しかも、今回はいつもの特産品販売のブースがなかったので、お土産に飢えていた人が多かったようです。うちの南薩コンフィチュールなんか、いいお土産だったのに、「地元産」を全くアピールしていなかったのでほとんど売れませんでした(涙)。一方、ジンジャーエールシロップは「南さつま市産」を後から貼り付けたところ、売れ行きが格段によくなりました(でもその時はその効果だとわかっていませんでした!)。

第4に、飲み物350円は安すぎた(笑)。うちでは、「石蔵ブックカフェ」でジンジャーエールやコーヒーを300円で提供しています(あまり儲けを考えていません)。それじゃああまり安いよね(出店料も高いのに)、ということで「砂の祭典」では1杯350円にしました。ですが、出てみてビックリ。ほとんどの飲食店の飲み物は500円〜じゃあないですか! 物価が上がってるなー。大浦からほとんど出ていないので最近の相場がわかっていませんでした。400円にすればよかった。あんまり安いのは他の飲食店にも迷惑がかかりますからね。

これら4点は、3日間出店している間、徐々に分かってきました。なので、うちの店構えも徐々に変えていきました。1日目の最初の方は、あんまり売れ行きが悪いので「自家製ジンジャーエール350円」を大きく表示したところ、ちょっと売れ行きがよくなりました。2日目には、その文字を「そらまど」のテーマカラーの水色の台紙に書いたところもっとよくなりました。3日目には、そこに「南さつま市産」をつけたところ、シロップもどんどん売れるようになりました。最初からいろいろ工夫してやればよかったですね…!

いろいろ反省点はありますが、でも一番何がよかったかって、雨が降らなかったことです。ちょっと風が強かったとはいえ、3日間、お天気に恵まれました。イベント出店で一番大事なことは、天気ですよね!

初めて「吹上浜 砂の祭典」に出店してみて、本当にいい勉強にもなりました。また来年も出店できたらいいなと思っています。来て下さったお客様、スタッフのみなさん、どうもありがとうございました!

2024年4月30日火曜日

風の強い年

はっきりとしない天気が続いています。4月半ばから、まるで梅雨のような天候…。GW前のこの時期が、かぼちゃの受粉期なんですが、雨が降っていると当然受粉ができませんので、とても困るのです。

それでも、雨の合間に受粉作業を行い、徐々に着果してきました。実のついていないツルはあと2割ほど。4日連続で晴れてくれれば何もしなくても全部着果するのですが…。

ところで、今年はかぼちゃについていうと、あまり天候に恵まれていません。特に、風が強くて困りました。

3月半ばには、台風のように風の強い日が2日もあって、トンネルの支柱が合計で60本ほども折れ曲がってしまいました(当然、復旧作業も2回やりました…)。平年であれば、強風で折れ曲がるとしてもせいぜい5本くらいなのですが…。

しかも、3月の強風といえば春一番(南風)、なのに、今年は北風が強かったんですよね。どういうわけだ。

かぼちゃのようなつる植物は風に弱いのです。風がなければスクスクと成長するはずのところ、風のせいで成長も遅れ、それどころか根元から折れてしまったものも散見されます。

天候に恵まれさえすれば、農業ほど楽しい仕事はないと私は思います。

が、天候に翻弄されると、これほど徒労感のある仕事もないですね…。人間の努力など自然の前ではあってないようなものなので。

これからは穏やかな天候が続いてほしい。一番の願いです。

2024年4月26日金曜日

第10回そらまどアカデミア開催しました! 「土地改良」は町のインフラ整備の強力な武器だった

第10回そらまどアカデミア開催しました。

今回のテーマは「大浦町の土地改良」ということで、とてもニッチな(?)ものでした。何しろ、「大浦町」と「土地改良」という、かなり狭い範囲のことを掘り下げるものですからね〜。

そんなわけで、事前にお申込みいただいた方は正直少なかったのですが、当日参加の方も含めて計11人にご聴講いただきました。思いのほかたくさんの方に聞いていただけてよかったです。

さて、改めて「土地改良」についてですが、実は、私も講演を聞く前は、表面的にしか理解していなかったんです。

「土地改良(農業農村整備事業)」とは、「田んぼや畑を効率的に耕作できるようにするため、地形や土地の条件を改善したり、道路や水路を造ったりして環境を整えること」です。つまり農業のインフラづくり。もちろんこれが「土地改良」の本筋です。

しかし、講師の山之口大八さんは、「土地改良」を
(1)生活が安定するように
(2)住みやすくするように
(3)安心して生活できるように
する事業だと言います。「土地改良」だからといって農業限定ではない…!? 

山之口さんは、旧大浦町役場でずっと「土地改良」を担当しており、「土地改良」の裏の裏までご存じ。例えば、そらまどの前の道路は、今でこそ普通の市道ですが、元々は「シラス対策事業」によってできた道だったそうです。

「シラス対策事業」とは、台風や大雨でシラスが崩れたり土壌が流亡したりするのを防ぐため、用排水路をつくる事業です。つまり、そらまどの前の道路は、元はシラスが崩れないようにする排水路で、その水路の管理のために付属して造られた管理道だったのです。知らなかった…!

もちろん、その事業で整備する前から道自体はあったはずですが、道路の拡幅やアスファルト舗装などをするにはとてもお金がかかります。大浦町は過疎の弱小自治体でしたので、そうした予算は捻出できないわけです。一方シラス対策事業は補助率95%の補助事業。たった5%の手出しで、生活道路の舗装などができたということになります。

こんな感じで、予算のあまりなかった大浦町にとって、「土地改良」の補助事業は、町のインフラを整える強力な武器となりました。山之口さんによれば、大浦の各集落を通っている幹線道路は、ほとんどが「土地改良」の補助事業を活用して整備したものだということです。

それどころか、大浦町では、宅地、水道、下水道、バス停(の待合所)、公民館、街灯、公園までもが「土地改良」の事業を活用してつくられました。例えば、有木交流館や榊交流館は農業の交流施設として建設されたものだそうです。「公民館そのものは補助事業では造れないけど、農業に使う交流館と位置付ければ土地改良事業で整備できる。でも実際は公民館として使えるわけだから」とのこと。バス停の待合所も「農業の休憩・準備施設」として整備したそうです。

山之口さん自身、そういうのは「屁理屈です!」とおっしゃっていましたが、それが税金の無駄遣いかというとそうではなく、「国庫補助事業は、ちゃんと国の会計監査を受けるし、費用対効果を計算して認められないとできないわけだから、市町村の独自事業よりかえってちゃんとしている」そうです。

全国的にも、「土地改良」事業は農村整備に大きく活用されており、ヘリポート、飛行場、温泉、プール、発電所、水族館、海水浴場までもつくられたそうです。長島の伊唐島(旧東町)では、伊唐島大橋まで含めて総工費130億円で農免農道が整備されました。この事業では橋が離島架橋だったため補助率が99.5%(!)あって、町としてはたった数千万円の負担で100億円以上の事業ができたのです。これは島の農産物を運ぶという名目で整備されたのですが、島の農地は200ヘクタールくらいしかなく、費用対効果の点で「よく説明できたなと感心する」とのことでした。

大浦町の顔である干拓直線道路も元は農免農道です。農免農道とは、「農林漁業用揮発油税財源身替農道」のことで、これはガソリン価格に上乗せされている「揮発油税」(道路特定財源)を活用した農林水産業のための道路でした。

こうしたことを考えると、「土地改良」事業は、都市から田舎への再配分として機能していた、ということができると思います。税収に乏しく、自前でインフラ整備ができない農村の自治体にとって、「農林水産業の振興のため」という大義名分で使える「土地改良」事業があったことは、町づくりにも大きく役立ちました。大浦町についていえば、「土地改良」がもしなかったら、今のような町にはなっていなかったでしょう。

しかし道路特定財源は2009年に一般財源化され、「土地改良」事業全体の予算も半減しました。都市から田舎への再配分があまり行われなくなったのです。また、大浦町の場合は、合併して南さつま市になったため、田舎のちょっとした生活インフラを含め農村整備する「土地改良」は優先度が低くなり、事業は激減しました。しかし大浦町の場合、合併前に積極的に「土地改良」を行ってきたため、町内のインフラがだいたい整ってきていた、ということも事実だと思います。合併のタイミングがよかったんですね。

このように、「土地改良」は田舎へお金を引っ張ってくる大事な手法だったのですが、実はお金を引っ張ってくる性格が全然なかったのが、今回のもう一つのテーマである大浦干拓です。

大浦では、安土桃山時代から干拓が始まっており、下田間の田んぼ(今、役場や農協があるところ一帯)は安土桃山時代の干拓でできたものです。江戸時代には島津直轄で干拓がたびたびおこなわれるなど、大浦は干拓の適地でした。

そこで戦時中に計画されたのが、今の広大な大浦干拓で、昭和17年に国営事業(農地営団開発事業)として採択されます。山之口さんによれば、「仮に事業を国が設けたとしても、それを採択しようとして計画し動く人がいなければ始まらない。この時代の大浦(当時は笠沙町)に手を挙げる人がいたことがすごい」とのこと。この時は、鹿児島県で8事業が手を上げましたが、採択されたのは大浦干拓を含む3事業でした。

ところが、戦争が激しくなってきて、国家予算のほとんどは軍事費になってしまいます。さらに労働力の中心である若い男性は徴兵され労働力もなくなり、事業の継続は不可能となりました。しかし大浦町では、労働力は地元でなんとかするからと事業継続を訴え、戦争中は小学生まで動員して手弁当で干拓を続けました。

なお干拓事業で問題になるのは漁業権の問題ですが、大浦では干拓のために漁業権を全て放棄しているそうです。

終戦後、工事はいったん中止されますが、なんと終戦からたった17日後には工事が再開されます。国が崩壊したのにすぐ工事が再開されているのは、地元の人が自らやっていた工事だったことを物語っています。ところが工事再開から1週間後、超大型台風「枕崎台風」が襲い、せっかく作った汐止めが破壊されます。それでも事業は継続されました。大浦干拓第一工区は、大浦や笠沙の人たちが自ら作り上げた干拓なのです。

昭和22年、大浦干拓は農林省の事業に改めて採択され、大浦干拓第二工区の工事が始まります。ここからは請負業者が入っての工事で、第一工区とは違って道路も計画的に作り、客土も行われました。こちらは昭和40年度に完成。その時にすでにヘリコプターでの農薬散布が行われていたというのは驚きです。大浦干拓は、大浦に農業機械の導入を促し、近代的農業をもたらしました。現在でも大浦干拓は耕作率100%で、大浦の農業の中心になっています。

しかし、他の地域の干拓も大浦干拓のようにうまくいったかというとそうでもなく、国営事業で整備された場所も、100%が田んぼとして使われているのはむしろ少数派。山之口さんは、「全国の干拓地を見てきたが、田んぼだけで100%耕作されているのは大浦干拓くらい。大浦干拓は地域の宝」と言っていました。

実は、鹿児島市でもみなさんのなじみ深い地域が干拓地なんです。それは谷山! 今ラ・サール高校があるあたりも実は元は海。ここは昭和のはじめまでに完成した和田干拓の場所です。さらに戦後に行われたのが谷山干拓で、200ha近くあり、以前木材団地になっていた場所です。これらはもちろん、元は農業用地として造成されたのですが、後に用途変更を行って、今は街になっているというわけです。

ということは、農地の造成「土地改良」がなかったら、谷山の街だってずいぶん違うものになっていたでしょう。イオンなんて建てる場所なかったでしょうね(笑)

講演を聞いて、今まで農業の話としか思っていなかった「土地改良」が、いかに農村のインフラ整備や都市的な発展に役立ってきたかが分かり、目からウロコでした。農業は、農村の生活と一体に行われるものであるからこそ、「土地改良」が大きな広がりを持って町作りに役立ってきたんですね。今般、「土地改良」の根拠法である食料・農業・農村基本法が改正されようとしていますが、それが農業の振興のみならず、農村の発展に役立つものになるように期待しています。


2024年4月20日土曜日

第11回そらまどアカデミア「九州の古墳における横穴式石室とその特徴」を開催します!

5月12日、第11回そらまどアカデミア開催します!

まずはこちらの写真をご覧ください。

これは、古墳の石室内部なんです。大小の石がレンガ状に積まれ、また正面には大きな石が配置されています。そして特徴的なのは、朱色の線によって同心円の模様が全体に描かれていること。

元々、古墳時代初期においては、古墳への埋葬は竪穴によって行われていました。ところが、北部九州において横穴式の石室が登場します。そして、石室内部に壁画などが描かれた「装飾古墳」も造られました。

なぜ横穴式が登場したのか、そしてその装飾にはどんな意味があるのか。さらには、なぜ畿内に先駆けて新しいタイプの古墳が北部九州に登場したのか。いろんな面から興味を引かれます。

そんな九州の横穴式石室について、このたび福岡在住のタニグチダイスケさんを招聘してご講演いただくことになりました。

タニグチさんは、古墳(特にその内部)を専門的に撮影されている写真家です。タニグチさんのFacebookには、各地の古墳内部の写真がたくさん掲載されているのですが、古墳がどうこうという考古学的な興味以前に、びっくりしたのはその美しさ。

古墳の石室って、こんなに美しかったんだ! というのを、初めて知りました。こんなにも石室を美しく写真に表現出来るのは、古墳の石室を愛しているタニグチさんの熱意のおかげなんでしょうね。

というわけで、今回の講演はマニアックなテーマですが、「古墳なんて興味ないや」と思っている方にも、きっと楽しめるものになっていると思います。そらまどとしては初めての県外講師の招聘になりますので、ぜひご注目ください。

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第11回 そらまどアカデミア

九州の古墳における横穴式石室とその特徴

講 師:タニグチ ダイスケ

全国に16万基分布するといわれる古墳。九州にも数多くの古墳が築かれたが、特質すべき要素として横穴式石室や横穴墓と言われる埋葬施設が挙げられる。畿内などに先駆けて最も早く導入した地域でもある。壁画が描かれた北部九州の装飾古墳などを含め写真から解説する。

日 時:5月12日(日)14:00〜15:30(開場13:00)
場 所:books & cafe そらまど (駐車場あり)
料 金:2000円(ドリンクつき) ※中学生以下無料
定 員:15名
要申込申込フォームより、または店頭で直接お申し込みください。※中学生以下は無料ですが申込は必要です。
問合せこちらのフォームよりお願いします。

<講師紹介>
1981 年神奈川県生まれ。別府大学文学部文化財学科で考古学を専攻。卒業後、カメラを携えバイクによる日本一周やアジアの史跡巡りをする。2014年に写真家として初の個展を開催。現在も継続的に活動している。

2024年3月17日日曜日

第10回そらまどアカデミア「大浦町の土地改良」を開催します!


久しぶりに「そらまどアカデミア」開催します!

第10回となる今回のテーマは、「大浦町の土地改良」です。

「土地改良」とは、いわゆる農地整備のこと。広くて真四角で平坦で、ちゃんと道路が通った(袋小路でない)農地をつくるのが土地改良事業。今回は、大浦町の近現代の土地改良について学んでみたいと思います。

実は、南薩の田舎暮らしがある大浦町って、土地改良がとっても積極的に行われた地域なんです。少なくとも鹿児島県の中に限れば、ここまで土地改良を頑張った地域は少ないような…?

そして、大浦町といえば大浦干拓。

干拓の規模では出水干拓の方が大きいですが、大浦干拓のすごいところは、その耕作率がほぼ100%である、ということです。

土地改良事業が、ちゃんとその後の農業に繋がっているわけですね。

実は、土地改良事業を行っても、その後に続かず、当初の計画のようには耕作されなかった地域もたくさんあります。大浦の場合はなぜそれがうまくいったのか、そのあたりも学べるかも知れません。

ちょっと地味なテーマではありますが、こういう誰もやらなそうなテーマを取り上げるのも「そらまどアカデミア」だと思っています。ぜひお越し下さい。

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第10回 そらまどアカデミア

大浦町の土地改良

講 師:山之口 大八

80年以上前の昭和17年より干拓事業が始まり、高度成長期の昭和40年代以降、先人達が多くの補助事業を導入して、大浦町の基盤整備を支えてきた土地改良事業。市町村合併してやがて 20年になるいま、農村大浦の基盤整備のあゆみを後世に伝えたい。

日 時:4月21日(日)14:00〜15:30(開場13:00)
場 所:books & cafe そらまど (駐車場あり)
料 金:1000円(ドリンクつき) ※中学生以下無料
定 員:15名
要申込申込フォームより、または店頭で直接お申し込みください。※中学生以下は無料ですが申込は必要です。
問合せこちらのフォームよりお願いします。

<講師紹介>
1960年曽於市生まれ、土木技師として測量設計会社に7年間勤務後、平成元年大浦町役場に入職、令和2年南さつま市役所定年退職。大浦町に31年間在住後、姶良市在住。現在、地質コンサルタント技術推進参事。

2024年2月19日月曜日

南薩の田舎暮らしのオンライン・ショップをリニューアルしました

タイトルの通りですが、南薩の田舎暮らしのオンライン・ショップを少しリニューアルしました。

https://nansatsu.shop-pro.jp/

きっかけは、中2の娘に「ショップの売れ行きをよくするためにはどうしたらいいと思う?」と聞いたことです。

娘は、「WEBサイトがダサいのがよくないと思う」と即答。2013年にサイトをオープンさせてから、基本的なところはほとんど変えていません。

なにしろ、うちは業者に頼まず、自分でHTML/CSSを書いてショップサイトを作っているので、サイトのデザインの手直しなどはつい面倒がってやらなかったのです。素人がやった10年前のデザインなのでダサいのも当然です。

しかしながら、南薩の田舎暮らしでは、柑橘類についてはほぼ全てインターネットで販売していいます。だからサイトの売上は死活問題。娘の一言を真摯に受け止めて、ショップのデザインをやりなおしました。

といっても、基本的な構造は維持したままで、フォント、余白などを今風に整えただけなんですけどね。微妙な違いなので、before/afterがわかるようにスクリーンショットを撮っておけばよかった(後悔)。どこが変わったかわからない方もいるかも。見た目の印象は結構変わったはずなんですが。

ただ一つはっきり変えたのは、配送料金と支払い方法がすぐにわかるよう、メインページの下部に表示するようにしたことです。ここは私も自分がネットで買い物をする時に気になるところですし。

ちなみに、このサイトは「カラーミー」というサービスを使って作っているのですが、カラーミーにあった元々のテンプレートはこんな感じです。

15年くらい前のネットショップってこんな感じでしたよね!?

このテンプレートをいじくって、南薩の田舎暮らしのオンライン・ショップを作っているんです。

ちなみに、最近は、「サイトのデザインを素人が手作りするのはよくない。みんなに見える一番大事なところなんだから、プロに制作を頼んだ方が良い」というのが、常識になっています。

そりゃそうだ。

ただ、うちはプロにお願いするだけの売上もありませんし、なんでも自分で手作りするのがいいところだと思っているので、しばらくの間は、こんな感じでいこうと思います。

というわけで、南薩の田舎暮らしのポンカンに続く中心商材であるタンカンを販売開始しましたので、ぜひリニューアルしたサイトをご利用ください。どうぞよろしくお願いします。

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【南薩の田舎暮らし】無農薬・無化学肥料のタンカン
4.5kg 2,900円/9kg 5,400円+送料

 

2024年1月23日火曜日

今年は新規蒔き直しに取り組んでいきたいと思います!

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

実は、1月中旬から体調不良で1週間ばかり寝込みました。

新型コロナなのか、インフルエンザなのかわかりません。夫婦二人ともダウンしてしまったので病院に行けなかったからです。うちから最寄りの病院まで車で30分ほどかかりますので。

本来なら1月中旬はポンカンの収穫・発送などで一年でもかなり忙しい時期になります。

しかし、当然ながら全く仕事をすることができず、結果的に、多くのご注文をほったらかしにすることになってしまいました。みなさん、すみませんでした。元々、注文が立て込んでいたので「発送にお時間をいただきます」とは伝えていたものの、「さすがに遅すぎない?」と思っている方も多いと思います。

今日からようやく動けるようになってきたので、気を取り直して頑張っていきたいと思います。ポンカンの発送は本日から順次やっておりますので、もうしばらくお待ちください。

ところで、写真のとおり、昨年末にDIYで倉庫を増築しました。

実は、ここに倉庫を増築するのは2回目です。1回目は2015年前後だったのではないかと思います。この時もDIYで作ったのですが、なんと、作って2週間もたたないうちに(というか正確には建築途中だったんですが)、台風で全部吹き飛んでしまいました。

この時は、基礎がちゃんとしてなくて、ただ束石を土に埋めているだけだったので、束石ごと風に持って行かれたんです。

けっこう、これには懲りました!

そんなわけで、DIYで倉庫を作るのは辞めた方がいいような気がしていたのですが、この度、機械置き場がどうしても足りなくなってきたので、懲りずにまたDIYで倉庫を作ったのです。

前回とは違い、木造ではなく単管パイプを使い、穴にコンクリを流し込むタイプの簡単な基礎にしました。つくりは簡単ですが、ちょっとやそっとの台風で飛ばないと思います。

実は、「books & cafe そらまど」をオープンさせてから、どうしても農作業にしわ寄せが来て、あまりよくないループにハマりかけていました。今年は、新規蒔き直しを目標に、農業を立て直していきたいと思っています。この倉庫はその手始めです。これで新しい機械も購入できるようになりましたしね。

どうぞよろしくお願いいたします。